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2014年4月 6日 (日)

「篁に一水まぎる秋燕」    角川源義

戦後派俳人作品鑑賞

  批評・三輪たけし

篁に一水まぎる秋燕    角川源義(かどかわ・げんよし)

 一読し、言葉同士の関係が曖昧で解りづらい作品。
辞書検索や、周辺情報収集をしてみた。
 篁=竹が群がって生えている所、たけやぶ。一水=ひとすじの水流、水や酒のひとしずく、一滴。秋燕=秋になって、南国へ渡って行く燕。「まぎる」は、紛る=入りまじって区別がつかなくなる、はっきりしなくなる、似通っていて見分けがつかなくなる、とも、間切る=波間を切って船を進める、間切り走りで帆船を進める、とも読め、「一水が紛る」、「秋燕が紛る」「一水が間切る」「秋燕が間切る」等色々な解釈ができる中で、「竹やぶに見つけた一筋の水流の波間を切って、秋燕が南に帰郷していく」が納得し易い。

 結社「河」関係者によると、飯田蛇笏逝去の折、山廬後山を逍遙し、その緑を流れる狐川の景を詠んだもののようである。伝統俳句の叙情性を主張し、二句一章を標榜し、立句の美事さに刮目した源義の俳句がいきいきと一句に凝縮されている。結社では、源義忌日の十月二十七日を「秋燕忌」としている。

 蛇笏には「高浪にかくるる秋のつばめかな」「天すみて火祭了へぬ秋つばめ」「秋燕に日々高嶺雲うすれけり」などの句が有り、オマージュなのかもしれない。一方、源義の代表句は「花あれば西行の日とおもふべし」「ロダンの首泰山木は花得たり」等。

 批評・橋本七尾子

 人が着るものや立ち居振る舞いによって、その印象が大きく変るように、俳句も使われている言葉によって内容は同じようであっても、その格とか品位が違ってくる。語彙の少ない私はここの所が悩みである。ろくな衣服をもっていなくて、動作も粗雑な人間と同じということになってしまう。
 この句は凛として気品のある姿だと私にしても判る。そのよって来る所は、何よりも一句に使われている言葉にあるのだろう。まず、「篁」。「竹叢」「竹群」「竹林」「竹藪」などと同じようであって同じではない。高貴さをかもし出しているのは皇の部分のゆえだろうか。
 「一水」という言葉も私には到底思いつかない。流れとも言えない位細い流れだろうか。篁の中に入っていけば、降りつもった落葉の中に消えてゆきそうだ。一筋の流れは篁へとまぎれ入り、そしてまた竹落葉の下へと消えてゆくのだ。私たち古い人間にとっては見慣れた、ほとんど日常の光景が、美しい言葉を用いることによって秀れた俳句の姿に装われる。「馬子にも衣装」などと言ってしまっては身も蓋もないけれど。
 「秋燕」はどこにいるのか。篁と燕の位置関係がいまひとつ解らないのだが、まわりを飛ぶのか、上を飛ぶのか。そこまでの格調高い言葉づかいを、秋燕が受けて立てるのか。教えてもらいたいと思う。

  批評・横山康夫

 句集「秋燕」に収められたこの句は、謂はば角川源義の代表的な作品なのであらう。句集名がこの句に拠つてゐること、その忌日が「秋燕忌」とされてゐることなどから、自他ともに認める作品と推測される。悪い句ではない。立風書房版『鑑賞現代俳句全集』第十巻の吉田鴻司の鑑賞によれば、飯田蛇笏の葬儀に参列したときの一連の作の一つであるらしい。源義は蛇笏を慕ひ、俳句の師と仰いでゐたといふが、いづれの略歴・年譜を見ても「師事した」とは出てゐないので私淑してゐたのであらう。蛇笏の作品の格調の高さや句柄の正しさを考へれば、それは肯へることではある。
 この句は歳時記にも載つてゐる作品で、前書なしの単句で読めば蛇笏との関係性などは読み取れない。私はこの句を蛇笏との関係に凭れて読むのには不賛成だが、読んだ一、二の鑑賞文では、「一水」は山廬の近くの狐川であるとか、「秋燕」に蛇笏が投影されてゐるとか、作者の深い悲しみが伝はるとかの言挙げがあつて、少々首を傾げた。むしろここは「篁に一水まぎる」をどう読むかが重要で、断然、「まぎる」に注目すべきであらう。この語はものが入り混じつて目立たなくなるとか、区別しにくくなるの意味である。となれば、かなり高い位置からの鳥瞰的視点で詠んでゐることは明らかである。つまり遠望の景なのだ。そこへ「秋燕」だから、どちらかといふと燕の方が近景といふことにならう。先に「悪い句ではない」と述べたが、それはかういふ景を叙した句として一応整つてゐるといふ意味である。この句については蛇笏との関係に凭れた鑑賞をするのではなく、格調とか句柄とかを尊重した源義なりの蛇笏への挨拶の句程度に受け止めておく方がよいのではないか。

以上、俳句誌『円錐』2014・春、第60号より転載

 批評・かささぎの旗

 わたしは「秋燕」初版本を神田の古本屋で求めて所持している。
が、まだ、きっちりと落とし前をつけたわけではない。ざざっと、すごい速さで取りこぼしながら読んで、そこに古くて厳(いかめ)しい言葉、あるいはこの人のたつき=書店経営から来る独特の商売言葉を見出し、それがいかにも身に付いた自然さで風格を保ちつつ書かれているものだから、こころ打たれてしまったのであった。
 それから、あとがきをじっくり読んだ。
 この一句を得たのは、蛇笏葬儀のときだと書かれている。
 わたしは、橋本七尾子さんも最後に書かれているように、あきつばめという語では平凡すぎて、上五中七の俗人の手垢にまみれていない、光がどっくんどっくんと脈打つ熱い鋼をとても受け止めることはできないのでは、と危惧してしまったので、せめて句集の題名は、「しゅうえん」だろう、と、確認したくてうずうずして、うしろをめくって見たのだった。
 はたして、ルビはふられていず、がっかりした。けれども、あとがきをみて、確信した。
これはアキツバメではない、「しゅうえん」だと。
ふしぎだが、おなじものでも音が違うとまるで姿が違ってくる。

「この句集に収めた九年間に私の師事し、敬慕した数多くの人々を野辺に送った。自ら挽歌が多くなった。」とあとがきには書いてあった。

そして、つぎのくだりがわたしを大層惹きつけて離さなくなる。

「家業に専心することを、自分に言ひきかせてきたつもりなのに、偶然与へられてみると、若い人々の前に立って、古典を講義するのに夢中な自分を見つけ、思はず、はっとした。しかし、いまのわたしは、生涯のうちで、いちばん生甲斐を感じてゐるやうである。
 中学時代の私は、俳句に懸命の地を見出そうとした。大学に進み、柳田、折口両先生に師事すると、たちまち変節して、学問一途な自分を夢見た。ながいあひだ、わたしはどちらの神にも見離され、出版といふ家業を選んでゐた。私の青春時代に大戦争がどっかりと座を据ゑてゐる。一兵卒のままで焦土の東京に戻った私は、祖国が私の学問の上でも、愚かしい俳句と云はれるだらう世界からも追放されてゐるやうに思へた。
 私は美しい日本、なつかしい日本をささやかながら出版といふ企業のなかで記録したいと思った。一兵卒としては決して勇敢でなかった。しかし一市民としての私は閉鎖された日本に勇敢でありたいと願った。」

ここから源義が述べる言辞は、石橋秀野や山本健吉とおなじ熱を帯びて、まるで青年のようである。

角川源義は石橋秀野の葬に関しても優れた弔辞を呈しているし、西東三鬼とも親しかったようだ。
もっときちんと読んで、たくさんのことを教わりたいと思う。そこはすごいものがある。
語彙一つとっても、現代のわたしたちの喪った貴重なものがザクザクと転がっていて、辞書が手放せない。

さいごに、この篁の一句から、私は古典の中の小野篁を連想した。
そして篁を自分のなかに流れる血とも感じていた山本健吉の高い視座を。

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