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2013年6月 7日 (金)

中島昭三の邪馬台国に、インディー乙、れんく的。

コメント

中島昭三氏の「筑後の地名から読み解く邪馬台国」には、「今城塚古墳」が二か所に登場していましたよ。
ひとつは、岩戸山古墳と岩戸山古墳は同一規格の百済様式である、という記述(注釈の頁)
もうひとつは、今城を漢音で読めばコンキなので、被葬者は武寧王の父の昆支(コンキ)であるかも、という記述。
ところで、別の、瀬高町を考察した頁(126~127頁)にこんな記述がありました。
『この一帯のどこかに物部氏に関係した石上(いそのかみ)神宮があったと私は見ています。』と。
なんでも、この地に、卑弥呼の時代に四道将軍と呼ばれた四つの官の一つであった伊支馬がいたのだそうな。
この伊支馬の末裔に物部氏の伊香色雄命がおり、この色雄(しこお)が瀬高(漢音でセコウ)の語源ではないか、と。
この伊香色雄命というのは、例の七支刀に贈呈先として刻まれた倭王なのだとか。
著者の中島氏は「こうやの宮の七支刀人形」のことに全然触れていないので、ひょっとして瀬高に七支刀人形があり、こうやの宮の正式名が「磯上(いそのかみ)物部神社」だということをご存じないのかも。

(訂正)
>岩戸山古墳と岩戸山古墳は

岩戸山古墳と今城塚古墳は

色雄というのがいかなる人物なのかググってみたところ、石上神宮の解説にこんなのがありました。
武器を、『第十代崇神天皇7年に物部の祖、伊香色雄命が勅により現地石上布留の高庭に鎮め祀り石上大神と称えまつったのが当宮の創めである。
瀬高の人が石上神宮を創ったのだとは・・・
七支刀も瀬高から持って行ったのでしょうね。

やはり、乙四郎先生が読まれて正解!
あのかいのみなさん、中島を呼ぼう

中島氏は「地名」から古代史に迫っていますが、「姓」から古代史に迫っている人もいます(↓)。

http://tsurugine.blog.fc2.com/blog-entry-70.html
みやま市で最も多い姓は「松尾」であり、京都の「松尾神社」は卑弥呼を祀っているとか、岩戸山古墳の近くには「山下」が多いが、山下影姫が云々くんぬん・・・。

松尾神社は水の神様を祀る。
岩戸山古墳の前方部のてっぺんにあるのが松尾社で、酒のかみさまがいらっしゃり、方角で言えばにし。
高良さんには松尾桃青霊神社がありますが、。
有明の主水に酒屋つくらせて。松尾芭蕉の巻いた歌仙のこの一句のなかには水の祈祷がすべて込められている。
以前、山下影媛のことを書かれていましたっけが。
さまよえる倭姫、のとこだったかな。
今伊勢、元伊勢での。山下姓、たしかに多いですね。

はい。山下影媛はここにいます。
http://tanka-souko.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-c87c.html

31文字倉庫、山下整子

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コメント

お久しぶりに覗いてみました。
約30年前の記憶だけど、京都の松尾大社は、朝鮮・百済渡来系の秦氏が建立した神社だったと思います。当然その信仰の背景には百済系の神の存在があったはずです。そしていつの頃からか「酒造りの神様」となったようです。
卑弥呼とつなげて考えるというのはようわかりません。

ひやあ、ろいり先生だ。

前方後円墳は東西どっちが前だろか?
とうぜん、東が前だろか.
じや、別区があるほうが前ですかね。

ろいりさん、今どげんしよらつしやるですか。
まだ東京。

ろいりさん。
最近間違えたことは、ハリフアクスとハリストスです。
さくらさんとこと函館の杉浦教授のところで。
同じかと思ったら、ぜんぜん違いました。
んで。
イロコイ族が中島邪馬台国にチョコっと出てきましたが、最近話題のアンジーさんの遺伝子にもありまして、ハリフアクス調べてたら、ありました。調べるまで、カナダが彼方から来た言葉とは知らなんだ。

「前」方「後」円墳だから四角いほうが前です。
岩戸山古墳は佐賀の方を向いています。
今城塚古墳は武寧王陵の方を向いています。

へー、そうだったのかー
どっちが前かいまだにわからないよ。国道側は後ろ。


邪馬台国の人は刺青してたというし、アンジーとおなじイロコイ族かな、たしかとうていじん、と書いてませんでしたか。東の魚是なり人。インディアンと同じ祖先かも。

4~7月は往ったり来たりで、今は久留米です。

前方後円墳は、(その近辺の前方後円墳もふくめて)どっちの方向を向いてるかというのが問題なんだけど、そのへん私も勉強不足でして。
前方後円墳というのは後世の人がつけた名だから、必ずしも方形部が前で円形部が後とは限らないという人もいるけど、これも同上。

ろいりさん。あるいは呂伊利先生。どっちがいいっすか。呼ばれるの。コメントありがとさんにござんす。
魯いりーさん、というのが最初の言い方でしたよね。
かささぎパソコンの漢字変換はめちゃくちゃでなにがでるかわからんのでたのしみです。

え。いま、くるめですと。それをはよいわんかい。笑
歓送迎会をしなくちゃ。あ。そうか、送はいらんか。

いま、家の裏の麦畑でパチパチという音がしていて、気になってしかたない。じいさんや。パチパチいうのはなんの音。それはむぎわら燃える音。

で、と。話を古墳に戻します。
そうですよね。どっちが前か、わからんです。
かささぎの考えたのは、にし⇒日がしずむ⇒死、東⇒日が昇る⇒誕生、あるいは再生。
だから、にしがおしりで、前は東だろうと単純に思っていた。あまり深く追求もせず、ただばくぜんと、岩戸山古墳は、被葬者がうまっていないとしても、生前墓として造営されたのであれば、墓がネの方角にあるべきなので、みやま方面に住んでいたのかな。というように思っていました。

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