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2013年2月 1日 (金)

守武の飛梅って、どの梅だろうか?

守武の飛梅って、どの梅だろうか?

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コメント

八女百首に守武の影を感じたのは、この句に接したのがきっかけです。
飛梅の地の文化人との親密な交流があったと。

飛梅は大宰府しかないでせう
デーモンさんが、吾輩はお詣りしないんだとのたまわれました。悪魔は神に詣らないそうです。け、このばちあたり。

閣下が編集委員長の某サイトです。
それほどばちあたりではないでしょう。
   ↓

下横山には山城轟城があったとありますが虚空蔵さんあたりの地名は轟ですね。 あの辺にあったのかな? 
その道しばらく行くと二手に分かれて左に下る方がぜぜん社方面ね(右方上がると尾久保へ)美しい村に着くと右方がぜぜん社、左方が朧橋。で、久留米方面へ行く道があります。ここから高良山や耳納は近い。大宰府も近づくかな・・耳納大橋のあたりは風景が美しいです。
悪魔デーモン閣下は「・・でもお寺には参る」っておっしゃってたから許してあげてね

はあ。
デーモン閣下は、乙四郎先生もエメさんも中山のそらんさんもすいとらっしゃるごたあね。


エメさん、明日いってみる。
二月は逃げる、土曜日休みは連休のみ、今日も残業です。

もしかしたら、わらべかんのすぐ近く?
なら、わかると思います。

ここに書いていました
   ↓

   ↑
七支刀の秘密を守武は知っていて、飛梅千句にその謎解きがあるという仮説を立てていました。
その後、深めていませんが・・・

はい、朧橋を目指していけば着きます。 谷に着いたら左が朧、右がぜぜん、朧は高地、ぜぜんは低地、久留米方向に間違わないでね、迷ったら村人に聞きましょう、それで大丈夫。

写真送付、三まいめでout、圏外。

十時五十五分には無事けえってきやした。

おそろしいことに、下山途中でガソリン表示が赤ランプ。げげ、、、上陽の本道にでてすぐのJAスタンドで10リッター補給、いつもいれるとこより十円近く高い155円だった。
うーん。下横山。とおいようなちかいようなへんな気分だ。

乙四郎語録24へのコメントつづき。
ユダヤ人のゴールデンブックに記載されているらしいよ。↓

はじっこに
ゴールデンボンバーも記載されないかな。
・・・関係ないっす。

ゴールデンブックに記載された二人のうち、えめさんと同じ樋口姓の樋口中将と、もうお一人の軍人さんは、

安江仙弘 (やすえ・のりひろ)
<1888~1945>
 陸軍最大の「ユダヤ問題専門家」。彼は秋田県の平田篤胤の生家で誕生したことで有名。シベリア出兵の際、シベリアから反ユダヤ資料を持ち帰る。1921年、参謀本部付となり、本格的なユダヤ問題研究に入り、「包荒子」のペンネームで反ユダヤ的な内容の『世界革命之裏面』(1924年)を書き、『シオン長老の議定書』を初めて収録する。
 1927年、ユダヤ研究が認められ、実地研究のため陸軍省からヨーロッパへ派遣され、パレスチナを主として各国のユダヤ機関を歴訪し、各地のユダヤ人と親交を結んで翌年帰国した。有名な日ユ同祖論者である酒井勝軍(かつとき)がパレスチナまで同行したのはこの時のこと。酒井との付き合いもあり、反ユから親ユに変わった。↓

平田篤胤の家で生まれた、そして強制連行されたソ連に没す。

。。。ってことにうつつをぬかしておったら、あっちゃー
俳句王国がゆく、もう半分おわってた。三時半からじゃなかったのおおお。。。

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