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2014年5月30日 (金)

ストップ少子化・地方元気戦略(20) 団塊の世代が高齢者の定義から変える

保健医療経営大学学長

橋爪章

2014 年 5 月 30 日 ストップ少子化・地方元気戦略(20)

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日本創成会議・人口減少問題検討分科会が掲げる『女性・人材活躍戦略』の実現のための具体的な施策の続きです。
②高齢者の活躍推進
(「高齢者」の定義見直し)
○団塊世代がほぼ65歳に到達しつつあり、その後も生産年齢人口の減少は続くが、「高齢者」とされる人々が「支えられる側」から「支える側」に回ることができれば人口構造の様相は大きく変わる。その点で言えば、社会保障制度等において「65歳以上」を「高齢者」として一律に「支えられる側」に位置づけていること自体を基本的に見直すべきと言える。例えば、医療保険制度では、様々な意見があったが「75歳以上」の「後期高齢者」を別建てとする制度が定着してきている。年金制度について現在65歳への引き上げを段階的に進めている「年金支給開始年齢」をさらに引き上げていく方向で検討を進めるなど、社会保障制度全体における「高齢者」の定義の見直しに取り組むべきである。
(高齢者の就労促進)
○意欲と能力のある高齢者が年齢にかかわりなく働くことができる「生涯現役社会」の実現に向けて、高齢者にふさわしい多様かつ柔軟な働き方が可能な雇用・就業の機会を確保していく必要がある。このため、高齢者の継続雇用や再就職に対する支援強化のほか、地域のニーズに応えた高齢者の活躍の創出、定年退職者が農村に移住し農業に従事する「定年帰農」の推進などの総合的な取組を推進していく必要がある。
○2025年には標準的な引退年齢は65歳となるが、更なる引退年齢の延長に向けた取組が欠かせない。高齢者の多様なニーズに対応する観点から、年金制度についても「繰上げ・繰下げ受給」、「在職老齢年金制度」の見直しを検討する必要がある。

(保健医療経営大学学長ブログ転載)

▼かささぎ日誌

過日の還暦同窓会をきれいなアルバムにして世話人さんが送ってくださった。
さくらが満開の母校の中学の写真が表紙を飾っている。
紅葉の木をいっぽん、校庭のすみに植樹させてもらったとのことで、同窓会当日、地元の福島八幡宮でお祓いをしてもらったあと、みんなで木を見に行った。その写真もある。
物故者追悼もくみこまれている。
八人の同級生がなくなっていた。
「すくないね」と東妙寺らんの連れ合いの古賀音彦さんがいったそうだ。
「自分たちの時は二十人を超していたよ」と。
団塊の世代の端っこなのかな?いえいえ音彦氏は一つか二つ上。
しかしこのわずか一歳か二歳の差っておおきいのかもしれません。

団塊の世代とは、以下、ウィキペディア。

人口論による一般的な定義としては、第一次ベビーブーム時代の1947年から1949年までの3年間に出生した世代を指す[2]。この世代の年間出生数は250万人を超え、1947年(昭和22年度)は267万8792人で、1948年(昭和23年度)は268万1624人で、1949年(昭和24年度)は269万6638人で[3]3年間の合計は約806万人にのぼる(厚生労働省の統計[4])。

この世代名は、人口面からの分類法であり、堺屋太一による「ノジュール」の訳語による語源の由来と密接に関係している。

団塊世代が生まれる前は戦中、戦後直後であり、出産を先送る傾向にあった[5][6]。その反動だけでなく、第二次大戦終結に伴って男性が復員し、1940年代後半に婚姻をする男性が増加したことに伴う出生人口の大幅な増加も発生し[7]、ベビーブームが発生した。

1948年(昭和23年)までは、一部の例外(強姦姦通)を除き、一般的に産婦人科での避妊中絶不妊手術などの行為は、刑法堕胎罪となり禁止されていた。1948年(昭和23年)に優生保護法によって限定的に容認して、さらに翌年の1949年(昭和24年)に同法は改正されて、「経済的な理由」での中絶も容認することになったため、出生率の増大に歯止めがかかり、1950年(昭和25年度)以降は出生率が低下していった。団塊の世代の母親までは、産婆による出産が主流であったが、昭和30年代には産婦人科医療による出産が主流となった[8]

このため日本においては、1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)に生まれた人口が突出する結果となった。

作家の堺屋太一が通商産業省鉱山石炭局在籍時の1970年代前半に命名し、1976年(昭和51年)に発表した小説『団塊の世代』で、「団塊の世代」が日本社会に及ぼす大きな影響が一般社会にも認識された。アメリカ合衆国でも同様の現象が見られており、こちらは「ベビーブーマー」と呼ばれている。

連合国軍占領下の日本で誕生し、実の父親が戦死して母子家庭となった例や、本土空襲などの戦災体験がない世代である。また、昭和40年代にヒット曲となった「戦争を知らない子供たち」に象徴される「戦争を知らない世代」で「初の戦後(第二次世界大戦後)生まれ」である。


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