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2013年5月 6日 (月)

風媒花(18) 西光寺とのご縁  

九州俳句誌随想・風媒花(18)

西光寺とのご縁

     海蔵 由喜子・文

鹿児島県志布志の西光寺に、金子兜太句碑が建っている。

 「正面に白さるすべり曲れば人」

句碑と住職さんと永田タエ子さんのご縁で、私も何度か訪れている。
最初は平成21年4月句碑の建つ前で、永田さんが用事で寺へ行かれる時お供した。その時、門徒の男性と夫を亡くしたばかりの私に、お経を上げて下さり、今も感謝している。

 

兜太碑の建立除幕式に参加した。兜太師の「俳句と人生」記念講演を聞いた。
「私は根っこから自由人で、その源流は秩父音頭のリズム575が染みついている。人間も他の生きものも自然である。自然と一体になり、自分の肉体を入れ込んで刃を作るものだ」など一般の人にもわかりやすい講演をされた。

翌年4月「音のコンサート」を幼稚園児と門徒さん達とオカリナ曲を聞く事が出来た。「ラストダンスは私と」「手紙」「慕情」「幸せの黄色いリボン」などであった。園児達は「ほとけさま」「みていてね」などオカリナと一緒に歌った。すごく和んだ事は今も忘れない。

又5月、小野田寛郎元少尉の講演があった。小柄ながら凛とした元軍人の名残りがあった。戦後30年も終戦を知らず部下二人を亡くし、最後は一人で闘ったジャングル生活。帰還後はブラジルに牧場を経営、平成元年「自然は最高の教師である」の先人の教えに青少年のために自然塾を設立。講演は「頂いた命は子供や孫に戦死と戦争を伝えねばならない。子供におかげさまを教える、働かねば生きる値なし」などの話。「たった1人の30年戦争」の著書を改めて読んでいると父親の子への思いの句があった。

父親小野田種次郎氏の三句

 こだまする打ち返さざり夏山は  捜索時

 このあした梅一輪咲きにけり   生還時

 花の山歓呼のこだま返り来る   帰郷時 

「散る桜残る桜も散る桜」30年戦場を、そんな心境で生きてきたとある。
今年は森繁久弥氏の息子建氏の講演を聞いた。
「人生はピンとキリを知ればよいー父森繁久弥が教えてくれたこと」が題目。

話の中で父親よりも母親の教えが良かったのだと私は思った。
「森繁久弥の子供ではなく、あなたのパパがたまたま森繁久弥なのだ」
「小遣いは常が千円なら五百円で良い」と母親、父親も家庭的な人であったとも・・・。実際に森繁久弥を見たことがなかったが、息子さんは体格も良く、気楽に住職さんと写真を撮って頂き、お会いして爽やかな気持ちが残っている。最後は皆で「知床旅情」を歌った。父親似の声量で素晴らしかった。

宮崎市にある親戚の真栄寺に兜太句碑

 「谷間谷間に満作が咲く荒凡夫」

 が建ち、仲間と除幕式に参加した。
 
これからもどんなご縁が頂けるか楽しみにしている。 

(「九州俳句169号」より転載)

参照)

saikouji in japan:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%85%89%E5%AF%BA

西光寺の兜太句碑http://kanekotohta.blog.fc2.com/blog-entry-380.html

小野田寛郎:以下、ウィキペディアより

小野田 寛郎(おのだ ひろお、1922年大正11年)3月19日 - )は、日本陸軍軍人階級陸軍少尉で情報将校だった。陸軍中野学校二俣分校卒。大東亜戦争終結から29年目にしてフィリピンルバング島から帰還を果たす。

生い立ち

和歌山県海草郡亀川村(現:海南市)に生まれる。父種次郎(県議会議員)、母タマエ(教師)、長兄敏郎(軍医中佐)、次兄格郎(元主計曹長)、姉千恵、弟滋郎(元少尉)。旧制海南中学校時代は県下有数の剣道選手として活躍(現在の段位錬士五段)[1]。卒業後貿易会社に就職し、中華民国漢口に渡り中国語を習得。

その他エピソード

戦時中に自身が体験した人間が持つ潜在的な能力にも触れている。本当に命を賭けなければいけないと必死になった瞬間、頭が数倍の大きさに膨らむ感覚と同時に悪寒に襲われ身震いし、直後、頭が元の大きさに戻ったと感じると、あたりが急に明るく鮮明に見えるようになったという。「夕闇が迫っているのに、まるで昼間のような明るさになりました。そして、遠くに見える木の葉の表面に浮かぶ1つ1つの脈まではっきり認識することができました。そうなると、はるか先にいる敵兵の動きも手に取るように分かります。それこそ、相手が射撃をする直前にサッと身をかわして銃弾を避けることさえできると思いました」 。命を賭ける場面が、命を賭けなくても大丈夫だという自信に変わった瞬間だったという[10]

また『月刊秘伝』2004年7月号でのインタビューでは「直進する物は物理的に見えるんですよ。(中略)真っ直ぐ自分のほうに伸びてくるんだから見えます。(中略)撃たれたときは、火を噴いている銃口から見えた。(中略)相手の突きを避けられるのだから避けられますよ。」と語っている。自身の著書である『小野田寛郎―わがルバン島の30年戦争』でも、銃弾は飛んでくるとき蒼白い閃光を放つから、それを避ければいいと語っている。


 

 

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