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2014年6月 6日 (金)

これ、。福島第二。感動しました。

http://www.huffingtonpost.jp/tomoko-nagano/fukushima-nuclear_b_5421167.html?utm_hp_ref=japan

上記ブログより抜粋記事の引用

「翌3月12日早朝。1号機の圧力抑制室の水温は100度を突破しました。ちょうどこの時間、菅直人首相が第一原発の視察に訪れています。当時、官房副長官だった福山哲郎氏のノートには、『第二、根源的な問題。海の水を循環しない』と記してあります。視察中の菅首相からの言葉でした。第二原発も非常に厳しい状況だと把握した政府は第二原発の半径3キロ圏内の住民に避難指示、10キロ圏内の住民に屋内退避の指示を出します。1号機の圧力を下げるため、最後の手段である「ベント」を行う可能性があったからです。「ベント」によって格納容器の圧力は下がりますが、それは放射性物質が外に飛び散るという最悪の状況を引き起こすことでもありました。

12日午後、第一原発で水素爆発が起きたとき、増田所長は緊急対策室にいました。

「なんとなく振動がきた気がしました。後を振り向いたらテレビで爆発のシーンが見えて。なぜ爆発したのか、理解できなかった」

第一原発と同様、メルトダウン、水素爆発の危機に直面していた第二原発で、増田所長は第一原発の状況とは異なるわずかな希望を見出しました。被災した外部電源4回線のうち1回線だけ生き残っていたのです。しかし、問題はこの1回線が炉心を冷却する建屋から遠すぎる場所にあり、建屋に繋がれていなかったことです。

増田所長は危機管理マニュアルにない「想定外の行動」に踏み切りました。なんと800メートルも離れた外部電源の1回線を、建屋まで人海戦術でケーブルを担ぎながら運ぶという指示です。ケーブルといっても、何トンもする大変重いもの。通常なら機械を使っても1カ月かかる作業を、わずか1日で成し遂げなければならないという過酷なものでした。第二原発では200人もの作業員が2メートル間隔でケーブルを担ぎ、建屋に引っ張る作業を開始したのです。

2014-05-31-cable11.jpg
写真提供:東京電力

もうひとつ、福島第二原発には第一原発と異なる点がありました。発電施設の電源がすべて失われる、いわゆる「ステーション・ブラックアウト」によって、流量計や水位計など危機管理を行う計器がまったく機能しない状況に陥った第一原発。それに対し、第二原発は中央制御室の停電を免れていました。

「中央制御室というのは、監視と操作というのは非常に大事な2つの役割になります。それがまったくできなかった福島第一と、しっかりできた福島第二は大きな差があったと思います」

「ベント」のタイムリミットまであと2時間。メルトダウンを目前にした12日の深夜12時ころ、作業員の決死の作業によりケーブルは建屋につながれました。第一原発と第二原発、2つの原発が爆発するという最悪の事態はこうして回避されたのです。」

▼かささぎの声

そうだったのか。しらなかったなあ!

 

美味しんぼを読むまで、被災したかたがたには申し訳ないのですが、すっかり原発事故のことは忘れてしまっていました。
まいにちの暮らしが過酷で、追われているものですから、仕方ないのですが、。

 

ひさびさにたずねた、希望さんのブログで紹介されていました。
希望さんブログは、事故後原発記事ひといろで、なんか行く気しなくなって、行かなくなったのでした。

 

でも、ひさびさにのぞいたら、やはりそうでした、が、ここまで徹底できる希望さんは偉い。

 

こないだの朝刊に、九州の新聞ですから、玄海原発で事故が起きた場合の避難ルートのことがトップに書かれていました。それをよんで、

 

なんかなあ。
九州で事故ったら日本が終わりというのに、。避難路もなにもなかろうもん。

 

と、憮然とした次第。

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