無料ブログはココログ

« 広川の龍穴 | トップページ | 夜の牡丹 »

2014年4月16日 (水)

龍の谷から 6 ~  水月さんの調査結果報告

水月・文
姫野さま
今日、龍谷大学の図書館に行って調べてきました。

五分もかからず結論が出ました。
その前に、貴女に教えていただいたサイトには次のように記されています。
土御門天皇の代、1207年(承元元年)に法然の弟子である法本坊行空安楽坊遵西が、女犯の罪で羅切の刑に処せられたとの、『皇帝紀抄(巻7)』の記録がある」
そこで皇帝紀抄』を探すと、塙保己一(1746~1821)の『群書類従』第三輯に収録されていました。厳密には皇帝紀抄』の原本、あるいは他の写本等を参照しなければなりませんが、まあ『群書類従』所収本で充分でしょう(ただちょっと疑問点もありますが)。そして該当する巻七の「土御門天皇」のところを見てみると、承元元年二月十八日の条に次のようにあります。(原行格のまま、返り点は省略、〈○○〉としているのは割註)
元年二月十八日。源空上人〈号法然房〉配流土佐国。
依専修念仏事也。近日件門弟等充満世
間。寄事於念仏。密通貴賤并人妻可然之
人々女。不拘制法。日新之間。搦取上人
等。或被切羅。或被禁其身。女人等又有
沙汰。且専修念仏子細。諸宗殊鬱申之故也。
これによると、まず一行目、「源空上人〈号法然房〉」と法然の名は出ていますが、その門弟の名は出ていません。二行目、「近日、件(くだん)の門弟等」というのみです。行空どころか、安楽の名さえ出ていないのです。そして三行目、「事を念仏に寄せて、貴賤ならびに人妻、しからざるの人々の女と密通す」(この書き下しが難しく、適切かどうかわかりません)とありますから、これは承元(建永)の法難を密通事件として捉えようとする弾圧者側からの記述とうかがえます。続いて四行目、「上人等を搦取し、或いは切羅を被(こうむ)り、或いは其の身を禁じらる。女人等、又沙汰有り」とあります。法然たちを逮捕したというのです。そのなかに問題の「羅切」が出てきます。しかし、誰が「羅切」を受けたのか記されていません。ここが大事です。先のサイトには「法本坊行空安楽坊遵西が」といわれていますが、どこにもそのようなことは記されておりません。この条の前後にも行空と安楽の名はありません。そのサイトを書いた人はどこをおさえて行空と安楽といっているのでしょうか。はなはだ疑問です。また、昨日のメールに書きましたように、辻善之助氏は「羅の字は頸字の誤写であらうと思ふ」といわれています。つまり首を斬られたということです。この法難で死刑になったのは、西意善綽房と性願房と住蓮房と安楽房の四人であることは『歎異抄』の流罪記録などで明らかです。そうすると『皇帝紀抄』の「切羅」は「切頸」となりますから、安楽のことであるとはいえても、行空のこととはいえません。行空が佐渡島に流罪になったことは同じく『歎異抄』の流罪記録などで明らかです。したがって、行空が羅切の刑を受けたという根拠は崩壊します。おそらく行空は、『皇帝紀抄』の記述にしたがえば「或いは其の身を禁じら」れて、佐渡島へ流罪になったのでしょう。そのように結論づけます。
ちなみに私が行空のことを調べていったなかの副産物として、拙稿「親鸞聖人と安楽房遵西上人─古田武彦氏への疑問─」を書きました。行空の論文と重複する部分がありますが、おそらく誰も気づいていないであろう点を見つけたので発表しました。よければお送りいたします。
それから、貴女がおっしゃっていた「誰が刑を断行したか」についてはまず後鳥羽上皇といわねばならないでしょう。その逆鱗に触れて弾圧が決行されたのです。そして『歎異抄』の流罪記録などには「二位法印尊長の沙汰なり」とあります。「二位法印尊長」とは一条能保の子だそうです。それにしたがえば彼が実際に刑を執行したことになります。ただし詳しいことはわかりません。参考書として中野正明氏『増補改訂 法然遺文の基礎的研究』p443~446があることだけ記しておきます。
それから、星野村の方々と高野山の本覚院が深い縁でつながれているのは尊いことで、私がとやかく申すことではありません。ただそれをつなぐ行空が、法然の弟子としての行空ではなく、『法華験記』に出ている行空だと思うだけです。
それから石山合戦のときは、本願寺はまだ一つで、本願寺派・大谷派と分かれていません。分かれるのは徳川の時代になってからです。
もうひとつ、谷に龍と書く方は「ながたに」と読むそうです。
▼かささぎの旗
そうでしたか!!
すごいという言葉、使いたくないですが、仕事が早くて、すごい。
龍谷大学には本が揃っていますね。それもすごいと思います。
いやあ、そうでしたか。
水月さんの調査で行空のイメージが保たれました。
安樂房というお坊さんのイメージはジャニーズ系のそれも女性的なかんじの美形であったのでは、という想像がわきますが、行空は、ずっと年齢も上で、そんな色恋のうわさが立つようなかんじの人ではなかったのではと思えるので、別の処分だったろう。
でも、なぜ、行空までそんな網をかけられたんだろう。
いつからそんなことになっていたのかな。現代か?
それとも当時にもそんなことを書いたものがあったのか。
これはわかりませんね。だれかの日記とか文芸のなかで出てないのかなあ。
結論として、ウィキペディアが正しいとは限らない、のですね。
水月さんが書かれた論文、送っていただけるとありがたいです。

« 広川の龍穴 | トップページ | 夜の牡丹 »

コメント

銆屽熀绀庡寲绮у搧銈勩儭銉笺偗钀姐仺銇椼倰銆併儨銉堛儷銇伨銇俱儑銉笺儓銇寔鍙傘仐銇︺亶銇熷瓙銇屻亜銇俱仐銇熴€?椋层伩銇銇撱亞銇ㄨ獦銇c仧銇犮亼銇伄銇€併亰娉娿伨銈娿儠銉偦銉冦儓銈掕鍌欍仐銇︺亸銈嬨仯銇︺€併仼銈撱仩銇戞湰姘椼倓銈嬫皸銇屻伩銇亷銇c仸銈嬨伄銇嬨仺銆傘亾銈屻倰鐩伀銇椼仸钀庛亪銈嬬敺銇儠銇犮亼銇с伅銇亜銇仛銆?
[url=http://www.ivc-library.com]air jordan 3[/url]
air jordan 3

ワンコインでグラスに注いで下さいますので、多数の種類を楽しむことが出来ます。カクテル類も多数用意してあり、取り立てて上手いと言うほどでは無いながらも「濃く」作ってくださり、良心的だなぁと感じます食事も水準以上で、お値段のことを思えば十分に満足できます。「名物」の豆乳鍋も美味しいですよまさしく「会社帰りにちょいと一杯」というお店です。
quimica-chemistry

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 龍の谷から 6 ~  水月さんの調査結果報告:

« 広川の龍穴 | トップページ | 夜の牡丹 »

最近のトラックバック

2020年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29