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2013年5月30日 (木)

社会保障審議会医療保険部会の動き(5) 医療・介護の提供体制の在り方

保健医療経営大学学長

橋爪 章

2013 年 5 月 30 日 社会保障審議会医療保険部会の動き(5)

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医療・介護の提供体制の在り方について、医療保険部会では次のように議論を整理しています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
○ 医療提供体制の見直し、医療給付の重点化・効率化については、制度面から見直すことが不可欠。
○ 医療機能の分化・連携の際は、急激な変革は、現実の医療の現場に無用の混乱を起こす可能性がある。ただし、将来的には、病院の再編・統合、病床数の削減、高額医療機器の適正配置についても計画に織り込んで進めてほしい。
○ 報告制度について、手上げ方式では、皆が急性期を希望するなど必要な病床を確保できず、地域医療が混乱するので、国が大まかな目標を示した上で、その高みに向かって努力するというふうにすべき。
○ 2025年の医療のあるべき姿にいかに近づけていくか、病院、病床の機能分化、連携に向けて、医療法、診療報酬、補助金等をどう組み合わせるかについては、それぞれの手法が地域医療の方向性を左右する要素を多く含んでいるため、何より医療機関から理解を得られる内容とすることが必要であり、手順を踏んだ丁寧な議論が国と地方、関係団体との間で行われる必要がある。
○ 診療報酬と補助金はそれぞれ一長一短あるので、それぞれの利点というものを生かしながら、最適な組み合わせというものを考えていくというのが一番政策的にはよい。その際には、消費税の引上げによって生まれる財源を活用していく形で、2014年度から実施していくことがよい。
○ 診療報酬、医療法、補助金の相互の連携が必ずしもうまくとれていなかった。国レベルでの工夫が必要。
○ 診療報酬はあまねく全ての医療機関に行きわたる一方、補助金はどうしても公的なところ中心となってしまうので、両方の手法が必要であるが、診療報酬がメインで、補助金はサブとすべき
○ 補助金は、底辺を底上げするためのものであり、一般の事業者に対しては、診療報酬で自己改革を促すことが、地域の医療資源、医療機能のアップになるのではないか。
○ 通常11月下旬に出ている診療報酬改定の基本方針について、その一体改革関連部分の基本方針を前倒しで出すべき。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「急激な変革は、現実の医療の現場に無用の混乱を起こす可能性がある」ということですが、7対1入院基本料病床の激減など、国民会議では2025年までのわずか12年後に照準を定めた急激な変革を求めています。
すなわち、現実の医療の現場では混乱を起こす可能性があります。

(保健医療経営大学学長ブログ転載)

▼戦国百首和歌に絡む久々のコメント、きのうはだらだらのでんでろりんになってしまったので、も一度ピンポイントでズームアップします。

「7世紀の瓦に和歌の手習い? 奈良・中宮寺跡、最古級」(朝日新聞デジタル)
という記事が流れました。(↓)
その記事に紹介されている「難波津の歌(なにわづのうた)」は、百済から渡ってきた王仁(ワニ)が仁徳天皇の即位を祝った歌とされているこの歌でした。
難波津に  咲くやこの花  冬ごもり  今は春べと  咲くやこの花
この歌では「花=梅」なのだそうです。
調べてみると、難波津は応神天皇の所縁の地であるとともに、3年間の空位の後に仁徳天皇が即位した地(難波高津宮)でもあります。
「冬ごもり」は、空位の3年間を指すのでしょう。
さらに調べてみると、この歌を岩戸隠れ伝説に結びつけている説も発見しました。
咲くやこの花からコノハナサクヤヒメを容易に連想できます。
コノハナサクヤヒメの父(大山祇神)も王仁と同じく、百済からの渡来者だそうです。
さてここで気になるのは、八女百首の7番目に出てくる難波津の歌です。
「    梅        覚元
心ある友としミばや難波津の
花もさかりの香に匂ふころ」
梅の花を詠んだこの歌の本歌は、当然、上述の難波津の歌でしょう。
ではなぜ、覚元さんは、鑑述、鑑教、鑑実、鎮時、鑑秀さんがそれぞれの切り口で千年の春を讃えた流れの中で、この歌を詠んだのでしょうか。
(ひとつ前の6番目は鑑実さんの再登場で流れを転じてはいるのですが・・・)
ここは素直に、千年前の「難波津のさかりの頃」に視点があると思ってもいいのではないでしょうか。
「岩戸」隠れ伝説に因む歌を本歌とする歌を「岩戸」山で詠んでいるのも興あり。
仁徳天皇の崩御は西暦427年で、仁徳天皇陵(大仙陵古墳)は日本最大の前方後円墳(墓域面積は世界最大)として有名です。
ところで、そのおよそ100年後に崩御の継体天皇陵(太田茶臼山古墳)は、外堤護岸工事の事前調査で5世紀の円筒埴輪が発掘され、約100年のズレがあるとのことで、継体天皇の本当の陵墓は太田茶臼山古墳から北東に1.5キロの今城塚古墳であろうとされています。
この今城塚古墳を調べてみたところ、「継体天皇と同時代の筑紫の磐井の墓とされる岩戸山古墳ときわめて近い形をしている」という記述を見つけました。
520~530年ごろに造られたものであろうとのこと。
武寧王の没年は523年です。

去年毎週通ってた道沿いやや奥に鰐(王仁)神社があります。 気になりながらいまだに参っていませんが・・ここで繋がってよかった。 
王仁博士は有明海から上陸されたのかも、 場所は神崎市志波屋。 吉野ヶ里公園の横、巨大ソーラー施設の道沿いに看板あり。
吉野ヶ里平野から八女の山々(釈迦岳~飛形山)がぐるっと一望できます。

>心ある友としミばや
の意味はよくわかりませんが、磐井と武寧王とは親しい間柄であったようです(↓)。

http://ncode.syosetu.com/n2508o/68/(カルカヤの歌、磐井の反乱伝説、春野一人)

岩戸山古墳と同じく石人、石馬が配置された前方後円墳が玉名郡和水町にあります(江田船山古墳)が、ここで発掘された遺物は百済の武寧王稜の遺物と酷似していたそうです。
『江田船山古墳鉄剣銘の秘密―被葬者は百済王の王子だった!!』という出版物もあります。
ひょっとして、岩戸山古墳は、定説の、磐井が作らせた生前墓ではなく、武寧王の死を悼んだ記念碑かも。

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