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2013年12月16日 (月)

香川宜子先生のコメントと連句の時間論、そして池田晶子の時間論

コメント

娘がフェイスブックに乗せてくれた感動をおすそわけさせてくださいね。

Maine Kagawaさんがリンクをシェアしました。

13時間前
.

身内の話で申し訳ありません。
実は私の母がこの度本を出版する事になりまして、この場を借りて宣伝させて頂きます。

詳しくは動画を見てもらえればお分かりになると思いますが、アウシュビッツ収容所での音楽隊と一人のバイオリン弾きの少女の話です。音楽知識は全くいらないので、普段オーケストラやクラシックに馴染みがない方でも十分楽しめると思います。

思えば10年くらい前、いきなり何かに憑かれたように夜も寝ずに本を書き始めてから
初めは自主出版で本を出したり、家族全員からもうやめろと反対されたり悪い人に騙されかけたりなどここまで来るのに何回も壁にぶつかっておりました。
しかしそれらを全て跳ね返してきた彼女の根性とこの本にかける思いには横で見てる私から見ても正直凄まじいと思います。

角川書店様、また今回の出版に関わってくださりました全ての方々に私からも心からのお礼を申し上げますと共に、ぜひお時間ある時にでもこの動画を見て頂き
、本屋に行かれた際、この本が目に入りました際には一度手を取って見ていただきたく思います。
長文失礼致しました。

http://www.jannu.jp/

https://www.facebook.com/yoshiko.kagawa.16/posts/459553427483217

よしこ先生。
むすめさんは、マイネちゃんとおっしゃるのですね。とっても響きのうつくしいお名前です。
先生が書かれた小説は、アンネの日記を取り込みつつ、日本とユダヤの同祖論ともシンクロして、知っているようであまり知らなかった、戦時中の捕虜の扱いや、それから、この平和ボケがかなり進行している今の日本では語るにしのびないような、ホロコーストのはなしを、真正面から語って、目を背けさせない勇気があります。
そう、今きづいたのですが、前半のホロコーストの暗さを、後半の明るい日本の捕虜待遇でバランスをとっているため、決して暗澹たる気持ちにはならない工夫がされています。

>思えば10年くらい前、いきなり何かに憑かれたように夜も寝ずに本を書き始めてから

面白いものですね。
先生にお会いしたことはまだありませんが、そういえば、似たタイプのにんげんがもうひとりここにいますよ。
竹橋乙四郎のイスラエルをつくった男の話、。
あれができたのは、三日ほどでしたか、あれよあれよというまにでした。とりつかれたように、です。

いま、読み返してみて、久留米での捕虜の扱いについて書かれている部分、これは要注目です。
「九、
29の俘虜収容所のひとつに久留米俘虜収容所があります。福岡県久留米では第48連隊の練兵場の中に収容所が新設されました。1905年4月19日、九州鉄道の京町停車場にロシア兵捕虜500名が降り立ち、そこから徒歩で三井郡国分村の収容所へ向かいました。その後も捕虜は続々と到着し、最終的に2800名余りのロシア兵(下士卒)が滞在しました。短い収容生活の間にも、地元の住民との交流がありました。1905年9月11日の筑後川水泳大会を伝える福岡日日新聞によれば、来賓の部で捕虜15、6名が競泳を始め、川向こうから泳ぎだしたが、予定の場所に着いたのは2、3名で、他は押し流されて下流に繋いだ筏に泳ぎ着き、1、2名は船で救い上げたとあります。
 久留米では、11月26日に、捕虜の放火と見られる火事も発生しています。バラック収容棟8棟、炊事場、物置などが焼失しました。福岡日日新聞によれば「数日前より俘虜の一部は待遇の不満を唱え居たれば、或は暴行を為すやも知れず」とのことでした。日本人兵士の倍額の食費をかけ、戦時下の牛肉不足の中でも新鮮な牛肉を調達するなど、いかに厚遇に努めても、日本式組織管理や居室の構造、洋食食材の品質など、異国の地で余儀なく暮らす捕虜たちには不満が鬱積していたのでしょう。
久留米俘虜収容所は短い期間しか使用されませんでしたが、この時の捕虜との交流経験が、十年後、ドイツ兵捕虜との深い交流につながり、久留米市の発展の礎となっています。」
以上、竹橋乙四郎「浜寺俘虜収容所のロシア兵~あるユダヤ人捕虜と日本」☟からの引用。

ごめんなさいまし。
よしこ先生の小説が、大海原に船出をするというときに、もうひとりのすごい才能の持ち主をわすれるわけにはいきませんでした。
ヨセフ・取るペンで取ーる。だったっけ?
ヨセフ・取る便出とる。だったっけ。
ああごめんさらにもひとつごめん。わすれちまったい。めんどくさいながったらしい名前。
(名前検索では、竹橋乙四郎の☟が二番目、一番目にはウィキのゼエブ・じゃぼちんすきい。がでます。)

ということで、香川よしこ先生のザ・ヴァイオリンが触媒となって生れた、竹橋乙四郎の小説も、ここで宣伝いたしました。

ものがたりのうまれいずる場所に立ち会うっていうのも妙なきもちです。

さいごに。
大ヒットを祈念しております。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-de1a.html

「歌仙は三十六歩なり。一歩も後に帰る心なし」。
これが連句一巻を巻く際の「基本精神」と言われています。
要は、これが決まりごとで、大きな柱です。
これに基づくがゆえに、句を付けていく時には、発句と脇句以外では、重複、粘着、停滞、同種・同趣・同景などは「許されない」ものとなります。

いま今いま、なのです。

そして、すべて前へ前へとすすめ、同じ場所に停滞したり後に戻ったり、以前のものに固執したり、無効な使いまわしをすることは御法度なのです。

連句をしていくと、そうした「我」や「とりつかれた亡霊」のようなつまらない自分が鮮明に見えてくるから不思議といえば不思議で、やがては、これが潜在する魅力や可能性の宇宙なのであろうか、と実感するに至ります。

連句が面白いのは、句を詠んでいた過去の今と、その句を読んでいく今とが生き生きと連動するからです。そこには句をだした本人でさえがあっと驚くような一瞬の因果論がある。(ような気がする。)
因果というと、ながい一本の時空軸を連想しますが、ほんとうは点なんだ。と、はっと気づく。(ような気がする。)おそろしく先端をいっているというか、まだだれも踏み込んでいない領域がはじめからある、というか。
むかしの日本人にはそれがみえていたんだねえ。

以上、竹橋乙四郎の「連句について」(たかやな祭連句興行資料)と、かささぎの連句における時間論でした。

よしこ先生。あーんど乙四郎先生。
わたしはまだフェイスブック加入してないんどす。
そこまで手が回らず、です。
若い人たちはブログよりツイッターしてますね。
次男もやっているらしい。覗いたことはないが。

ラインもしらんし、アンドロイドも知らずに、やっと今日調べました。

今、「すばる歌仙」丸谷才一、大岡信、岡野弘彦3氏で巻かれた連句の本を読んでいます。

ちょっとおもしろい。巻いた歌仙の、一句一句の解説を書いてあるんよ。決まりごとは私たちのより緩い気がする。
いろいろな巻き方があるとわかった。

それは面白そうですね。
ぼんさんも乙四郎さんも本格的に連句の勉強をされています。
たのもしい。
らんさんも読んでいたっけな。連句の本。
共著で、一人は大野鵠士先生でした。

このひとが大野鵠士さんです。☟

http://editor.bungak.com/2012/10/41.html

昔連句大会でおはなしをなさいました。
福岡国文祭、れんく会場は、苅田でした。
西鶴矢数俳諧の世界、という著書おもしろし。

ふしぎなことがあった。
もとめ、という言葉から、ウロウロしていたとき、思考の部屋のどなたかのコメントで池田晶子という哲学者に出会う。
もう、なくなっていらした。
小学校教科書に掲載されているという文章について読んだ。
ぐっときて、まっすぐこころに届いた。
動画をみた。
連句の時間論とまったく同じ話をなさっていた。
いま、今、いまがあるだけなんだと。☟

http://www.youtube.com/watch?v=ChGYZ3rcUz0

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