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2014年4月12日 (土)

親鸞聖人と法本房行空上人 ~ 一の後半

四月十日付のhttp://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-4e5c.html
からの続きです。

 文・水月(森本光慈)

 ここに「二百余人」といわれているが、二尊院本では百九十名の連署である(6)。しかし二尊院本を写真版で見ると、第百九十番目の「向西」のあとに余白がなく、一紙ほど欠落しているように見える。そこで元々は「二百余人」の連署があったのかもしれない(7)。そのうち『西方指南抄』は二十二名だけ記し、あとを省略している。そして第十九番目の「源蓮」までは二尊院本とまったく同じである。ところが第二十番目の「蓮生」は二尊院本では第八十九番目にあり、第二十一番目の「善信」は「僧綽空」として第八十七番目にあり、最後の「行空」は第四十番目に記されている(8)。この順序の相違について松野純孝氏は

 親鸞は第十九番目の源蓮まで忠実に原本どおりに書写し、この辺で打ち切り、第二十番目に自分の名「善信」を記して、あとの連署名二百名足らずを略そうとして、「已上二百余人連署了」としたのであろう。ところで、第二十番目に「善信」と記そうとしたが、蓮生房熊谷直実を忘れることができずに、自分の前に「蓮生」を記し、そして次に「善信」と記した。ところが、また行空のことが思い出されて、「行空」と書き加えたのではなかろうか。おそらく蓮生房熊谷直実や法本房行空は、親鸞の吉水時代の友として、特に生涯忘れることのできなかった人たちではなかったか(9)。

といわれ、霊山勝海氏もその解釈を「事実に即していると思う(10)」といわれているとすれば、親鸞と行空は吉永時代の友ということになるであろう。
ただ私は、蓮生については別の機会に譲るとして、『西方指南抄』に収められた「七箇条制誡」の連署名の最後に、「善信 行空 已上」と書かれているところに着眼したい。それは、単に親鸞が五十年ほど前を回顧しているだけでなく、少なくとも親鸞から見た行空という人の実像の一端が示されているのではないかと思うからである。

    

▼かささぎの独り言

連署名の順番ということでまず思い浮かぶのは、切腹の順番を書いてあったものです。
あまりにもこころにつきささったものですから、連句での付け句にもしました。
(切腹の順番決まる月の下)

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-494e.html

いま、この本荘平さんの書かれたものを読み返していたら、さいごに系図が書かれていることに気づきました。平のひとつ前に、一樹とあります。

この先生のお名前http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-7fcc.htmlと同じです。なんと・・・。

わたしの家の兵隊おっちゃん(姫野正義)の恩師である先生の息子さんが書かれた文章だったとは。

さいごに、連句のあれこれを教えてくださった兵庫の前田圭衛子先生がおっしゃってたのは、

人の作品をたくさん並べるとき、自分のはいちばん最後に書くのよ。

ほかには、うまい人ベテランの作品ほど、あとに書くこと。ともおっしゃっていた。

あと、おもいつくことは、私の母がちょうどこのときの親鸞とおなじ年84歳ですが、あたまはしっかりしています。それはわたしがすべてを母に任せているからですが、親鸞聖人もきっとまだ現役そのものの重責を負うておられたのではないか。とはいえ、もうそれはそれはくたびれていて、母は手紙は書きますが、字が去年と比べると、かなり劣化しています。
先日も孫娘(わたしの長女、福岡にいます)の送ってくれたおみやげのお礼状を書いて、中に千円同封(笑)し、きょうこさん、だしておいて。と。

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