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2013年2月11日 (月)

山の人

母のいいたかったこと。
私が先日、大瀬と聞き間違えた話を更に尋ねてみた。
笠原小学校時代、遠足で、合瀬耳納峠(おうぜみのとうげ)を通った。
戦時中のことであり、遠足なんて呼ばず「行軍」という行事だった。
(ちなみに母は昭和五年生まれです)。
高良山にお参りして、合瀬耳納峠を通ったとのこと。
そこにはセンブリが自生していて、採って帰った。
そういう思い出がある、ということだった。
北川内の大瀬とは違っていた。
山の人たちは、なんと健脚なんだろう。
笠原の上村に母の里があったころ、母の母は嫁に気兼ねしつつ、里帰りするたび、娘である母に、やれさつまいもだのみかんだのと持たせてくれた。そのやり方も、こんなかんじだったらしい。
「ふもとの椿原の少し手前、右側の杉の根方に薩摩芋の入った袋を隠し置いとるけん、忘れんように持って帰らんね」
かくして母は私や弟を連れ、重い荷をしょって、黒木駅からディーゼルカーに乗って上妻駅の一つ先の今古賀駅まで乗り、そこから更に一キロ歩いて寺田村に帰り着いた。
善知鳥吉左の八女夜話
杉山洋先生のブログにありました。グッタイミング!
http://ameblo.jp/yameyobanashi/entry-11456631861.html
(今古賀駅はその昔、駅舎があったのだろうか?記憶では何もない無人駅でした。)
遠縁の立花町の山棲みの夫婦が、うちの畑を借りたいという。
ゴーヤを作って出荷するとのことだった。
借地料も決め、取り掛かろうとしたら、奥さんが怪我をした。
話は白紙に戻る。

正月にその山棲みの人の家がある近く(宮の下虚空蔵さん)まで行った。
私は八女の立花町の山間部をあまり知らない。
ずいぶんと遠かった。
八女農業高校の北山農場も、こんなに学校から離れていたのと驚きつつ過ぎて。
かくも遠いところから、ゴーヤの収穫に毎日うちまで下りてくるのは、大変だったはず。
山の人は、つよい。

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コメント

矢部線、駅舎のある所と無人の所とあったような・・
駅舎のある所には大きな煉瓦倉庫があり複線になってたりして活発だった思い出があります。
福島駅とうのいけ駅(煉瓦倉庫はまだ存在)には地下道がありました。
福島駅の東には石炭が山のように積まれていて貨物列車が元気に煙を吐いていました。
矢部線では山内⇔北川内にかけての風景が大好きでした。 
ディーゼルカーは八女農、八女津、通勤の人達でごった返していました。その頃幼稚園生だったのでまるで林の中にいるようでした・笑

↑貨物列車じゃなくて機関車でした、 大きな音を出す時は耳を塞いでいましたね。

矢部線の記憶は汽車の時代から電車の時代までありますね。
窓からみえる景色、えめさんと同じ風景が好きだった。トンネルを抜けてすぐのあたりかなあ。
よく覚えてありますね。鵜の池のレンガ倉庫、まだありますか。~待てよ、あれがそうかな?
は。うのいけ。むかし、鵜飼があっていた池があったのだろうか、この地名は。気になるなあ。
えめさんは黒木瞳さんみたいに羽犬塚まで電車通学だったのではありませんか。

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