無料ブログはココログ

« 社会保障審議会医療保険部会の動き(5) 医療・介護の提供体制の在り方 | トップページ | 社会保障審議会医療保険部会の動き(7)   外来の役割分担の在り方 »

2013年5月31日 (金)

社会保障審議会医療保険部会の動き(6) 介護報酬では全国一律ではない、診療報酬ではなぜ。

保健医療経営大学学長

橋爪 章

2013 年 5 月 31 日 社会保障審議会医療保険部会の動き(6)

Share on Facebook


医療保険部会では、保険医療機関の指定・取消権限の都道府県への付与について議論されていますが、次のように否定的です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
○ 国保の保険者を市町村から都道府県にするのは賛成だが、都道府県に指定・取消権を設けることは、都道府県によって基準の公平さが保てないおそれがあるので、地方厚生局が行う方がよい。
○ 指定・取消権限が都道府県に移譲されたときに、都道府県格差が出てくる懸念があるので、慎重に議論をお願いしたい。
○ 指定・取消権限を都道府県に付与すると、都道府県ごとに異なった基準ができてくるため、なじまない。
○ 都道府県に保険医療機関の指定あるいは取消権限を移譲すると、保険医療機関としてふさわしいかどうか、あるいは適格かどうかというよりも、地元の事情に左右されかねないという懸念があるため、全国統一の考え方の下で、引き続き国が実施すべき。
○ 指定・取消権限は、公平な目で全国一律の基準で運営していくべきと考える。
○ 指定・取消権限は、公的医療保険の適正な運営の観点から、医療機関などに対する監督を担保するものであり、国保だけではなくて、全国規模の協会けんぽや健保組合も関わっているため、国が指定と取消の権限を持つというのが法の趣旨、目的に適う。また、公的な医療保険の適正な運営とは直接関係しない事項を理由に指定・取消を行うことになると法制上の問題や、憲法が保障している営業の自由との整合性の問題があるのではないか。
○ 都道府県は医療計画、医療費適正化計画、健康増進計画の作成、推進などを通じて、地域の保健医療政策に大きな責任を担っており、今後も責任を果たしていく。医療提供体制整備に関する権限の強化と都道府県が国保の保険者となることの関係性やメリットが現時点で明確になっていない。国の責任と役割について十分議論し、人的体制、ノウハウ、財政面の課題など、実施の可否を含めて、地方と十分協議すべき。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
都道府県を切り分けた診療報酬についても次のような議論がありました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
○ 診療報酬については、一物一価、全国統一にしないと国民の納得は得られない。
○ 地域ごとの診療報酬については、ドイツでも全国統一に苦労した状況があるので、全国統一で単価を決めた上で、地域の特性は要件の緩和とか加算等で対応するのがよい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「一物一価、全国統一にしないと国民の納得は得られない」とのことですが、介護報酬の場合は制度創設当初より一物一価でも全国統一でもありません。
国民の納得が得られないということはないでしょう。

保健医療経営大学学長ブログ転載)

▼今城塚古墳と岩戸山古墳について

岩戸山古墳と形状が似ているということに俄然興味を持ち、Yahoo!知恵袋で今城塚古墳を調べたら、いきなりこんな記述です。
『日本でたくさんある古墳の中で、被葬者がほぼ確定できるのは、「九州の岩戸山古墳で筑紫君磐井の墳墓」と「高槻の今城塚古墳の継体天皇」、この二つぐらいです。』
次に出土品をググったら、考古学系のサイトに、またもやこんな記述です。
『今城塚古墳から出土する須恵器の多くはTK10型式のものであり、それと同じ型式の須恵器が福岡県の筑紫君磐井の墓と想定される岩戸山古墳から出土している。』
また、今城塚古墳の最大の特色は大量の埴輪だというので、これも少し調べると、別のサイトに、いきなりこんな記述です。
『一般に埴輪は墳丘に並べて置かれています。しかし今城塚では墳丘の外の堤にわざわざ舞台を築いて、外部に見せつけるように埴輪を配置しているのです。実は同じような見せ方をした古墳が、もうひとつあります。福岡県の岩戸山古墳です。こちらは土製の埴輪ではなく石人・石馬像ですが、やはり舞台を築いて並べています。』
じゃ、今城塚古墳に葬られていた石棺石材はどうかと調べたら、阿蘇ピンク石が使われていたとのこと。岩戸山古墳の石室の発掘調査は行われていませんが、岩戸山古墳の石人・石馬は阿蘇石です。
これは、シンクロとか偶然の一致とかで済まされるようなものではないのでは!!
磐井と継体天皇とは敵同士であるのに、その墓は共通性だらけ、ってことは腑に落ちません。いったい、岩戸山古墳の石室には誰が眠っているのでしょう。被葬者は磐井だとされてはいますが、当の磐井は大分の山中へ逃亡し、ヤマト軍も見失ったということなので、磐井は石室に眠ってはいない。
「誰か」に気に入ってもらうための聖地を、「誰か」の出身地の様式に倣い、磐井と継体とが争って生前に造らせたのでは、という推理を「思いつき」ました。その「誰か」が武寧王だったら楽しい。

思いつきリサーチを続けます。
岩戸山古墳と武寧王陵との共通点はないかと調べたら、次の文が。
「武寧王陵は三国時代の王陵のうち被葬者の身元を確認できる唯一の墓」
すなわち、朝鮮半島と日本列島全部を見渡して、被葬者が特定できるのは、岩戸山古墳と今城塚古墳と武寧王陵の3つだけだということです。すごい共通点!
なお、武寧王陵の発掘はつい最近の1971年。盗掘もなかったようです。
お墓を発掘した博士の言葉がありました。
「入り口でこちらを睨んでいる動物のような物がいる、置物だ、豚のお化けだ」
墓に石獣を飾る風習は朝鮮半島には珍しく、中国の王墓に特化した習俗だそうです。
武寧王の玄室の形式も、朝鮮三国の歴史を通じて他に類例がない、中国江南地方に見られるものだったそうです。
岩戸山古墳の玄室を覗いてみたいです。

こういうことを調べてゆくと、必ず「古田史学の会」の方の論説に出会います。
古田史学の会・東海が発行する「東海の古代」第134号(平成23年10月)(↓)に次の記述を見つけました。
『武寧王は癸卯年(523年)に崩じ己酉年(529年)に埋葬されましたが、生前にはすでにいわゆる方円墳の築造を終えていたとされます。生前に方円墳の築造を終えていたという点は、筑紫君磐井と同じです。』
この号の4頁に、岩戸山歴史資料館の展示品(釘崎3古墳の大刀)と武寧王陵出土品との比較写真がありますが、驚きです。こんな記述が添えられています。
『岩戸山歴史資料館展示の釘崎3古墳の大刀は、まだX線写真を撮っていないということで、これにも銘文があるのではないかと期待されます。また武寧王墓出土と同じような環頭大刀であることから、朝鮮半島と関連性があるものと思われます。』

だんだん視界が開けつつあります。
乙四郎節をきいてると、ああしまった、中島邪馬台国、あれはこうだったのか、と。
上記、インディー乙引用のサイト、開けませんでした。
開けないとなると知りたくもなります。なんだったか。

わたしは、いまきづか古墳と読むのだろうとおもっていました。

ネットで調べますと、いましろづかでした。大阪です。
八女も岩戸山古墳は整備されるようです。
駐車場がもっと近くなるんだそう。

なにかと並べたり、対比したりすることで、みえてくることは多い。
中島昭三の地名から読み解く邪馬台国は、東京暮らしから帰郷した人の、ふるさと恋しや記念の一冊だろうと思ったのですが、でも、手元に置いておくべき本だったと今、感じた。
ではきょうも元気でいってきます。

« 社会保障審議会医療保険部会の動き(5) 医療・介護の提供体制の在り方 | トップページ | 社会保障審議会医療保険部会の動き(7)   外来の役割分担の在り方 »

コメント

検索サイト Google  検索ワード 中宮寺 瓦 和歌 展示


9位

武寧王陵の墓誌石の中の「癸卯年五月丙戌朔七日壬辰崩到」についてですが、最後から2文字目が「崩」であることに古代史関係者の関心が集まったのだそうです。
孔子は四書の礼記に『天子死曰崩、諸侯曰薨、大夫曰卒、士曰不録、庶人曰死』と定め、崩は天王の崩に限定使用(崩曰天王崩)だそうです。「秦始皇崩、周王薨、孔子卒」と、地位と身分による表記の差別化は韓中日の伝統とのこと。
ところが、「日本書紀」では武寧王の死は「百済25代斯麻王 (諡号武寧)薨去」と記述されており、武寧王の地位と身分が史実より低く捏造されている、と。
磐井の頃、武寧王という王は、朝鮮半島・日本列島において、とんでもなく偉い存在だったようです。しかし、ヤマトはその証拠を歴史から抹消しようとした。
武寧王陵出土の環頭大刀とそっくりのものが岩戸山歴史資料館にありますが、他のX線解析調査が行われた環頭大刀には「不畏也□令此刀主富貴高遷財物多也(この大刀を所持する者は何も畏れることはなく高い地位と富が保証される)」という銘文が刻まれていたものがあります。
岩戸山と今城塚は、とんでもなく偉いお方のために磐井と継体が競って生前に建造した祭場であるが、二人の死後、その事実を隠蔽するため、あえてそれぞれが磐井と継体の墓だと誤解されて後世に伝わるよう、記録を捏造したのではないか。そう考えると、いろんな共通点があるのが納得できる。武寧王の崩の後、磐井と継体が相次いで亡くなったのも歴史的抹殺の一環かも。磐井の乱も捏造かも。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 社会保障審議会医療保険部会の動き(5) 医療・介護の提供体制の在り方 | トップページ | 社会保障審議会医療保険部会の動き(7)   外来の役割分担の在り方 »

最近のトラックバック

2020年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31