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2013年1月16日 (水)

宮部鱒太句集から宮部善祥坊継潤と宮部鼎蔵のことを

呂伊利先生が銅像についての意見を書いておられたのでハッとしたことがあります。

毀誉褒貶は世の常なれど。
俳人の遺した句もまた。
句碑があちこちにたくさん建てられているのですが、まったく何も残さない俳人もいます。

熊本の宮部鱒太師もそうだったようです。

雪の火山にまむかい男ばかりの墓   鱒太

この句の火山は阿蘇山。
男ばかりの墓がひと群、それを仰ぐような感じでたっている。
フツフツとたぎる思いを胸に、時代に敗れ去った男たち。
それを表現するのに、雪の火山、。
簡潔にしてこれ以上のものはないと思われる。
かささぎの胸の中の阿蘇山には、この句碑が冬になるとたつとです。

では転載いたします。

「司馬遼太郎よりの抜粋」

    宮部鱒太

司馬遼太郎さんが二月十二日急逝した。この国の少なくなったホンモノが又一つ無くなったという想い。現代の視点から、歴史の実像に迫るという作品の数々は如何に私たちに活力を与えてくれたか。残念である。
戦後ずーっと、歴史の事実を理屈で割り切って、善か、悪かと判定するというような風潮で、日本がくろぐろと墨で塗りつぶされていたそんな時、この自虐的史観に唯ひとり敢然と抗して立ったのが司馬遼太郎であった。

彼の著作の中から、ちょっぴり、小生の先祖に触れた所があるので、少々気恥ずかしいが、述べることにする、

『歴史の世界から』 僧兵あがりの大名という題で、時は戦国時代。
信長が叡山攻めのとき、叡山側の隊長クラスに宮部善祥坊継潤という仁がいた。叡山攻めの時丁度居合わせなかった。敵方木下藤吉郎は彼を懐柔せんとして、密使を立て会うことにする。善祥防は、この時、己れの生命と一生の運命を賭けた。

城内の一室に妻の山御前、側室の月天、修羅、普賢、摩利支天を集め、「もしもの時は某所の金銀を分けて逃げよ」と。好色の男である。めかけを多数たくわえ、夫々に諸天、諸菩薩の名前を付けるような、ふざけた男だが、自分の危機を前にして女の身のふり方だけは考えていた。やさしい男でもあった。藤吉郎に会い、即彼を成長株とみたてたことが善祥坊の目すじのよい点。ただちに秀吉に仕える。秀吉は明智光秀を討ち、天下の覇権を握るや、同時にこの僧兵あがりの家来に、因州一国を与え、鳥取二十万石の大名とした。享年七十二で病死。

私の家の系図の上の方に、この宮部善祥坊継潤という名がでーんと坐っている。子孫は細川家に仕え肥後に来ている。オカシナご先祖ではあるが、私は大変愉快である。

それから、ずーっと下って幕末。

『世に棲む日々』
吉田松陰、高杉晋作を中心にその時代の流れを書いたもの。
松陰が肥後に来て、初めて宮部鼎蔵という仁に会う。そして終生の親友を獲たことになった。この肥後藩士は松陰より十歳年上で、のち元治元年いわゆる池田屋の変で、新選組に襲われて、斗死した。
『宮部鼎蔵は毅然たる武士である。僕もって、つねに及ばず、会う度になにかを、教えられる』と、松陰は書いている。この宮部と語りたいため滞在を一日延ばす、この日たまたま灯が尽き油がなくなっていた。(まこと貧乏士族の暮らし)この肥後人は無造作に立って、雨戸を繰り、月光を入れてあかりにするという奇抜なことをした。後日、鼎蔵は松陰と、東北・房総遊歴を共にす。松陰、下田よりアメリカ艦船への密航を企て、実行する。その時、鼎蔵は彼の帯びている宮部家伝来の太刀を鞘ぐるみぬき、松陰の貧しげな太刀と交換した
。(かささぎの一人ごと・・・八重の桜でこないだこの場面ありましたが、せっかくなら宮部鼎蔵も出して欲しかったですね、この場面が、見たかった!)。

   まだ「竜馬がゆく」が残っていますが、こんばんはこれまで。お疲れ様。

     つづく。

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コメント

今夜の八重の桜の付録が池田屋事件で襲撃されて自刃した肥後の宮部鼎蔵でした
今、検索してみて、ますた師の書き残されたものが出てこないので、やはり引用をしっかりおつとめせねば、と決意を新たにしました。
子孫が一番詳しい。

(で、竜馬がゆくからは引用したっけか。
してないような気がするっちゃけど)

今、文平座の動画をみはじめて、イントロダクションのかたりのなかで、みやべけいじゅん、がでてきました。
おお、あのみやべますた先生のご先祖さまだ!
こんなところでもつながっているとは、。

滞在時間 1分40秒 閲覧ページ数 3ページ 参照元 俳句 宮部鼎蔵

いくさが人を動かす
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東から西へ

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