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2014年6月 9日 (月)

四国のジャンヌ・ダルクさんの本が読書感想文の課題図書になったんだって!

土曜の夜、次男が大分から帰省。
いろいろとはなしがあったようだ。
久屋本家のコマーシャルではないが、青春してるな、と思う。

話が終わったところで、アウシュヴィッツの話をどこまで知っているだろうかと尋ねてみる。
すると、手塚治虫の『アドルフに告ぐ』を読んだだけ、との答え。
あとは、映画『シンドラーのリスト』を見たよ。と。

そういうものだろう。
学校の教科書のどこかで、『アンネの日記』の一部を学んだかもしれない。

かくいうわたしも、知っているようで、詳しくは知らない。
遠い昔、少女漫画雑誌で知ったくらいの記憶しかなかった。
日常、あの重い話を読もうとは思わないものだから、そのままになっていた。

だから、四国のジャンヌ・ダルクこと、香川宜子(かがわよしこ)先生の『ザ・ヴァイオリン』を読んだとき、日本の現代の少女が主役の一人であったこともあり、とても身近に思えた。
最近角川から出た、改題、『アヴェマリアのヴァイオリン』。
これを若い人たちに読んでもらいたいとおもう。
ストーリー自体たいへん面白いので、途中で投げ出すことはないと思います。

むすこは本を大分に持って帰ったようだ。

この話を昨日、古賀音彦さん夫妻に話したら、音彦さんが言った。
アウシュヴィッツはじっさいに行ったらそれは直に伝わるよ。と。
おお!ここにも、現地へ行った人がいた!!
かささぎの知っているもうひとりは、中学校の校長先生をしている同級生です。

「アドルフに告ぐ」、おとめさんのご主人が以前入院されたとき、お見舞いに差しあげた記憶があります。どんなはなしだったかなあ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%81%AB%E5%91%8A%E3%81%90

ということで、香川先生からのコメント、以前ご紹介しましたが、続きもまとめておきます。

コメント

 

こんばんわ、かささぎさん。
いつも真面目な情報発信のところに自分のことばかりでごめんなさい。今日、毎日新聞紙上で正式に発表ガアッテ(ネットでは4月1日発表だったんだけど・・・きょうまで口止めでした)アヴェマリアのヴァイオリンは今年第60回青少年読書感想文全国コンクール課題図書、高校の部に選定されました!

うわ、よしこせんせい。
それはそれは。おめでとうございます。
先生にとって喜ばしい以上に、こどもたちにとって、すばらしいことだとおもいます。
アンネの日記よりずっと身近に思えるに違いありません。いまから、こどもたちの感想文、どんな声が寄せられるか、またれますね。
それと、これは読まれましたか。
えっと、どこだったっけ。乙四郎先生が、柳川図書館でも新刊図書として紹介されていたとコメントされていましたよ。

かささぎさん、ありがとうございます。そうですか!乙四郎先生が!読んでないですが柳川図書館で調べるといいですか?乙四郎先生には本当にお世話になってます。感謝に絶えません。TRCブックポータブルの紅葉雪さんというとこかの図書館の司書さんが、とてもありがたいコメントをくださいました。http://www.bookportal.jp/review/0000002458

よしこ先生、度々ありがとうございます。
きのう、先生のブログをウロウロしてたら、相当お忙しいはずなのに、悩み事相談までなさっているではございませんか、おどろきました。
つい、つられて、じつはおらも・・・と、なやみごとを語りたくなるのを、ぐっとこらえて、けえってきやした。
それと、かしこい子に育てる、漢字学習法についても、ちらっとみていただけだったので、メモりました。(でも時間は巻き戻せないんですよねえ・・とほほ)

先生ご紹介のサイトにあったのを、全文引用します。

コメント・書評
.
子どもに本を手渡す人間の一人として、これは世代、時代を越えて読み継がれるべきものだと思いました。子ども達とコミュニケーションをとりながら、手渡していきたいと思います。
紅葉雪
2014/06/01 14:24:52
評価 ( ★マーク )
★★★★★

さっそくだが、この本の内容について、ブックポータルの「内容説明」を使わせていただく。

「板東俘虜収容所、アウシュヴィッツ、そして21世紀の日本。時を超え、ふたりの少女を音楽が結びつけた…。戦火をくぐり、数奇な運命に翻弄された一丁のヴァイオリンが生み出す感動の物語。〔「ザ・ヴァイオリン」(東京図書出版会 2008年刊)の改題,大幅に加筆修正再構成〕」

さらに本書の帯にはこうある。
「あなたは涙を流さずに、最後までこの物語を読めますか?」

 
司書として本の内容との距離の取り方をある程度心得ている自分も、迂闊にも(?)、何度か涙したシーンがあった。

本書の感想を一言でいうならば、以前bk1時代に「ヒトラーのはじめたゲーム」でも書いた言葉が一番しっくりとくる。

「とにかく読み進めるのが辛い本だった。それが正直な感想だ。/人間はどこまで残酷かつ冷酷になるのだろうか。/人間は極限にどこまで耐えられるのだろうか。/それを容赦なく、目の前に叩きつけられたのだから」

さて本書。

主人公の一人は、あすか。中学二年生。徳島に住んでおり、少しばかり自分の進路に悩んでいる、ごく普通の中学生。彼女はヴァイオリンを習っているが、「プロのソリストを目指すのではなく、もう少し自由に楽しく弾きたいと思っているだけだ」。(p12より)
また母親からは医者になるよう進められており、だがそれも自分にはどうかと感じていて、進路について母親と揉める事も。

そんなあすかが、ある一つのヴァイオリンと出会う事で、物語が動いていく。

楽器店で一つのオールド・ヴァイオリンと出会ったあすかは、どうしてもそのヴァイオリンが欲しくなり、「大きくなって働いたら、私が払うから」と親を説き伏せ、手に入れる。

さらに後日、あすかはそのヴァイオリンが『アヴェ・マリア・ヴァイオリン』と呼ばれ、アウシュヴィッツで、あすかと同じ年の女の子が弾いていた事を聞かされ、ヴァイオリンの由来を知りたくなる。同じく由来を調べていた楽器店の清原と一緒に、ヴァイオリンの事をしっているカルザスというポーランドの男性に会う事になる。

あすかがカルザスから話を聞く、という形をとって、話は一気に第二次世界大戦前、悲劇の時代へとうつっていく。

そこでの主人公がハンナ・ヨハンセン。ユダヤ人の少女だ。あすかと同じ14歳。ヴァイオリンを習っていた。

だが時はユダヤ人には厳しいものだった。ハンナ一家も、言葉では言い表せない苦痛をうけ、またユダヤ人狩りから逃れるために身を隠すようになる。そこに至るまでに、そこに至る途中でも、とてつもない悲しみ……家族を殺される事も経験する。

だがとうとう、隠れ家がみつかり、ハンナ一家はアウシュヴィッツへ送られる……。

ハンナは、ヴァイオリンが弾けることが幸いし、アウシュヴィッツで「音楽隊」に組み込まれる。
音楽隊、というと優雅に聞こえるだろうか。だが決してそうではない。この「音楽隊」に入る事は、命がけで音楽を行っていくことに他ならなかった。まさに生き抜くために。そしてハンナは、自分が弾いているヴァイオリンが、かつて日本の板東俘虜収容所と関わっていたことを知る。

14歳の女の子が、収容所で目にするもの、耳にするもの、……さらに同じユダヤ人たちに「ナチスの犬」と罵られる苦しみ。そこをハンナがどう生きていったのかが描かれている。
……とにかく辛い本だった。

最後に。
実はこの本を読了したのは1か月以上も前。今年度の、青少年読書感想文全国コンクールの、高等学校の部の1冊ということで手に取った。ただ、この書評を書くか否か、自分でもおかしいのだが1か月以上迷ったのだ。

まずこの本と出会った経緯だが。
大体、中学校では、高校の部の課題図書も学校図書館に入れる。この本に関しては、不勉強で恥ずかしいことながら、今まで読んでいなかったため、目を通した。

最初、主人公のあすかが中学生という設定や、あすかの日常がかかれているあたりでは、『中学校の課題図書でもよかったのでは?』とすら思ったが、読み進める内に、「高等学校の部」の課題図書になった理由が判ってきた。

ハンナの目にする形として描写されていることなどが、あまりにも凄絶すぎて(もちろんそれらの描写は、実際にその時代、そしてアウシュヴィッツであったことばかりらしいのだが)、中学生相手では、本を渡せる生徒を選んでしまう、と咄嗟に学校司書として思った。

だが。課題図書においては、逆に「課題図書に選ばれた本だから薦めても大丈夫だ」、と簡単に思われがちである。
今の公共図書館、および学校図書館の司書で、課題図書を全冊読破し中身を頭に叩き込んでいる司書は数少なくなっている。

書評タイトルでも述べたとおり、これは「ガラスのうさぎ」などと同じで、時代を越えて読み継がれていく本になるだろう、と予感しているし、そうなってほしいとも思う。

ただ、中学生に渡す時は、注意が必要になる。特に学校という環境では、中身的に厳しい子がいるかもしれない、と司書や教師が常に頭にとどめておく必要があるだけのところ。だからこそ逆に、本を渡す立場にある人は、子どもたちが手を伸ばす前に本書を読破してほしいと思うのだ。

『ちょっと中身が厳しいかもしれないけど……』と言いながら、『読めないと思ったらやめてね。時間が経って、読めるようになったら読んでくれればいいから』と言いながら手渡していける司書が、司書でなくとも、本と子どもを介在する大人が必要だと思う。

本当に残念なことに。
今は、簡単にパソコンでデータを調べられるようになっている事も多いからだろう。学校司書、公共図書館司書、そのどちらも、本について造詣の深い、『あの人に聞けば何でも本の事を知ってる』という、『本物の』司書がいなくなっている。もちろんその『本物』をめざし、自分は悪戦苦闘しているのだが、残念ながら道はまだまだ果てしなく遠い。それに周囲を見回すと、必ずしも本物を目指そうは思っていないようだ。

『本物の司書がいなくなる』事を寂しいと思う自分が時代遅れなだけなのだろうと思って、だがこの職人気質は簡単に変えられないし、まあ仕方がないと諦めてもきたが(笑)、案外インターネットやスマートフォン全盛の、誰もが溢れる情報に溺れそうになるこの時代には、そういった昔ながらの司書が再度必要となってきているのかもしれないと思う今日この頃でもある。

中学校図書館では扱いの難しいところがある本ではあるが、だがそれを常に頭においていれば、必ずや読み継がれていくだろう。この先名作になるだろうと思われる1冊に出会う事が出来て、司書としてうれしい限りである。

すごいなあ。この司書のかたは。
ほんとうのプロですね。

ひとつ、それでも、いいたい。
わたしは、中学生、高校生とわける必要はないのでは。と不遜なことをおもう。
というのは、書かれている内容がいくら残酷なものでも、主人公は14歳。それなら、おなじ年の子たちに真っ先に読まれたい。おなじ年という現象は、圧倒的に共感の度合いがちがうのではと思われてならない。

こないだ、新聞記者だった人の小学生の娘を同級生の友人が殺した事件のその後をおって、記者の後輩記者だった人がていねいに取材を重ねてまとめたニュース記事を新聞で読みました。
法では守られてる、犯人が守られている。
まだこどもだったからという理由で。
それでは殺された子とその家族はどう耐えたらいいのか。一度もその子と対面すらさせず、真実に向き合わせないで、更正できるとお思いか。やったことをすべて忘れてべつの生をあゆませることに意味があるのだろうか。
それと似た感慨を、この高校生向けの課題としたことに、わたしはいだいた。
もっとこどもを信頼していいんじゃないか。
幼いならおさないなりに、こころの真芯でとらえるとおもう。トラウマにはならない。なぜなら、構成が配慮されたものだからだ。

それよりも、わたしがどうしてもいまだに気になっていることがある。これが実話に基づくものとして、じっさいに地下室で猫を飼ってたのだろうか。
動物はひとみたいに嘘が付けない、とても心配だ。

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