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2014年2月24日 (月)

渋谷幽哉師の遺稿  「ひよこ飛びなさい」3

渋谷幽哉・文

ここには兵学校出の少尉の偵察学生が在籍しており、彼らはガンルーム士官として士官次室に陣どっていた。われら予備学生は同じ士官でも兵舎住まいの身で、いわば海軍の譜代と外様(とざま)みたいなものであったろう。しかしそんなことは一向気にならぬし、この方が結構楽しくもあった。愛機は日本で初めて引っ込み脚を持ち、主翼の折りたためる低翼単葉の九七式一号艦上攻撃機で、ハワイ攻撃いらい五千時間以上飛んでいるという歴戦機であった。乗員は三人で前席がパイロットで学生、中間席が機長・偵察員で教官、後席が実戦では電信機銃員。訓練中は学生が交代で乗り、見張りと前席の同期生の操縦ぶりを学び、前席の学生に与える教官の注意を聞くことになっておった。一機六人がペアを組んで、代わる代わる乗り組み、「他人(ひと)のふり見てわがふり直せ」をそのまま地でいったわけである。

分隊士は兵学校出身の野中繁男中尉であったが(彼は後に特攻出撃し沖縄で戦死している)、実に立派な士官で、われわれは彼を心から敬愛し、信頼していた。彼こそ海軍士官の理想「粋(いき)でナイスでスマート」を絵にかいたような士官で、われわれが徹頭徹尾いびり抜かれた同じ海兵出の偵学に比べれば、天と地との差があった。私はひそかに彼となら死ねると思ったくらいである。

つづく。

用語)

1.九七式艦上攻撃機・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E4%B8%83%E5%BC%8F%E8%89%A6%E4%B8%8A%E6%94%BB%E6%92%83%E6%A9%9F

2.でんしんきじゅういん・電信機銃員・・・九七式などの三座機においては、
前席が(操縦員、雷撃の照準担当)、中席が偵察員(航法や水平爆撃の照準・雷爆撃手を担当、機長)、後席が電信員(通信機の他に後方旋回機銃も担当)であった。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1226125827

3.爆撃機と雷撃機

爆撃機

・爆撃機
大型で爆弾を沢山積んだり、大型の爆弾(核爆弾やバンカーバスターなど)や対艦ミサイルなどを積むことを想定した飛行機。
おなじ爆撃機の中でも、戦略爆撃機と通常の爆撃機、戦闘爆撃機など種類もいくつかあります。
戦略爆撃機は、主に戦略核兵器を使用することを前提とした、超大型機体で、米軍だとB-1とかB-2とかがあげられます。
通常の爆撃機は、地上基地を攻撃するのが主な用途ですが、今は殆ど役目を失って(地対地ミサイルや、戦闘爆撃機に取って代わられている)専用機体はありませんね。
戦闘爆撃機というのも、今は通常戦闘機のマルチロール化で殆どなくなっていますが、対地攻撃をメインとし、攻撃機よりも多くの兵装を搭載する能力を有しながらも、機動力がある程度優れた機体で、FB-111などがあります。
ただ、上でも書いたように、通常戦闘機のマルチロール化で、今ではFBは存在しません。

雷撃機

・雷撃機
これは第二次大戦あたりで絶滅していますが、当時は魚雷攻撃を行うための戦闘機を雷撃機と言っていました。
ただ、大抵の場合専用機体があるわけではなく、戦闘機・攻撃機に、雷撃装備を行えば(魚雷を積めば)雷撃機です。
太平洋戦争以降では、ミサイルの発達によって、航空機による対艦攻撃は、対艦ミサイルがメインになりましたので、雷撃機という呼び方もなくなりました。
まあ、ヘリや飛行機による魚雷攻撃はありますけど、それらは主に潜水艦に対して行われますので、対潜ヘリ・対潜哨戒機という形になっていますね。

上ふたつの出典はここ、どうもありがとうございます。⇒http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1229381267

4.ガンルーム士官

第一士官次室 いわゆるガン・ルーム。海軍兵学校・機関学校などの出身者で、若い中尉・少尉と候補生の入る室。

戦艦「大和」のガン・ルーム  戦艦「大和」のガン・ルーム。映画「連合艦隊」

戦艦大和のガン・ルーム 同じく戦艦大和のガン・ルーム。映画「男たちの大和」


 「ガン・ルーム」という言葉は海軍関連書を読むと時々出てきます。第一士官次室がガン・ルームと言われるのは、イギリス流に習ったものです。そのいわれは、

 「若い学校出の士官はいつでも戦闘位置につけるように、大砲のそばで起居した。すなわちガンの室である。」ガン(01)

 

 士官たちは最初は大砲の近く寝起きしたようですが、その後軍艦も居住性を考えるようになり、それぞれの室を造りました。しかし大砲(ガン)を離れてもガン・ルームという名前が残ったということです。

※上記は、こちらのブログからの引用です。
写真もそのまま、断りもなく失礼仕ります。
http://ameblo.jp/zipang-analyzing/image-11373070062-12223821100.html

5.野中繁男中尉

ネットで拾える記事から
http://www.naniwa-navy.com/senbotu-nonaka-izumi1.html
(泉五郎  「特攻出撃 宇佐郡像の中の野中繁男君」)

幸か不幸か一号時代の分隊員で特攻散華したのは彼独りである。

http://www.naniwa-navy.com/senbotu-nonaka-toujyou1.html
東條重道  「野中繁男君を回想する」

野中繁男君。同期生中でも私の海軍生活の中で最も忘れ得ない人である。

昭和20年宇佐海軍航空隊から沖縄特攻隊として九七式艦攻で飛び立つのを見送ったのが最後である。「第1八幡護皇隊」の3中隊を引っ張って鹿児島県国分飛行場へ進出。そして、4月6日沖縄に突入した。

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