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2013年2月 5日 (火)

ハイソ守武&天神さん&デーモン閣下&金爆&ゴールデンブック、談義

コメント

八女百首に守武の影を感じたのは、この句に接したのがきっかけです。
飛梅の地の文化人との親密な交流があったと。

飛梅は大宰府しかないでせう
デーモンさんが、吾輩はお詣りしないんだとのたまわれました。悪魔は神に詣らないそうです。け、このばちあたり。

閣下が編集委員長の某サイトです。
それほどばちあたりではないでしょう。
   ↓

下横山には山城轟城があったとありますが虚空蔵さんあたりの地名は轟ですね。 あの辺にあったのかな? 
その道しばらく行くと二手に分かれて左に下る方がぜぜん社方面ね(右方上がると尾久保へ)美しい村に着くと右方がぜぜん社、左方が朧橋。で、久留米方面へ行く道があります。ここから高良山や耳納は近い。大宰府も近づくかな・・耳納大橋のあたりは風景が美しいです。
悪魔デーモン閣下は「・・でもお寺には参る」っておっしゃってたから許してあげてね

はあ。
デーモン閣下は、乙四郎先生もエメさんも中山のそらんさんもすいとらっしゃるごたあね。

エメさん、明日いってみる。
二月は逃げる、土曜日休みは連休のみ、今日も残業です。

もしかしたら、わらべかんのすぐ近く?
なら、わかると思います。

   ↑
七支刀の秘密を守武は知っていて、飛梅千句にその謎解きがあるという仮説を立てていました。
その後、深めていませんが・・・

はい、朧橋を目指していけば着きます。 谷に着いたら左が朧、右がぜぜん、朧は高地、ぜぜんは低地、久留米方向に間違わないでね、迷ったら村人に聞きましょう、それで大丈夫。

写真送付、三まいめでout、圏外。

十時五十五分には無事けえってきやした。

おそろしいことに、下山途中でガソリン表示が赤ランプ。げげ、、、上陽の本道にでてすぐのJAスタンドで10リッター補給、いつもいれるとこより十円近く高い155円だった。
うーん。下横山。とおいようなちかいようなへんな気分だ。

乙四郎語録24へのコメント

コメント

飛び梅と聞いてまず思い出すのは、以前加入してた「毎日新聞ペングループ」のこと。1年に2回、同人誌みたいなものが発行されていて、その冊子名が「飛び梅」だった。母の従妹のさだかりさんがしばらく代表をつとめられてた。そのころの名前を見知ったかたのお名前を最近西日本新聞でおみかけする。新聞投稿が趣味だったころ。図書券をもらうのがうれしくて。ずいぶん投稿もしてない。ぜんぜん関係ないハナシでごわした。しつれい!

おはようせいこさん。
とびうめでんせつ、梅が菅公を慕ってとんできたというのは知っていたけど、なぜか大阪の北野天満宮からと思い込んでた。ちがうんだ、いせだったとはね。わたらいという姓は外宮の神官みたいなのにね。この外宮とないくうの関係も面白い謎がある。
吉野裕子の「隠された神々」なんど読んだことか。
この本をくれたひと、大分の巫女みたいな人で、とてもきれいな人だった。あかんぼととじこもっていたころです。東京から越してみえ、ずいぶん遊びに行ってはいろんな感化をうけた。
せいこさんも、投稿族だったんだね。毎日新聞ていってたよね。
朝日の地方版で二週間に一回のせてもらって、朝日選書の図書券がたくさんたまった。かたーい本ばかりだった。それがありがたかった。今おもえば。

飛梅といえば、書道用半紙に「飛梅」というのがあったような記憶が。今はミミズが這った跡のような(なんて言ったらミミズさんに失礼な)字しか書けないのだが、小学校の頃は、揮毫会で入賞して太宰府天満宮に張り出されたことがあった。その時に使った半紙。
かくも「飛梅」というのは筑紫人には特別の響きを持つ語彙。飛梅といえば天神様。
その飛梅が、俳祖荒木田守武の代表作の冒頭句で登場するとなると、守武と筑紫との結びつきを意識せざるを得ない。
守武千句の中にこんなのが。

そゞろには成もはる/\"太刀はきて
 天神さこそつらきみちのく

とんでも超訳:「みちのく」は青森ではなく、道の苦、あるいは未知の苦。
(本来の落ち着き場所ではないので)心が落ち着かない場所まではるばる七支刀がやってきた。いや、天神様のほうが辛い苦難を負っていらっしゃる。

守武千句
   ↓

守武千句の末尾句。

もゝだちをとりてこきやうへ帰りきて
 天文九年しぐれふるころ

やはり、守武は天文9年まで長旅に出ていたのでは。
ところで、先述のはるばる旅してきた「太刀」の句。気になります。
他に、太刀を用いた句にこんなのがあります。

きるといふこともいはぬはみやこ人
 旅と太刀とのゆくゑしられず

ヤマト朝廷による虐殺と七支刀の略奪か。伊勢神官は何でも知っている。
こんな句も。鷹が出ました。

鷹が音やあかつきをさしてかへるらん
 はげたる太刀のつぼめ鳴ころ

ほかに謎めいた句。

ぬれ/\も蘇民将来朽やらで
 なみのそこにも家つくる世

「蘇民将来」というのは、日本各地に伝わる説話。旅の途中でスサノオが宿を乞いた際、裕福な弟は断り、貧しい兄は粗末ながらももてなした。後に弟一族は滅ぼされたというお話。朝廷に逆らった高ピー磐井が滅ぼされたことを、それみたことかと揶揄しているのかも。
とんでも解釈:ところがどっこい、筑紫に来てみたら、磐井の末裔はしぶとく生き残っており、矢部川の底みたいなところに築城しようとしているではないか。

少人のいにしへ今のひとりごと
 いつかほうしのうかび出まし

とんでも超訳:今は、立場上、守武はひとりごとを言うしかないが、いつか宗祇法師みたいな方が語り継いでくれましょうぞ。

伝言版です。

せーこ様
学長から伝言です。
講演題目は
「異文化理解 ~この世界から戦争をなくすために私たちができること~」
ではいかがでしょうか、とのことでした。
伝言の伝言をお願いします。

ありがとうございますと、学長にお伝えください。
参加者の大半が年配者で、ひょっとしたら戦争体験があられるかたが多いのではないかと思われます。世界各国で、また、わたしたちが住むアジア圏内でどこかきな臭い風が吹き始めてきた感のあるこんにち。タイムリーな演題ではないかと思います。
個人的に聞きたいこと。
アジアと一口に言ってもそれぞれ共通性に乏しいですよね。それも隣り合う国ですら意思疎通が可能ではない。困難であります。世界的視野で考えれば、アジア諸国が共通理解しないとアジアという国の位置の向上というか、世界各国に太刀打ちできないのではないかとも思うのですが、最近の食料的な諸問題にも顕著であるように価値観の違いがここまであきらかになって、本当に理解しあえる日が来るのだろうかと思ってしまいます。理解しあえない根本的な要因は単に価値観の違いと決め付けていいのでしょうか。また歴史的な背景の認識の差と決め付けていいのでしょうか?素朴な疑問です。

いま、中国生まれの作家、ユン・チアンさんの「ワイルド・スワン」を読み始めました。かなりヘビーな内容です。歴史的背景がちょうど満州事変のころを読んでいますが、日本人としてしんどい思いにさせられる描写が多い。歴史的史実の重さ。ひさしぶりに時間がかかりそうな書物に出会いました。

いま何時?うわ。まだ四時。十五分ほど前に、もう新聞配達さんがバイクできてた。早いとはおもってたけど、こんな早いなんて。
あーはらへった。けーきたべよう。
原稿書きが二晩つづき、きのうは後片付けもそこそこにねてしまった。そしたら二時にめさめた。ねむれないので、起き出して記事を書いた。ああわれながら、なんと御ご苦労な。
せいこさん、なにか真新しい第一歩が始まりそうですね。みんなで楽しみにしています。時間が許す限りおつきあいいたします。
追伸
きのうボスのへやからものがなしい歌がきこえた。
なんだろう初めてきくうた。どこかしるびいばるたんのこえににてる。聞きますと、これはタガログ語で歌ってるあちらのヒット曲だと。おおフィリピンの。
ボスの妻子はフィリピンにいます。
私は人事と思えません。
にほんのおとこたちがかのちのおんなたちにうませたたくさんの子たちのきょうぐうをおもい、かつまた、中世の戦国の世に生れ落ちた子たちのきょうぐうを思い。
ねむい。

荒木田守武で、ここに編集紹介してくださっておりました。↓どうもありがとうございました。気がつくのが遅れましたことをお詫びいたします。

荒木田守武

検索三位

そうでしたそうでした。

さがしてくれてありがとう。

これから四年たったのでした。

ぬれ/\も蘇民将来朽やらで
 なみのそこにも家つくる世

これは霊的なうたですね。

今朝、トイレにおいている本を開いたら、ユダヤ人をたくさん助けた杉原千畝みたいな人のこと(でも外交官じゃなく関東軍軍人)が書かれていて、ユダヤ人の言い伝えに、東から救い主がくる、それはきっと日本の天皇だろうと貧しいグルジアの村のユダヤ人古老の言い伝えがあったうんぬん、てのがあった。
それをなぜか連想しました。

http://www2s.biglobe.ne.jp/%257enippon/jogbd_h11_1/jog085.html

はじっこに
ゴールデンボンバーも記載されないかな。
・・・関係ないっす。

ゴールデンブックに記載された二人のうち、えめさんと同じ樋口姓の樋口中将と、もうお一人の軍人さんは、

安江仙弘 (やすえ・のりひろ)
<1888~1945>
 陸軍最大の「ユダヤ問題専門家」。彼は秋田県の平田篤胤の生家で誕生したことで有名。シベリア出兵の際、シベリアから反ユダヤ資料を持ち帰る。1921年、参謀本部付となり、本格的なユダヤ問題研究に入り、「包荒子」のペンネームで反ユダヤ的な内容の『世界革命之裏面』(1924年)を書き、『シオン長老の議定書』を初めて収録する。
 1927年、ユダヤ研究が認められ、実地研究のため陸軍省からヨーロッパへ派遣され、パレスチナを主として各国のユダヤ機関を歴訪し、各地のユダヤ人と親交を結んで翌年帰国した。有名な日ユ同祖論者である酒井勝軍(かつとき)がパレスチナまで同行したのはこの時のこと。酒井との付き合いもあり、反ユから親ユに変わった。↓

http://rerundata.net/ura/hexagon/texts/textA4F/hatchJ/b1fha005.html

平田篤胤の家で生まれた、そして強制連行されたソ連に没す。

。。。ってことにうつつをぬかしておったら、あっちゃー
俳句王国がゆく、もう半分おわってた。三時半からじゃなかったのおおお。。。

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最近のマイブーム。西村ヒロチョさん。(↓)

ジャージ姿のおののいもこ、聖徳太子の脱力漫画を以前むすめが愛読いたしておりましたが、それ思い出しました。ここ。↓

検索サイト Yahoo  検索ワード 横山村轟城

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