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2014年6月 8日 (日)

図録、買わなかった、がまんした。

図録、買わなかった、がまんした。

藤原氏の一派、このえ家。近くを守ると書きます。
天皇の身辺近くにあって守っている家、のイメージ。

道長、この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば

(参照:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1376245313)

の作者だったんですね。千年前の日記が、きれいなまま残っていることのすごさ!
どんなに大切に扱われてきたか、わかります。
戦乱の時代にも無事なように、岩倉で保存してきたといいます。

じっさいにみた、御堂関白記は、具注暦がおもしろいものでした。
爪を切るのにいい日、とか、入浴するのにいい日、とかがあって。
嫁をとるのにいい日とかもあったなあ。でも、婿をとるのにいい日はなく。

それにしても、どのひともこのひとも、見事なる筆さばき!
数々の書に圧倒された。

そしてそれを生かす表装、額装の美しさと日本の文様の歴史の深さにも感動させられた。

まるでたましひの正中線がみえるような。
この世の中心線とからだの中心線とたましひのまんなかを走る線が、一つに重なって、天と繋がっている。ジンブレイドがぶれていない。(ジンブレイドとはなにか、ようしらんのやけど。)

図録、買わなかった、がまんした。

豊臣秀吉にたてついて、鹿児島に飛ばされた近衞信尹(このえのぶただ)。
この人が飛ばされる前の日記と、飛ばされたあと、吹っ切れた精神をもってしたためた書とでは、目に見えて変わっていた。配流先で書いた屏風の書はすばらしいスピード感と躍動感にみち、精神の強さしなやかさを感じさせ見事だった。

あまり展示されている書が能書家のものばかりだったので、藤原定家の書がみすぼらしく思えた。っていうかさ。あれ?へたじゃん!ってかんじというかさ。
だって、後鳥羽院が憧れた歌人ですよ。新古今を代表する。
その後鳥羽院の書もありました。歌をちらしがきみたいなかんじでいくつも書かれていた。
細くて繊細な筆致の筆だった。

石橋秀野の句文集『櫻濃く』に、陽明文庫のまえがきのある句があります。

洛西鳴滝時代

九月廿日陽明文庫に折口信夫博士をむかへて

かなかなや緋の毛氈に茶をたまふ  石橋秀野

今頃知ったのもへんですが。
秀野さんがなくなったうたの療養所の近く、仁和寺の近くにあったのですねえ。
陽明文庫は。

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