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2013年8月15日 (木)

木附大子おばあちゃんのエッセイ 「和子姉さん」

和子姉さん

   八女市山内  木附大子

平成二十四年大晦日に、姉は九十五才でとうとうかえらぬ旅に出て行きました。十九才で結婚(歯科医)し義兄が病死されてからは、必死に生きてきました。「やまなみ短歌会」に入門をゆるされ、澤山の短歌を作りましたが、どの歌も淋しかったろうと思う歌が多かったと思います。

生きる力いづこにありと恐れしが逝きて四年の秋をむかえる

折にふれ天の声よみがえりさとしとも聞く叱声ともきく

縁に来てみよとやさしき夫のこえきこえるごとき中天の月

やめる身を心しづかに菊かざり十五回目の夫の忌迎う

亡き夫の写真に先づお茶を供え二言三言話しす

近づきいる死をかくとしらざりし夫のあわれをわが罪にして

手のひらの生命線がまことなら百歳くらい私は生きる

かえりみて子らにはすまぬ日々多く悔いの心もなべて終れり

三人の息子も成長しました。お友達とローケツ染めをはじめ、いろいろの立派な作品を作りました。私にもパラソル、帯を一本染めてもらいました。つゆ草の上品な帯でした。

いたむ身に耐えて最後の草木染め赤い牡丹のしみじみ赤し

赤き色に染めたる布の五倍子の一はけの茶色にじます

私が病院へ行くのを姉は大へんまってくれましたが、私もシルバカーを押してはなかなか行けなくなりました。

とつとつと妹が来て交したる一語は百万語に勝る

そら豆の苗をポットにつくりくれし妹も足腰あまりよからず

病室へ行けば次々用たのみ手の平に小さき菓子乗せてあり

病室の姉の顔色桜色私にもほしき頬かほの桜色

亡くなってしばらくしたら立派なおはかが立ちました。
義兄さんに会っていることでしょう。
私は毎ばん「正信偈」をあげています。
姉が待っていてくれるような気がします。

(2013八女市老連広報第45号より転載)

▼かささぎの一人ごと

きょうはお盆の送り日で、私は一人で三河の光の伯母のうちへ仏さん参りに出かけました。
そこで、ことし、うちにはこの本が届かなかったことをいうと、いとこのみつやおじさんが書架から出してきて貸してくれました。

やれやれ。やっと読めた。
意外な展開になってきました。
こんなところで、あの石橋家とつながった。
あの、というのは、山本健吉に連なる、あの、という意味です。
大子(ひろこ)おばあちゃんは従姉の姑さんですが、姉妹が数人いらして、その一人がうちの隣の川崎医院の先生の奥さん、そしていま一人がこの随想に書かれている歯科医に嫁いだお姉さんなのですね。
それにしてもです。やまなみ短歌会に入っておられたとは。
御歌に名前を書いておられませんが、石橋和子というお名前だったと思います。
慎んで哀悼の意を捧げます。合掌

 

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コメント

検索サイト Yahoo  検索ワード 晶子の思い(朝顔はわがありし日の姿より・・・


晶子のいう、在りし日というのは

ちからあるちを
の現役として最も輝いていたころだという。
眞鍋クレオ。ちは乳よ。

眞鍋呉夫『夢見る力』のなかの、84ページ、
「言の葉ふかく」にあります。

白露のはかなくおくと見しほどに  和泉式部
  言の葉ふかくなりにけるかな   帥宮

あるべき愛の到達点(清水文雄)
文字にあらわれた歌以上に、この二人は自分だけの言葉をもったのではなかったか(生方たつゑ)

春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ   与謝野晶子

和泉式部の千年後にあらわれた晶子以外には、「精神としての身体」に忠実であった女性を知らない。(眞鍋呉夫)

ここにかくべきコメントではなかったですね。
ずれていました。
だけど、同人誌の項にこの文章を入れていたからだと思います。アクセスがあっていて。つい。
ごめんなさい。

それでですね。
晶子の朝顔の歌、
これはもっと勉強しなければ、きれいにはよみとけない。
与謝野晶子は文化学院で学監をしていたころ、源氏物語の訳を書いている。大量に。一度書き上げたが、震災で焼けうせ、それからもう一度書いている。それはすごいちから。そこからおいでた朝顔だから。

この大子おばあちゃんのお孫さん、ひとりはアメリカにいらっしゃるそうです。(こないだ従姉からききました)
顕微鏡の仕事だそうです。
がんばってくださいね。

帥宮と和泉式部のこと☟

晶子のみだれ髪ということばも、古典の中からやってきた古い古いキーワードだったのだな。と識る。

石橋和子さんを検索しておりますと、杉山洋先生のブログにいきあたりました。
コメントを残してきました。

さくらさん、
ここに与謝野晶子をとりあげています。
連句的。
この際だから、最近読んだ古本からもひいておきます。

紀州高野山に与謝野晶子の有名な、やは肌のうたが歌碑としてたっているが、それについて、晶子の弟子だった歌人の中原綾子氏が、高野山と言う場にこの歌はふさわしくない、ましてや晩年の晶子も厭っていた歌だ。
高野山におくのであれば、たとえば、

友帰り金剛峰寺の西門の入日にわれをよそへずもがな   晶子

と、このうたの選抜は佐藤春夫先生、もしこれではさびしすぎるのであれば、昭和六年晶子先生が54歳のころ寛先生と高野山に赴かれて詠まれた歌から、いくつか挙げておきたい、(とはなしを締め括られています)。それらのうたは、

山の水樋(ひ)をつたふごと人の身の中を流るる佛性にして    晶子
月明に佛法僧の鳴くと云ふ御山にありてわすれず火宅
石室の大師の覚めて出でたまふ時近からし清きあかつき
六波羅の栄華亡ぶるいやはてに高野の巻を書く物がたり
瀧口の法師も恋の中将も時経て見ればおなじうたかた
三宝の奴のはしに足らぬ身が高麗縁(かうらいべり)の御たたみを借る

木附大子エッセイ中、歌が何首かひかれていますが、さいごのふたつは大子おばあちゃんのおうた、とおもいました。
では、これはどうでしょう。

いたむ身に耐えて最後の草木染め赤い牡丹のしみじみ赤し

赤き色に染めたる布の五倍子の一はけの茶色にじます

わたしはよくわかりません。はじめ、石橋和子詠と思って読みました。しかし、最後の草木染め、とあるので、ご本人なのか、妹であられる木附大子詠かもしれず、。

▽五倍子について
ヌルデ(白膠木、学名: Rhus javanica または Rhus javanica var. chinensis)は、ウルシ科ヌルデ属の落葉高木。ウルシほどではないが、まれにかぶれる人もいる。別名フシノキ、カチノキ(カツノキ)。

ヌルデの名は、かつて幹を傷つけて白い汁を採り塗料として使ったことに由来するとされる。フシノキは、後述する生薬の付子がとれる木の意である。カチノキ(勝の木)は、聖徳太子が蘇我馬子と物部守屋の戦いに際し、ヌルデの木で仏像を作り、馬子の戦勝を祈願したとの伝承から。

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