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2013年6月 4日 (火)

社会保障審議会医療保険部会の動き(10)療養の範囲の適正化

保健医療経営大学学長

橋爪 章

2013 年 6 月 4 日 社会保障審議会医療保険部会の動き(10)

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自由民主党の政権公約にも社会保障制度改革推進法(第六条)にも「療養の範囲の適正化」が謳われています。
医療保険部会では、療養の範囲の適正化について次のように整理されています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
○ 保険者による医療費適正化努力だけでは、必ずしも医療費の増加の根本的な解決にはつながらないため、療養の範囲の適正化について、根本的、抜本的な見直しが必要。
○ 医療費をどのように抑制していくかという観点で、もう少し踏み込んだ取組を考える必要がある。70 歳以上の高額療養費の外来特例、入院時食事療養費の見直し、柔道整復師の療養費の適正化について議論すべき。
○ 70歳以上の高額療養費外来特例の見直し、疾病の種類に応じた自己負担割合の導入、自己負担の最低限度額の設定、75歳以上の2割負担等については反対。
○ 医療提供者としては、国民の方々が給付を受けている保険の範囲を外していくということの議論については強く反対。
○ 70 歳~74 歳を一律全員2 割にするのではなく、段階的に2 割ということで、しっかりと実現してほしい。
○ 70~74 歳の患者負担については、高齢者の団体としては、低所得者への配慮はきっちりとお願いしたい。その上で、段階的にお願いしたい。
○ 70歳~74歳の患者負担は、低所得者等の対策は当然必要であり、それを踏まえながら、本則とすべき。
○ 70~74歳の患者負担については、もう既に決まっていることであるので、段階的に速やかに実施すべき。
○ 70~74歳の患者負担についての我々の慎重な立場は変わらないが、今後議論していく上では、低所得者、低年金者への配慮を常に考えるべき。
○ 70~74歳の患者負担については、基本的に現行の負担割合を引き上げることには反対であるが、本則であるから2割に引き上げるというのであれば、低所得者への配慮をしつつ、段階的に2割に引き上げることが当然であり、さらに、2割に引き上げることにより浮いた財源については、受診控えが起きないような工夫をするところに使うべき。
○ 75 歳以上についても、原則2 割とすることについて、どこかのタイミングで踏み込むべき。
○ 増大する医療費をどうするかという議論においては、高額療養費をどうするのかについて、根本的にメスを入れていかないといけない。
○ 高額療養費については、低所得者への配慮を何よりも優先した上で、収入がある高齢者は払うということにすることもあり得る。
○ 高額療養費については、例えば年収によって月単位での給付の限度額を引き下げるということを考えるにしても、その対象者の範囲とか幅をどうするか、あるいは、所得区分を細分化するかといったようなことを考える必要があり、その際、保険者への財政影響であるとか、必要な財源の確保といったものも含めて考えるべき。
○ 高齢者の保険料についてもう少し累進性をきちんとした再検討をしてもいいのではないか。
○ 後期高齢者に係るその他の特例措置等について、負担の公平性の観点から見直しを行った上で、恒久的な措置とし、制度全体の安定化を図るべき。
○ 後発医薬品の目標(平成30 年3 月までに数量シェアを60%以上)は、もう少し目標を高く設定してもいいのではないか。
○ 後発医薬品に関しては目標以上に頑張るように努力をしたい。ただし、薬剤師の努力だけで実現できるわけではないので、関係者の協力等が必要。
○ 医薬品の給付の範囲の制限により、必要な医薬品が必要な患者に届かないということがないようにすべき。
○ 医薬品の重複投与や相互作用の防止については、薬歴、お薬手帳の活用、かかりつけ薬局・薬剤師を推進し取り組んでいるが、限界はある。保険者との連携を含めた対応や仕組みも併せて検討しながら、ゼロに近づけていくべき。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
反対意見も掲げてありますが、論点として、70歳以上の高額療養費の外来特例、入院時食事療養費の見直し、柔道整復師の療養費の適正化、疾病の種類に応じた自己負担割合の導入、自己負担の最低限度額の設定、75歳以上の2割負担、医薬品の給付の範囲の制限等が挙がっています。

(保健医療経営大学学長ブログ転載)

▼鵲のひとりごと

独特だなー。保健医療のことばは。

療養の範囲の適正化。

療養の範囲、って何。
範囲ということは、その定義で囲い込まれない部分もあるということでしょね。

わからんなー。

わが母、次男が大分へ行ってしまってから、寝ていることが多くなる。
これはうつ、うつじょうたい、かも。(あ、きょうは賀茂、京都へ行くがある!)

からだの調子がわるいのも、そこから来ているのだろうか。
食べない。もともと食べないタイプですが、さらに。
だけど、病院には行きたくないという。
わたしも進めない。どうなるか予想がつくから。
検査にはじまり、へたすりゃ入院、そしてそして。

今のままでいい。じぶんのやりたいようにできる。
整骨院へもいけるし、ちかくの温泉にもいける。
話をきいてくれる妹たちともあえる。
家事もできるぶんはできる。
ばあちゃん、ねんねばあちゃんが生きたくらいまでは生きてね。
ねんねばあちゃんは99まで生きたから、あと16年あります!

▼古代史

「カルカヤの歌 、磐井の反乱伝説」(春野一人)は面白いです。
ここ(↓)に日本書紀の謎かけが紹介してありました。

http://ncode.syosetu.com/n2508o/51/


「或本云 天皇廿八年歳次甲寅崩 而此云廿五年歳次辛亥崩者取百済本紀為文 其文云 太歳辛亥三月 軍進至于安羅営乞乇城 是月 高麗弑其王安 又聞日本天皇及太子皇子倶崩薨 由此而 辛亥之歳當廿五年矣 後勘校者知之也」
(ある本に云う 天皇二十八年の歳とし甲寅の時崩じた それであるのにここに二十五年の歳とし辛亥に崩じたと云うのは百済本紀の文によっている。その文に云うには「太歳辛亥三月、百済軍は進み于安羅に到り乞乇城に陣をとった。 この月、高句麗の王、安が殺された。又聞くところによると日本天皇および太子、皇子ともに崩くなった」ということだ。 天皇の崩じたと云う辛亥の年は継体二十五年にあたるのだ。このことは後に良く考えた者がこの真実を知る事ができるであろう。)
ある本には日本の天皇が崩されたのは28年(甲寅)と書いてあるよ。でも、ここでは百済の記録に従って25年(辛亥)にしたよ。よ~く考えてみようね。真実がわかるよ。 ・・・ という謎かけです。
天皇の崩御年を531年(辛亥)ということにして書紀を書いているけど、根拠文献では日本天皇一族の崩薨は伝聞情報だよ。天皇は534年(甲寅)に崩されたという文献もあるよ、ということです。
534年に死亡した歴史上の偉人は年表にありません。そこで、カルカヤの歌の著者は、3年の違いに着目し、528年に死亡した磐井こそが真実の日本天皇だったという説を述べておられます。

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