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2014年4月20日 (日)

龍の谷から 7 ~ 教行信証後序と古田武彦とみだりに真鍋呉夫

▼かささぎ日誌

きのう、TSUTAYA積文館に「光厳天皇」を受け取りに行く。
杉浦古典研究室で紹介されていたのを読んだときhttp://geocities.yahoo.co.jp/gl/kiyoshi0302/comment/20140201/1391252008#comment、気になる時代だったので読みたいと思ったのですが、その後、熊本専妙寺の故渋谷幽哉師のおまごさん、ゆかりさんから、映画永遠の0にからんで、コメントをいただいたことで、あることに気づいて、だんだん気になり、とうとう手にいれました。
永遠の0、原作のモデルのひとりである大石政則学徒兵が自分ののるはずだった機と交換した、油漏れする機に乗ったのが船川睦夫という名前の兵だったことに気づき、その方のお名前と、光厳天皇著者のお名前、深津睦夫氏とが重なってしまったのでした。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_7093.html

その後、お茶屋さんに行って普段のみのお茶を買い、近くのマルキョーで買い物をして帰る。

帰宅したら、水月さんから論文一本届いていた。
まだ「親鸞聖人と行空上人」のうちこみが妙なところで中断したままなのですが、送られてきた『親鸞聖人と安樂房遵西上人』を一気に読む。

これもたいへんおもしろい。
だんだんとリアルに近づく。
こんなところで古田武彦先生にであうとは。
そうか、この論文自体、古田武彦先生の先行研究がなければ、かかれなかったものなのですね。
副題が、「古田武彦氏への疑問」です。

その 冒頭を、いま、ここに引きます。

そのほうが興味がわくと思うからです。

親鸞聖人と安樂房遵西上人
ー古田武彦氏への疑問ー

   森本光慈(水月)

  一

 親鸞(1173~1262)は、主著である『顕浄土真実教行証文類』の後序に、次のように述べている。

 ひそかにおもんみれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛んなり。しかるに諸寺の釈門、教に昏くして真仮の門戸を知らず、洛都の儒林、行に迷ひて邪正の道路を弁ふることなし。ここをもつて興福寺の学徒、太上天皇[後鳥羽の院と号す、諱尊成]今上[土御門の院と号す、諱為仁]聖暦、承元丁卯の歳、中春上旬の候に奏達す。主上臣下、法に背き義に違し、忿りを成し怨みを結ぶ。これによりて、真宗興隆の祖源空法師ならびに門徒数輩、罪科を考へず、猥りがはしく死罪に坐す。あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて遠流に処す。余はその一つなり。しかればすでに僧にあらず俗にあらず。このゆゑに禿の字をもつて姓とす。空師ならびに弟子等、諸方の返州に坐して五年の居諸を経たりき(1)。

この一段の文章を、親鸞が越後に流罪中、承元の専修念仏大弾圧に抗議して、朝廷の外記長へ提出した奏状の一節であることを明らかにされたのは、古田武彦氏であった。

(意訳)私なりに考えてみると、聖道門のそれぞれの教えは、行を修めさとりを開くことがすたれて久しく、浄土真実の教えは、さとりを開く道として今盛んである。
 しかし諸寺の僧侶達は、教えに暗く、何が真実で何が方便であるかを知らない。朝廷に仕えている学者達も、行の見分けがつかず、よこしまな教えと正しい教えの区別をわきまえない。このようなわけで、興福寺の学僧達は、後鳥羽上皇、土御門天皇の時代、承元元年二月上旬、朝廷に専修念仏の禁止を訴えたのである。
 天皇も臣下のものも、法に背き道理に外れ、怒りと怨みの心をいだいた。そこで浄土真実の一宗を興された祖師源空上人をはじめ、その門下の数人について、罪の内容を問うことなく、不当にも死罪に処し、あるいは僧侶の身分を奪って俗名を与え、遠く離れた土地に流罪に処した。私もその一人である。だからもはや僧侶でもなく俗人でもない。このようなわけで、禿の字をもって自らの姓としたのである。源空上人とその門弟達は、遠く離れたさまざまな土地へ流罪となって五年の歳月を経た。

 ※かささぎ註:意訳はここからいただきました。
http://www.mnet.ne.jp/~k-yumi/right.html
ありがとうございました。

水月師の論文、全文引用できればそうします。

連句人かささぎは、この親鸞の抗議状のなかの、猥りがはしく、という言葉に、ぴくりと反応します。

みだりがはしく。引用はりつけの意訳では、不当にも、と訳しておられますが、すこし、ちがうのではないか。

みだりに、とみだらには、まったく意味が異なります。
濫りに、妄りに、漫りに、とも書くようです、みだりに、は。
意図せず、という意味を含んだことばで、なんの考えもなく、というのが一番いい訳ではなかろうか。不当にも、とおなじようでも、微妙に違います。

ここでふいに出てくる、真鍋呉夫。

まえがきのある一句があるんです。ちょっとまってください。
さがしてきます。

あれはたしか雪女。

あったあった!「真鍋呉夫句集定本雪女」でした。

不慮の事故により大学卒業直前の史朗(ふみあき)君を失ひし堀江紀美江さんへ
みだりに「子持鱈口閉ぢ雄鱈口開く 墓石」をふまへて

口ひしと閉ぢてせつなや子持鱈  真鍋呉夫

かささぎは、つい最近、このなかの「みだりに」が妙にひっかかって、ネット辞書でしらべたばかりでした。

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韓国の水難事故、まだ高校生は生きておられる、どうか助けてあげてください。なぜ日本の海猿たちは助けに行かないのか、かささぎはわからん。

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