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2014年5月11日 (日)

親鸞聖人と法本房行空上人   四の上

文・水月

       四

次に行空がどのような義を立てたのか見てみたい。

自著があれば正確に知られるのであるが、現存するものは何もない。
凝然の『浄土宗源流章』には幸西や隆寛などの義を略述しているが、行空については名を挙げているのみである。ただ了祥(1788~1842)の『異義集』には『金剛宝戒章』や『浄土布薩式』を行空が法然に仮託した偽作といって、『漢語灯録』所収の「
遺北陸道書状」に出ている『念仏要文集』も「おそらくは行空か」と推測している。とすれば、行空の所説を知る手立てとなる。
しかし、円智(?~1703)・義山(1647~1717)の『行状絵図翼賛』には『金剛宝戒章』を行空の輩が法然の作として偽作したもので、長楽寺の鏡空の奥書にいわれているということである。(※7)
また三田全信氏によれば、江戸時代に『浄土布薩式』を西山邪徒の偽書とする説などがあったという。近年では恵谷隆戒氏が『金剛宝戒章』を一説として行空の輩が偽作したといい、『浄土布薩式』もそれと関連があるから作者はおそらく同一系統の人かといわれている。
また、大橋俊雄氏や石田瑞麿氏は『金剛宝戒章』の著者を湛空(1176~1253)の流れを汲むものといい、井川定慶氏は『浄土布薩式』を聖冏(しょうげい、1341~1420)の頃に偽作されたものといわれている。(※1)
そうするとやはり、行空が著したと確定できるものはない。それはおそらく行空が理論派でなく行動派であったためであろう。(※2)それゆえ著作を遺すということがそもそもなかったのかもしれない。したがって行空の所説を知るためには他の資料によるしかないのである。

そこでもう一度『三長記』を見てみると、「法々房は一念往生の義を立つ」「沙門行空、忽(たちま)ち一念往生の義を立て」といわれているから、行空の所立はいわゆる一念義であったことが知られる。それは日蓮の『一代五時図』にも「法本  一念」とあり、静見これまで何度かこの名前が出ているが、まだなんとよむのか確認もしていなかったので、ぐぐるも、出てきません。じょうけん、で打てど、静賢しか出てこず。法然の弟子と併起しても出ないのはどういうわけだろう。と不思議で、さらにぐぐると、これがでてきましたー以下コピペ文。『法水分流記』は法然上人の門下の諸系統を系図としてまとめたもので、法然門下の系図としてはもっとも古いものといわれます。作者は西山深草流の静見という人で、永和四年(1378)の成立です。この『法水分流記』は法然上人の門下を、一念義、多念義などと分けるとともに、白川門徒、嵯峨門徒などと、後世の系図にはみられない、地名を付した流派の分類も行なっています。親鸞聖人の流派については大谷門徒と名づけられており、一向宗と号すると記されています。http://blog.koshoji.or.jp/koshoji-shiwa/?paged=100興正寺史話、ありがとうございます、参照させてもらいました。以上、かささぎの旗管理人脚注、しっかし、まだなんとよむのかは不明なり。英語版歴史人物辞典みるほうが早いか)の『法水分流記』にも「立一念義」とあることによって確実である。

一念義とは多念義に対し、それぞれにまた種々の義がある。ただ概括的にいうと、一念義は本願を信ずる信の一念の即座、あるいは本願の念仏を一声称えただけの行の一念で往生が決定すると説くものであり、多念義は念仏を生涯相続することによって臨終正念を祈り、臨終来迎を期するものである。法然の晩年から滅後にかけて、この一念義と多念義が水火のごとく対立し激しく諍われたが、行空は一念義の主唱者であったのである。
また行空と「つがい」のようであったと思われる幸西も同じである。二人が古来、一念義の代表的な人物と見られているのである。
ただし幸西には現存する著書の『玄義分抄』や『浄土法門源流章』に引用されている諸書があって、その所説が知られるのに対し、行空の一念義がどのような内容であったのかよくわからない。『三長記』には「念仏を引通せんが為に、諸仏諸教を謗る」「故(ことさら)に十戒毀(教カ)化の業を勧め、恣(ほしいまま)に余仏を謗り、其の念仏行を願(ママ)進す」とあるのみである。
戒を捨てしめ、諸仏諸教をそしり、ただ念仏一行を勧めたというのである。それは持戒を基盤として所行を修していく聖道門の修行体系そのものの否定である。
そこで行空は罪科に問われ、翌年「無実の風聞」によって承元(建永)の法難という思想弾圧へと発展したのであった。そうした聖道門との衝突は法然教学自体がもっている性格でもある。法然は戒・定・慧の三学の器にあらざるものを救う法を求め、善導(613~682)の「散善義」就行立信釈の文によって回心を遂げた。阿弥陀仏は平等の慈悲に催され、その本願に衆生往生の行としてただ念仏一行を選び取り、正定業と定められていたのである。それを信ずるということは、逆にいえば戒をはじめ念仏以外の一切の行を廃捨することであった。法然はこの撰択・廃立によって専修念仏と説いたのであるから、聖道門と思想的に対立することは必至である。行空は行動派であったがために、法然の廃立を真っ向から振りかざすことによって、激しく戒を捨てしめ、諸仏諸教を謗ることになったのであろう。
西山派西谷流の行観(1013~1073のぎょうかん、ネットでぐぐると一番に出てくる、天台宗の僧とは別人、1241~1325)が「師の法然房は諸行の頸を切る、弟子の善慧房は諸行を生け取りにする」といったことは有名である(※3)が、行空は証空の生け取りどころか、法然より鋭く諸行の頸を切ったものと思われる。『三長記』に「偏執、傍輩に過ぐ」といい、「其の操行に於ては、縦(たと)ひ不善なりと雖(いへど)も」と評された不善の操行も偏執の勧進を指すものであるからである。そして「勧むる所、執ずる所、只だ念仏往生の義なり」「其の念仏行を願(ママ)進す」(ただし『鎌倉遺文』は「還失念仏行」とある・・※4)とあるところを見ると、行空は法然の廃立を真っ直ぐに受け止めて、念仏以外の行をばっさり切り捨て、念仏一行をひとすじに説いたものと思われる。『三長記』には行空と遵西の二人が偏執であったといっているが、行空が「殊に不当」というので法然から破門されたのを裏返せば、行空は遵西よりもっと過激に法然の廃立を説いたのであろう。とすれば、行き過ぎた点があったにせよ、行空は師説に反したのではなく、むしろ師説に純粋すぎるほど忠実な人であったといえるのではなかろうか。
『三長記』からうかがえる行空像はそのようである。※5

ところが鎮西派の派祖である弁長の『浄土宗要集』には『大経』の第十八願を称名往生の願とするなかで、

 法本房の云く、念とは思ひとよむ、されば称名(※6)には非ずと云云

といっている。ここに「法本房の云く」と明記されているのは注目すべきである。わずかな断片であるが、確実に行空の語った言葉といえる唯一の資料であるからである。これを弁長が直接行空より聞いたとすると、弁長は元久元年(1204)八月に法然のもとを辞しているので、それ以前の相当早い時期に聞いたということになる。その弁長によれば、法然は第十八願の「乃至十念」を善導が「下至十声」と釈していることによって、「乃至」を「下至」、「念」を「声」と領解し、称名による念仏往生説を確立したのであったが、行空は「念」を「思ひ」と読んで、称名ではないと語ったというのである。それでは法然の念声是一という釈義と相違し、さらに称名往生という宗義さえ否定したかのようである。『浄土宗要集』の伝えるところは、まったく師説に反した行空像なのである。

四の下につづく

筆者紹介:

水月(すいげつ)・筆名

森本光慈
  浄土真宗本願寺派輔教
  浄土真宗本願寺派布教使
  行信仏教文化研究所研究員
  浄土真宗本願寺派正福寺住職(兵庫教区氷上西組) 

※1

井川定慶 お孫さんによる絶版著書の公開
http://www.konan-wu.ac.jp/~nobutoki/honen.html

井川定慶氏『浄土布薩式の検討』

(『仏教大学研究紀要』三八、1970年)

布薩(ふさつ)とは、ぼさつのなまりではない。
仏教におけ
るキリ教での告解みたいな懺悔。

ふさつ【布薩】 

仏教用語で,修行者たちが毎月2回定期的に集まり,自分の犯した罪を告白懺悔(さんげ)し,清浄生活を送ることを確認しあう儀式。説戒ともいい,サンスクリットウパバサタUpavasatha俗語形を音写したもの。毎月の満月新月の日(15日と30日)に行われ,出家者は原則として全員出席しなければならない。全員が集合したところで,法に詳しい比丘が波羅提木叉(はらだいもくしや)(戒の条項を集めたもの)の条文をいちいち読み上げ,その制禁に牴触(ていしよく)した覚えのある者は,自ら人々の前でその罪を発露(ほつろ)懺悔するのである。

※2

梯實圓師『玄義分抄講述ー幸西大徳の浄土教』(永田文昌堂、1994年)

4頁に、興福寺から名指しされた遵西・幸西・住蓮・行空の四人のなかで、幸西は理論派であり、他の三人は行動派であったということが述べられている。また同師「親鸞聖人の生涯〈その20〉法難の顛末④」(『一味』七一四、2009年)にも行空が行動的であったことを述べられている。

※3

『撰択本願念仏宗秘集』二 (『浄土宗全書』八・三五九)

※4

『鎌倉遺文』三、二七○頁、1605号。

鎌倉遺文(かまくらいぶん)とは、鎌倉時代古文書の網羅を目指して編集された史料集。竹内理三編。古文書編42巻、補遺4巻、索引編5巻。東京堂出版刊。

竹内がほぼ独力で昭和46年(1971年)から平成7年(1995年)の25年かけて編纂した。本編である古文書編は文治元年(1185年)から正慶2年(1333年)までの文書3万5千通を収録、諸本からの引用部分や紙背文書金石文などからも採録されている。年号のない文書はおよその年代を推測して挿入し、推定不可能な文書については内容から便宜合叙されている。ない、年号の無い文書については別途『鎌倉遺文無年号文書目録』が作成されている。

現存する鎌倉時代の古文書の大部分が所収されているが、所収漏れの文書・竹内没後に発見された古文書なども存在しており、そうした文書の蒐集・整理やデータベース化が現在も進められている。(ウィキメディア)

※5

梯實圓師「親鸞聖人の生涯〈その22〉法難の顛末④」(『一味』七一四、2009年)に、「行空の一念義が、『三長記』に記されているとおりであるとすれば、むしろ法然聖人の教えに忠実な人であったというべきでしょう」といわれている。

※6 称名(しょうみょう)

称名(しょうみょう)とは、菩薩の名を称えること。特に、阿弥陀仏の名号である南無阿弥陀仏を称えること。時には、諸仏が阿弥陀仏の名を称揚し讃歎することをさす(諸仏称名は阿弥陀仏の四十八願中の第十七願)。浄土教では、とくに阿弥陀仏の名号(南無阿弥陀仏)を称えること。これは浄土に生れるための正定業である。

  • 善導は、阿弥陀仏の本願第十八願)に「乃至十念若不生者不取正覚」とあるのを、「我が名字を称すること下十声に至るまでもし生れずは正覚を取らじ」と読み、称名往生を誓ったものと解釈し、称名は本願に誓われた行であるから、正定業であるとした。
  • 大原声明の完成者でもある良忍は、「一人の念仏が万人の念仏と交わる」という融通念仏(大念仏)を説いた。
  • 法然は、如来が称名一行を選び取られたのは、余行は難劣であるのに対して称名は最勝にして至易なる行だからであるといわれている。他力の称名は称えた功を顧みず、願力による名号にすべての因をみるから、まさしく正定の業因である。
  • 親鸞は、「信心が浄土に生まれる正しい因であり、称名はその阿弥陀仏の恩に報いるため」(信心正因。称名報恩)のものとする。

称名は広義には、南無阿弥陀仏のほか、南無釈迦牟尼仏、南無観世音菩薩、南無大師遍照金剛などもさす。なお、神仏の名を称えることによって苦難を逃れ救済を得られるという信仰は、道教の経典の中にも多く見られる。(イスラーム圏にも似たようなものがある[要出典]

関連項目[編集] に題目がある。

称名によく似たことばに、みょうごう(名号)があり、昨日わたしは、六字名号、とか、十字名号を調べたばかりでした。こんなのです。

南無阿弥陀仏が六字名号。
南無不可思議光佛が八字。(これは高田専修寺に唯一84歳の親鸞筆のが現存)
南無不可思議光如来が九字だが、現存せず。
さいごに、帰命尽十方無碍光如来で十字。きのう、なにかどこかでこれを親鸞が書いてあげたというのを読みましたな。ああどこで、なんだったかな。あんまりつめこみすぎて、わからなくなってしまいやした。とほ~

※7

円光大師行状画図翼賛

ここで読める。すごい時代だなあ!http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819977/104

▼かささぎの旗の独り言

梯實圓師は水月さんのおっしょさんであるそうです。
亡くなる前、水月さんは師を天才だといわれていたっけが。

そりゃそうと、かささぎ、かなり恣意的に脚注をすっとばしています。

だっておそろしい分量だもの!
これらを全部書き写して、自分でもどういうものなのかを原書にあたり、逐一納得して腑に落ちて転載できる間があればよいが。とはおもうものの。あたしゃ坊さんじゃないから。そこらのミーハーなおばちゃんじゃけん。

きょうの文章のなかで、もっとも印象にきざまれたのは、膨大な釈迦の教えの中から、ただ一つをえらぶこと、そのとてつもない、命懸けの重さです。

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