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2014年4月24日 (木)

大子おばあちゃん今年の一文は、『修学旅行』

大子おばあちゃん

大子おばあちゃんは従姉(父方)のお姑さんです。
九十いかれたかな。ご高齢ですがお元気なご様子。

あたまがしっかりされています。
みちよちゃん(いとこ)によれば、去年から週二回、デイサービスに行ってるとのことです。

修学旅行

  木附大子(八女市山内在住)

昭和九年、八女高等女学校最終学年に、修学旅行で京阪地方に行きました。
旅費は毎月五十銭の積立てで、二十四回だったと思います。その日をどれだけ、待ったことでしょう。桜の季節でした。
行きは船、帰りは汽車でした。多分、門司からウスリー丸という大きな船に乗りました。満州の皇帝が乗られたことがあった船だそうです。私には初めての船で、甲板に上がって海をながめていたら、クラゲがたくさん浮いていました。
夕食は思いがけないごち走でした。
夜は仲よし友達三人と毛布にくるまって休みました。私たちは眠っているふりをしましたが、外の友達の話声が多く、先生から度々注意されていました。私たち三人はほめられました。
上陸した所は忘れましたが、最初に行ったのは伊勢神宮外宮でした。おごそかな気持ちでお参りしました。五十鈴川の流れにおさい銭が光っていました。
奈良へ行き東大寺見物に行きました。大仏様の大きさにびっくりしました。●●の池は有名ですが、水がにごって美しくありませんでした。奈良公園には鹿が沢山いました。

せんべいを買ってくれろとせがむ子の
 哀れな声に足ゆるむなり

大阪では、大阪城、毎日新聞社、造幣局を見学しました。新聞社では生まれて初めてのカレーライスを食べました。味はおぼえていません。造幣局では、お金がぞくぞく出てくるので、一枚ほしく思いました。
京都では、夜おじいさんの家に行きました。おばあさんが旅館へ迎えに来て下さいました。
実は、父が京都のおじいさんの所への宿泊許可を受けていたのです。
夜、おばあさんと新京極の町へ出かけました。真昼のように明るい店が並んでいました。おばあさんから、姉と私にしぼりの立派な帯揚げ、母と叔母に上等な半衿を買っていただきました。全く思いがけないことだったので、今度の旅行で最高に嬉しかったです。
京都では、金閣寺、銀閣寺に行き、私達は金閣寺の上に上がって見学できました。お宮の名前はおぼえていませんが、大きな家の軒先に番傘がありました。石川五右衛門の忘れた傘だそうです。今ではもうなくなっているでしょう。京都ではあちこち見物しましたが、今では全く忘れていて思い出せません。
お小遣いのゆるす限りのお土産を買ってきました。そして何の事故もなく夜行列車で帰ってきました。

八女市老連広報の上記写真より引用しました。
携帯写真で密度が粗く、ふたつの文字が不明、おわびいたします。

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コメント

猿澤の池でした
確認してきました

よりによって今この時期にこの話題、しかも船旅は。と思いつつも、写しました。
古い記憶をきれいに保存しておられることに驚嘆。積立の額までも。
八女高等女学校、もしや母校の前身ではなかろうか。百周年記念のアルバムを探してきて、見てみました。
みつけた!昭和10年卒、平島大子、この少女だ。お名前が珍しいので探しやすかった。、おかおも印象もそのままです。ずっと、一番最初の、明治45年の5町村組合立福島技芸学校の写真から見てゆきました。(この時代は着物で、髪は全員ポンパドールです。ドラマみたい)
大正十三年卒からセーラー服の洋装になっています。そして、写真も、集合写真から、今に続く、一人ずつの丸枠に収まる式になっている。技芸学校から福岡県立八女高等女学校に名前がかわったのが、大正11年卒から。
(石橋秀野の少女時代、藪秀野のアルバム、大正十三年ころの文化学院中等科の卒業アルバムと内心比較したりも。ひでのさんはおしゃれだったなあ。あの学校は特別よね。そうそう、最近あの俳優さんも文化学院卒とはじめてしった。津川雅彦。へえ~。真鍋呉夫先生もですからね。)

男女共学の福島高校になったのは、昭和24年からです。
昭和27年卒業の写真にはのちの五木寛之、松延寛之少年がいます。2組。おなじとしの5組の写真に、かささぎの旗が高校時代に同級生だった少年とおなじお顔の先生がいて、名前をみると少年の父親。おもしろいです、おなじ顔だから。
このブログにときにコメントをくれる、歌人の山下整子も、せいこさんの先日なくなった母上(歌人)も、、ぼんもらんちゃんもスミ先生もいらっしゃる。
竹橋乙四郎の母上も、かささぎの旗の従姉で大子おばあちゃんの長男の嫁であるみちよちゃんも、おなじアルバムのなかです。みんな、おなじ十八の時のかおをして。
見るたびに新しい、古いアルバム。
百年ぶんの情報量。
おかげさまでひろげる機会をえました。

ちゃんとした教育をうけていらっしゃることがわかります。
この時代に、高等女学校にいけた人たちは、エリートだったのです。
ちなみに、わたしの母は、黒木町の青年学級が最終学歴ではないかなあ。
こんどよくきいてみよう。

ほんと。

上野にあるのは不忍池ですか。

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