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2014年2月26日 (水)

渋谷幽哉師の遺稿より  「ひよこ飛びなさい」4

渋谷幽哉・文

殉職

宇佐空入隊後間もなく、初の慣熟飛行で、私のペアであったO学生とH学生の死に遭遇したのである。われわれの搭(とう)乗機は十三期のN中尉を教官として中間席に、両学生を前後席にして飛んでいた。この機も訓練用のダブルで、前後席の操縦桿(かん)、スロットルレバー、フットバーは連動であるが、この事故の命とりになった修正舵(タブ)を動かす舵(だ)輪だけは前席にしかついていなかった。離着陸同乗で誘導コースを飛ぶのだが、離陸後第二旋回を終わって水平飛行に移り、水平飛行の中間点でフラップを下ろすことによって機速を殺して浮力をつける。するとフラップの抵抗で機首が下がり始める。慌てて操縦桿を引っ張って起こそうとしても不可能である。そこで昇降舵についている五百円札の半分ぐらいの修正舵を下向きにするために舵輪をアップに巻く。これで下向きになったタブはすごい風圧で昇降舵を押し上げる。つまり楽々と機首が上がる仕組みになっている。

ところが前席の学生が下がる機首に動癲(てん)して修正舵輪を反対に動かしてしまったようだ。急角度で機は飛行場の西の海中に真っ逆さまに突っ込んでしまった。二人の学生は殉職、教官だけが瀕(ひん)死の状態で救出された。海軍に入って初めて同期生の通夜をし、翌日隊内葬の前に荼毘(だび)に付するための密葬を行った。寺院出身の私とこれも特攻で戦死した冨士原学生と二人で、命により第一種軍装の上から備え付けの輪袈裟(けさ)をかけて読経をし、中津市の火葬場までお供をしたが、これが私の宇佐空入隊初の外出ということになって、なんとも皮肉なめぐり合わせだった。

帰隊後、分隊士の野中中尉が「おい渋谷学生、娑(しゃ)婆では貴様たちにお布施というものをやらねばならぬそうだが、ここではそうはいかぬ。後で従兵にしかるべきものを持たせるからいいな」ということであった。まさかとは思っていたが、本当に、もろぶた二つに、山のように菓子や酒が運ばれてきたのには恐れ入った。同期生が歓声を上げてまたたく間に処分してしまった。「一人、二人が死んだからとメソメソするな。そんなことでは戦はできんぞ」と気合を入れられた直後だっただけに、こんな出来事が気分転換の一助にもなった。だれかが調子に乗って「おーい、次はだれか渋谷学生にお経をあげてもらえよ」とジョークを飛ばしたので学生舎内は爆笑の渦となった。そしてまた友の死を乗り越えて死にもの狂いの飛行作業が続けられた。そんな昭和十九年十月二十五日、関行男大尉はじめ五人がタクロバン八五度九○分の敵空母四隻と巡洋艦六隻に対し壮烈な特攻攻撃を敢行した。神風特別攻撃隊敷島隊である。

つづく

用語)

1、慣熟飛行

民間ではあまり使わない言葉です。
自衛隊の偉い幹部の人、例えばどこかの基地の司令官などで
パイロットの資格を持っている人が、
普段は管理業務などで殆ど飛んでいない時にその資格を維持するために
その隊の現役パイロットに同乗してもらったりして飛ぶ事を
慣熟飛行と呼んでいます。(以下の記事より丸ごと引用)

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1142464626

2、十三期とか十四期とはいったい何。

海軍予備生徒。飛行科予備隊。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E4%BA%88%E5%82%99%E5%93%A1
この名簿の中に、特攻第一号のはずの久納こうふ(十一期)も、大石政則(十四期)も記されている。筆者・渋谷幽哉も大石とおなじ十四期、さらに須崎勝彌もか。敬称略。

前から予備隊というのはなんだろう。と気になっていました。

あと、山本健吉がそうでしたが、慶應予科入学、というときの、予科とは何。

ついでに調べてみましょう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E4%BA%88%E7%A7%91

1955年まで生きてた学校制度。かささぎが生まれるころまで。
複雑ですね。二年だったり三年だったり。(慶應予科は三年)

3、輪袈裟

わげさ。りんげさ。
輪袈裟(わげさ)は、僧侶が首に掛ける袈裟の一種で、作務(さむ)や移動の時に用いるのが一般的である。
輪袈裟(りんげさ)や畳袈裟(たたみげさ)と呼ばれることもある。(ウィキ)

4、もろぶた

なつかしい。
我が家ではいまでも使っている。もちつきのときに、使います。
ついた餅をまるめて、たくさん並べます。
ほかには、むかしむかし、田植えのときや行事のとき、まんじゅうやあんぱんなどをこれに並べてあった記憶があります。くばりましたねえ。くばるのは子供の役目。

麹蓋と書いてもろぶた、なんだ。へえ~。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q107141510

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コメント

祖父のことを書いていただき、ありがとうございます。

そういえば、昔、祖父が友のためにお経をあげたことがあると言っていたのを思い出しました。
「お経をあげる」→読経することです。

戦時中の話なので、特攻で亡くなった友人にあげたのか…経緯は聞いてないのか(笑)全く覚えてませんでしたが。
他にもお経をあげる機会はあったのかもしれませんが、こういう事もあったのか…と読ませていただきました。

亡くなったお二人…訓練中に亡くなるとは。永遠の0にもありましたが、悔しいですね。

ここで、寺の子である私はついつい「きっと祖父は浄土真宗のお経をあげたんだろうけど、亡くなった方の宗派は同じだったんだろうか…」などと考えてしまうのですが。不謹慎ですね。すみません。

もちろんそんなことは当時は考えてられない訳で…ただ友を弔う気持ち・それだけだったのでしょうね。

ゆかりさん、かたじけないです、助け舟。
実は私のところもおなじ宗派、いつぞや何か別のしらべものをしてる時、専妙寺さんのお名前にも出くわし、そうなんだと思いました。
ブログ縁で東京のさくらさんとかささぎの旗といただきましたおじいさまの追悼文集、当時さらりとよみましたが、映画をみて、呉で戦艦大和やゼロ戦などまでみて、ゆかりさんまできて下さったから、これは記録を残しておけ、ということかなと打ち込むことにしました。
漠然とした疑問を解決しながら、それでも、当時の軍人の心情は憧れです、わからないから。わからないことにとても魅力を感じます。

宗派、いろいろありますねえ。
こだわりなく、行きたい寺に行きますが。
お寺の娘さん、どうか気づいたことをコメント下さいね。
お願いします。

返信ありがとうございます。

こちらの内容は、阿川弘之さん著の「雲の墓標」102頁、103頁に載っています。

父が教えてくれたので、私も少し読みました。

もしよろしければご参照ください。

追伸:先ほど述べたページは、文庫本のページです。

幾度もすみません!

雲の墓標は画文集もあります。
「雲の墓標 別冊 刻」そこの寄稿文のページには祖父の「特攻『生き残り』の記」も載っています。

ゆかりさん、
うわ、ほんとに「雲の墓標」という題の本があるんだ。
以前戦記にとりいれたお寺でもらった本からの転載が、雲の墓標というものでして、いい題だなあ。と感心したのですが、阿川弘之さんのご本に既にあったんですね。
阿川弘之さんのウィキ☟
そもそも、渋谷幽哉師のことはこれまでなにも存じませんで、今うちこみながら、ちょっとずつ学んでおりますが、すでにたくさんの情報がでているんですね。阿川さんのご本といえば、一流です。すごい。ゆかりさんはおじいさまのおかげで、たくさんの歴史のご本をよまれているのですねえ。
また、おしえてください。
若くしてさくらさんみたい。

阿川さんの「雲の墓標」これを読んだときは衝撃的でした。大石日記が事実のみをたんたんと書かれた日記ならば、「雲の墓標」は出撃前の本当の心情が小説家ならではの表現で重苦しく書かれたものでした。
親しくしていただいていた旧海軍の方のお葬式で阿川ご夫妻とお会いしたことあります。
阿川佐和子さんのお父様ですよね。

といふことは、1920年12月24日生まれ94歳の父であるわけだ、阿川佐和子さんは。
還暦の娘さん、私たちと同年輩。

さくらさんはよく読んでいなさる。
よし、次に何を読むか分かった。
ありがとうございます。

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