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2014年5月29日 (木)

龍の谷から  14   親鸞と遵念寺、および偶然について

かささぎの旗に、水月さんがお寺の写真を三枚送信してくださいました。
写真をブログにアップできないのは、ただ機能的な問題です。
携帯メールに添付していただくとアップできるとおもいます。
説明がわりに、メール通信を貼り付けます。
水月様
いま、拝見しました。お寺の写真。
きれいなお寺ですね。
山門からとったとおぼしき正面写真に写っている松が立派です。
左右の銅像もね。編笠かぶっている坊様、親鸞さまですか。もう一つはなに。
わたしは地名をみたとき、土地勘ZEROでありますから、山の中の寺だろうか。
と思ったのですが、そうでもなさげ。失礼を申しますがお許しくだされ。
お寺ってお花がいつもきれいに活けてありますが、浄徳寺さんではお坊様
が活けられる。水月様のお寺では坊守様(おくさま)がなさいますか。
箱のつく山号、箱森山でしたっけ。はこもりさん、とよむのですか。それとも別の 。
>黒木物語に出てくる話の元は、懐良親王が八女で没したということと、何か関係があるのでは、とお考えなのですか?(水月)
そうです。九州の南朝という本と、光厳天皇という本、二冊入手して、
それの年譜を並べてみています。南朝行宮というのが石清水八幡(小侍従の父はここの別当とある)にあった時がある(ブログ写真あり)。
で、それは光厳天皇のほうの資料なんがおもしろいね。
めまぐるしくいろんなことが移り変わっている時代、もたもたして話についていけないよ。
水月さん
今日、黒木物語を数年ぶりで開きました。
読み返していますと、肉筆の部分があるでしょう。
そのなかの黒木氏神の津江権現の牛の爪が目を射ました。
黒木氏の宗旨は禅宗とあります。
牛の爪を御神宝として祀る牛の宮があったんだと。184頁。
いまはないと書かれているけど、これ、
きっと小侍従の、一子を生むに牛たり。と関係あるんじゃない。
しらべさんは以前、牛の話について、ほんとの牛ではなく、
意味があるんだ、裏のメタファーが。と言っていたっけが。(かささぎの旗)
追伸
すいげつさん
あみがさのぼうさんがすぐ親鸞聖人だとわかったのは、
八女の下横山という山のなかにある西光寺におなじものがあったからです。
わたしの想像のしんらんさまと違ってあまりに逞しいので。
写真はとっていませんが、ここです。http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-b119.html
西光寺、もう一つ鹿児島の西光寺のことを九州俳句の同人がかかれたのもあるが、。
黒木物語は、うちの近くの図書館で、八女の図書館かな、取り寄せてもらって、必要と思われるところのみコピーしただけなので、184頁の部分はありませんでした。当時、私は必要と思わなかったのでしょう。津江権現の牛の爪ですか。うーん。どうなんでしょうね。それと関係があるかどうかは何ともいえませんが、小侍従が牛の子を生んだというのには、確かに何かの意味があると感じます。だいたい牛の子を生むなんてありえないことですから、隠されたメタファーがあるように思います。それが何か……。
 
なお、うちのお寺の境内にある、右側は確かに親鸞聖人で、左側は本願寺第8代の蓮如上人の銅像です。写真には写っていませんが、その蓮如上人像の近くには、町内で一番高いという松の木があります。費用の問題で2年に1度、造園屋さん(うちの御門徒の弟さん)が剪定と、面倒を見てくださっています。お寺のお花は行事のときは御門徒の華道をされる方が立ててくださいますが、普段は坊守が立てています。「箱森山」は字のとおり「はこもりさん」です。(水月)
姫野さま
 
黒木物語はこのあいだ申しましたように一部分のコピーがあるだけと、懐良親王についてはまったく存じませんので、和田重雄氏編『貞享版 黒木物語』と、坂井藤雄氏『征西将軍 懐良親王の生涯』の二冊を、ネットで注文しました。後者には、どこのサイトだったかな、星野氏のことが説明されているということですので。手に出来るのは1~2週間後くらい先でしょうか。それを見てまた考えてみます。
 
懐良親王が没したのは、妙見城ということですが、ウィキには筑後矢部とあります。同じことなのですか?
 
親王を星野氏が庇護したというのは何かあるようにも思えますね。(水月)
水月様
本、それはよかった。
わたしの読み方はあちこちかじる、かじり散らかすみたいなかんじなので、
どうもよくないと思います。
是非、よまれて私に教えてくだされ。笑
星野と矢部はちがうよ。
矢部は黒木の奥です。
釈迦岳がすぐ近くです。
でも八女の者でも矢部と星野を混同する。
さっき開いた検索キーワードのランキングです。
遵念寺でたくさんみえているが、そういう名前の寺は実際はないのでしょう?
    (かささぎのはた)
アクセスのキーワード検索で、遵念寺での来訪が2番目に多いことをみて、じっさいの僧である水月さんに確認する。
以下、それへの回答分、きょうのメインです。(かささぎ)
文・水月
 
遵念寺というお寺はどこかにはあるでしょうが、安楽房遵西に関わるお寺としては存在しないと思います。おそらく五木寛之氏の創作でしょう。住蓮と安楽に関するお寺は京都の銀閣寺の近くに住蓮山安楽寺というのがあります。『渡辺隆生教授還暦記念論集 仏教思想文化史論叢』(1997年)のなかに、伊藤正順という方が「建永の法難における住蓮房と安楽房の処刑の真相」という論文を書いておられ、その冒頭に「筆者の自坊である住蓮山安楽寺の開山は、法然上人の弟子の住蓮房と安楽房である」と書きはじめられています。そこでそのお寺は住蓮・安楽を開基とし、いまは伊藤正順という方が御住職なのでしょうね。

 

 

 

親鸞聖人の銅像は、浄土真宗のお寺なら、ほとんど建っていると思います。
「しんらんさまのうた」というのがあり、歌詞に「しんらんさまは にこやかに わたしのとなりに いらっしゃる」などとありますから、何か繊細で線の細い人のようなイメージが涌いてきますが、ところがどっこい、親鸞聖人はどっしりとした逞しい体つきで(それが生まれつきか、9歳から29歳までの比叡山における修行で鍛えられたものかわかりません)、眉毛がピンとはねあがり、大変けわしい(無礼な言い方をすれば怖い)お顔つきです。御著書を拝見しても、一字一句といえどもおろそかにしない、厳しさがあります。そこで故梯和上は「こんな人がいまおったら、ワシ、よーつきあいせんわ」とおっしゃって皆の笑いをとっておられました。

 

 

 

西光寺というお寺の名前は珍しいものではありません。うちのすぐ近くにもありますし、故梯和上の後継者として誰もが認める天岸浄圓先生のお寺も西光寺です。

 

 

 

征西将軍懐良親王の生涯』を書いた坂井藤雄という人は、http://plaza.rakuten.co.jp/kyoyasaga/diary/200908050000/の下のほうを見ると、2012年にお孫さんがコメントを書いておられます。そのとき90歳ということですので、現在も御健在なら92歳ということになりますね。先の待宵小侍従の研究をアップされている方も92歳。こんな偶然もあるんですね。そこで思うに、もしかしたら、『法華験記』に出る一宿上人としての行空が鎮西で90歳で没したというのと、本覚院開基の行空(高野堂の行空)が90歳で没したというのも、偶然としてありえることかも、と思ってきます。

 

 

 

ちなみに、話が飛びますが、八女に邪馬台国があったという記事を見つけて(http://www.city.yame.fukuoka.jp/kouhou_yame/sunzun/20110701.html)、たいへん興味を惹かれました。ただユーチューブにアップされている「歴史ミステリー」では邪馬台国は徳島にあったといっていますが、何か八女にあってほしいと思います。

 

 
▼かささぎの独り言
えっ、それは。いわれてみれば、たしかにすごい偶然です。
高齢であること、それはその年になってみないとどんなきもちなのか、わかりません。
ひたすら「まなぶ」謙虚なきもちになります。
なんだか、こないだぐうぜん見たドラマ、松本清張「十万分の一の偶然」を連想してしまいました。

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コメント

新聞連載の親鸞、終わってしまったのでしょうか

油断してたら見失いました

それで、五木寛之の親鸞
で検索しましたら、保健医療経営大学の先生の論文がヒットしました

こちら!開かれていましたので、読みました。

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