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2013年2月16日 (土)

戦時中の短歌、俳句~「日本婦人」昭和18年4月号から「軍神の家」

短歌

 

  指導  四賀光子

特選

一席 練習機低くとどろききさらぎの耀(かが)やく海は海苔日和なり

      東京   吉野 愛

評:練習機を背景に置いて海苔のことを言つてゐるのが結構である。
如何にも風味ある歌です。

二席 編隊機轟き渡るひとときの空逞しき美をひろげみす

      豊橋    大谷鍼子 

評:これも新しい眼を持つて編隊機を風雅のなかのものとしてゐる。

暮れてなほいま一鍬(ひとくは)とはげみをれば手許明るく月いでにけり

      島根    谷口章子

評:いま一鍬といふ増産の意気込に月のさし出(ゐ)でたのでことに結構。

俳句

 

  指導  星野立子

特選

一席 梅林のいつもどこかにゐる鶲

評:ほかほかと暖かな梅林の中に時々鶲がとんでゐて、見えなくなつて一寸の間、その間も忘れてゐると又鶲が目にうつる、といふ時に、ふとこのやうな句が出来たのでありませう。

岡山  中尾しま子

二席 軍神の家あり此處は梅の里

評:静かな、ささやかな梅の里に軍神の家がありました。軍神の家に詣(まうで)る人が折々にありました。淋しくも品のいいあたりの動きを感じました。

岡山  植田つゆ子

三席  山焼のすみたる奈良に泊りけり

名古屋 鬼頭文子

評:旅中、奈良に泊つた折、あたかも山焼が済んだ奈良であつた、といふのに興味を感じ、そのまま叙(しる)された素直なお句です。

(三月六日、選評文をうちこみました。ちなみに、一席賞金拾円、二席五円、三席三円)

追って;三月六日かささぎの旗記す

俳句、二席の岡山の方の句に、「軍神の家」という言葉がありました。
本日検索したところ、片山義雄という軍人の家であると分かりました。

わたしは、英霊を出した家というような意味だとばかり思って、読み過ごしておりましたが、そうではなく、当時は、岡山、軍神の家ですぐ誰の家を指すのか、暗黙のうちにわかったのですね。なにも知らないわたしがいます。

掲載誌『日本婦人』第六号(昭和十八年四月発行)

[備考]
教育紙芝居の宣伝文が載っています。

こういう内容です。

「ご家庭で常会で行事で集会で
教養と娯楽を兼て誰にもやれて面白い」

▼日本の母と妻を讚へた二大作

「軍神の母」全十二枚・二・二十、送料二十(円、銭?))
何でもない日常の生活の中に本当の日本人の母の温い優しい姿がある。これは壮烈真珠湾の華と散つた上田兵曹長の母堂の血と泪の苦闘史である。

「谷干城夫人」全十六枚。三・00 送料二十
西南の役賊軍に囲まれた熊本城にあつて夫干城を助け城内の婦女子を励ましよく三箇月の籠城をやり遂げた婦人の崇高な信念と愛情。

参照

軍神とはhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E7%A5%9E

軍神の母の上田兵曹長http://www.khiro.jp/jiti/newpage12.html
http://www.khiro.jp/jiti/newpage167.htm(重複しますがこちらには二宮金次郎も)

「12月8日は、真珠湾攻撃の日・・・太平洋戦争が始った
      かみた・さだむ
 蔵迫の上田定(上田武三さんの兄)兵曹長は、特殊潜航艇に乗り込み、真珠湾に潜航、魚雷で米戦艦を轟沈させたが母艦に帰ることは出来なかった・・・一命を賭した戦功から、上田兵曹長は、軍神として崇められた・・・・というように聞かされた。

 ところが、この12月6日のNHKテレビ「真珠湾の謎・悲劇の特殊潜航艇・・・ハワイの海底で秘密兵器を発見、奇襲の真相」によると、上田兵曹長らが乗ったと思われる特殊潜航艇が、真珠湾の沖5kmの海底400mで発見された。(出陣した5艇のうち、既に4艇は発見されている。)
 魚雷はつけていなかった・・・発射したものかどうかは不明。潜航艇は、切断されていた・・・攻撃を受けて沈んだのではなく、廃棄されたようだ。
 ・・・・他の4艇の中に、方向を誤って浜に乗り上げ、だ捕された潜航艇があった。米軍は、この潜航艇を確保して調査したので、上田兵曹長らの潜航艇は不要だったのだではないか・・・

 一方、撃沈されたと言われる米主力戦艦アリゾナは、今も真珠湾にそのまま沈んでいるが、魚雷の攻撃を受けた形跡はない。戦闘機によって沈没したとされている。

 真珠湾攻撃総隊長の淵田美津雄の日誌によると、潜水艦の参謀から、アリゾナ轟沈を特殊潜航艇の戦果にして欲しいと頼まれた・・・そして、特殊潜航艇の戦果として報じられ、これに乗り込んだ兵士は軍神としてとして崇められ、やがて後の神風特攻隊につながっていった。

 浜に乗り上げた潜航艇の酒巻少尉は捕虜になった。そのため、軍神として扱われず、一緒に写った写真からも削り取られた。」(杉本武信氏のものです。断りもなく、引用させていただきました。ありがとうございました。)

九軍神のひとり・岡山の片山義雄の墓

http://blogs.yahoo.co.jp/yamatetsu1441/8474136.html

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コメント

Wonderful epxlaatnion of facts available here.

短歌の上位ふたつは全く同じ内容、三首目で月に転じましたというかんじがします。
俳句は二句目の軍神の家だけが戦時を思わせるけど、ほかはかわりません。
軍神の家、名誉の戦死をとげた兵士の家は、こう呼ばれた。

・・・・とここまで書いて、そうかな?ひとりよがりじゃなかろうか。調べてみよう。
はたして、そうでした。ここに、出ていました。
軍神片山義雄。知りませんでした。ありがとうございます、上記epxlaatnion さん。

大幅に加筆しました。

軍神なら久留米のすぐお隣の鳥栖市旭町にもおられます。

お墓の写真が提供者K.mieko(私)で紹介されています。
山を掻き分け、たずねたずねしながら行きました。

開戦当初功績をあげたことで「軍神」と言われたのじゃないですか?
その後は軍神が多すぎて多すぎて・・・・・、最後は人殺しとまで言われた帰還者。

死んで神様と言われるよりも、生きて馬鹿だと言われましょうよね、きれいごと並べられた時も、この命を捨てないようにね。
青くなって尻込みなさい、逃げなさい、隠れなさい。
(加川良『教訓1』より)

検索サイト Google  検索ワード 戦時中 軍神の家

ご訪問ありがとうございます

このあいだ、新聞に、東条英機の奥さんのことが取材してありました。
敗戦からこちらの実家に身を寄せておられたそうで、そこへ毎朝、国民の罵倒の声を、歩いて届ける役目をしていた当時の少年が、思い出を語られていました。
大事に仕舞っておられたという。
人殺しとかありとある悪口を書かれていただろう。
それにだまってたえ、あまつさえ、土地を離れられるときには、郵便を届けてくれた少年に、過分なお礼をされたと書かれていました。

検索サイト Yahoo  検索ワード 戦時中の短歌

3位

2位は法政大学のブログ
あの大学は靖国神社のすぐ裏ですし、特攻一号の学徒兵を輩出したところなので、気になります。

情報操作されていても、分かりませんね。

開かれていましたので、読み返しました。
ありゃ。ロイリーさんが一個コメいれてらっしゃる。
加川良の、さくらさんがでえきらいじゃとおっしゃる歌。

ところで、星野立子評、梅林のヒタキ。
姿ではなく、作者は鳴き声でこの一句を得たのだろう。
尉鶲、どこにいても、ひっひっひと鳴くからすぐわかる。
今、似たような声で、もっと息が短くひっひっひと鳴くのは、雪加です。夏の鳥。ヒタキは秋。

セッカ、教えて下さったのは、おかべろくやた、亡き俳人の。句集金印を読み返しました。

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