無料ブログはココログ

« 360円の工員さん弁当 | トップページ | 第6次医療法改正(11)   「病床機能報告」制度 »

2014年3月 6日 (木)

渋谷幽哉遺稿集より 「ひよこ飛びなさい」6

渋谷幽哉・文

特別攻撃隊編成

昭和二十年四月三日、近く発令の菊水作戦に合わせて、早朝から艦攻・艦爆とも特攻部隊が南薩の基地に向けて発進し始めた。八幡護皇隊の誕生である。特別訓練を受けていた艦攻同期の桜がまず二人、飛行時間も三百時間足らずの「ひよこ」のままで敢然と出発した。明けて六日さらに三人、飛行帽に日の丸のはち巻きをしめ、ライフジャケットに桜の花を飾り、隊員の見送るなかを南の空に消えていった。
四月七日朝、さらに六人が出発。隊内に慌ただしい空気がみなぎる半面、学生舎内は次第に寂しさを増してきた。「散る桜、残る桜も散る桜」の感慨をひしひしと味わいながら、先に行った連中はもう基地から沖縄に出撃しただろうかと考えていた。午後四時ごろ、突然私を含めて六人が司令室に来いと命ぜられた。「きたぞ」と神妙な気持ちで司令室に行くとテーブルに白布がかけられ、真ん中に一升びん、周りに湯飲みが置かれていた。やがて司令が来て「みなさんの最後のご奉公、うらやましく存じます」と自ら酒をついでくれた。生命をくれということだと悟ると、一瞬言いようのないものが体を貫いて走った。生きて再び帰ることのない旅だ。隊員の”帽振れ”に送られて顔を紅潮させ、宙を飛ぶような気持ちで出発した。

行く先は南薩の串良基地で、艦攻の特攻隊が全国から集まっていた。すぐ近くに零(ゼロ)戦の笠原特攻基地、その隣に艦爆の鹿屋特攻基地があった。基地の宿舎に落ち着くと、すでにT学生だけが出撃して見事敵艦に体当たりしたという。先に出た戦友たちがにぎやかに迎えてくれた。この世ではと思っていた貴様たちに会えて、とてもうれしいと言ったら、皆大笑いした。

しかし当隊に着任報告の際のM司令の不愉快極まりない言葉だけは死んでも忘れないと思った。曰(いわ)く「貴様たちは特攻隊員としてこの基地に来た以上、一人といえども生かして帰さんからそのつもりでおれ」であった。
死はもとより覚悟のうえ、死なぬやつが何を言うかと思った。
ほかの連中もよほどしゃくに障ったらしく、出撃のとき、小さな爆弾を用意して司令の上に落としてやると息巻いた。
兵舎は文字通り、あの世までのしばしの仮住まいだから、おそろしく粗末で、経木ぶきの屋根、モウソウ竹製のベッド、木製のバスなどはその代表的なものだった。死ぬ準備といって、別にすることは何もなかった。きょうかあすか、ただ出撃命令を待つのみ。
一日に三回の飯だけが生きていることの自己確認であった。もちろん「自己の死」を嘆く者はいなかったが、皆それぞれに生死の問題についての内面的な葛藤(かっとう)はあったと思う。私も例外ではなかった。

(つづく)

『至誠院釈幽哉師を偲ぶ 遺稿と専妙寺四百年の歩み』
平成十年九月二十三日発行より転載しています。
発行者 宗教法人専妙寺 住職 渋谷百錬
熊本県芦北郡芦北町

(平成二十年五月十一日 橋爪章氏より受贈)

参照)

大石政則日記の昭和二十年四月三日付部分。
・・はありません。
しかし四月六日ぶんに次のくだりあり。

○九○○出撃搭乗員士官室に集合す。司令来場の上、乾杯す。司令より「今次天一号作戦発動につき、天皇陛下より畏(かしこ)き勅語を賜りたり。しっかりやるように」 と述べられ、愈々(いよいよ)決意を確めたり。
発進前にふと和歌をよむ。写真帖に貼りおくよう戦友に頼む(鉛筆走り書き)

待ちわびし 身に甲斐ありて 大君の
   御盾と飛び立つ 今日の嬉しさ

ダグラスは宇佐ー熊本と南下して串良に着く。
本日一三○○を期し総攻撃開始され、第一次と第二次護皇隊は姫空と共に八○○瓩(kg)爆弾をしっかと抱き、土煙を上げて四小隊に分れ出撃せり。貴島中尉のチョークをとる。総計三十機。次いで天山の特攻機出撃、次いで二五一空の天山隊、夜間雷撃発進。
宇佐護皇隊より電信続々来り、体当り成功、貴島中尉、成田大尉の電に曰く、「我に天佑*あり士気旺盛」、「突撃準備隊形作れ」「攻撃目標B(戦艦)
」また藤井大尉機は「ヒ」連送の後、六時すぎA(空母)に突入す。その他「我突入す」を打電し来る者多し。
政隆、中学入学につき喜びにたえず。特別に何かを祝品と思いしも多忙の折柄不可、本日日記帳に挿入の金子を以て祝す。よく許されよ。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_15d1.html(これに渋谷幽哉師の追悼文「同期の桜」後半を引用して付けている)。

前半はhttp://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_df02.html

« 360円の工員さん弁当 | トップページ | 第6次医療法改正(11)   「病床機能報告」制度 »

コメント

こちらでコメントをさせて頂くようになり、載せていただいた内容について父とよく話すようになりました。

父は祖父の話をかなり覚えていて、こんな話を聞きました。

戦後、祖父が戦没者の式典?か何かに言ったとき、その憎きM司令と再会したそうです。二人の中でどのような会話があったのか…そこまでは父もわからないと言っていました。
なんでも、たまたま会場へ向かう電車(?か、バス)の中で会い、話をしている内に相手が昔の上官だとわかったんだとか。

その時、祖父は何を考えたのでしょうね。


これも父からの新情報ですが。
映画「あヾ同期の桜」に、白川中尉(キャスト.松方弘樹)という人が出てくるのですが。途中で白川中尉の両親が訪ねてくるシーンがあります。
YouTubeで、そこのシーンだけ父から見せてもらいました(笑)
そのシーンは実話で、祖父がモデルなんだとか。と、言うのも監督の須崎勝彌さんが祖父と知り合いだったそうです。

祖父は、その記念に鶴田浩二さんや松方弘樹さんに会う機会があったそうですよ。


自分は安全なところにいて、
一人残らずしんでこい、はありません。読んでて、きさまがしねやん、と思った。
私の子ども時代はまだ余燼が舞っていて、担任の先生が戦争帰りの人でした。殴るという戦争みやげを、生徒にふんだんに振舞われた。わすられない。自分は殴られずとも、見るだけで痛いんです。
しかし、。そのM氏も被害者だったか。

ゆかりさん、
映画の情報、ありがとう。
帰ってさがすからね

幽哉師はこの文章を書かれたとき、三十三年前のことなのに、日付まで克明に記憶されています。兵だから、日誌に残しておられる記録が、原本が、あったんでしょうか。
文中イニシャルになっている人名は、実名ではなかったか、と推測します。
T学生は誰なのか、判るのでしょうね。
須崎氏は監督でいらしたのですね。

Today, I went to the beach front with my children. I found a sea shell and gave it to my 4 year old daughter and said "You can hear the ocean if you put this to your ear." She put the shell to her ear and screamed. There was a hermit crab inside and it pinched her ear. She never wants to go back! LoL I know this is totally off topic but I had to tell someone!

I every time emailed this weblog post page to all my associates, since if like to read it next my friends will too.

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 渋谷幽哉遺稿集より 「ひよこ飛びなさい」6:

« 360円の工員さん弁当 | トップページ | 第6次医療法改正(11)   「病床機能報告」制度 »

最近のトラックバック

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31