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2013年1月 3日 (木)

ものぐらき函(はこ)のこの町、一彦の歌を裕子はかく読めるなり。

ものぐらき函のこの町
だれも見ぬ水のむかうの桜の紅葉    伊藤一彦(「青の風土記」)

閉ざされた箱のように、もの暗い町。
対岸には桜紅葉が美しいのに、誰もそれに目をとめようとはしない。
桜紅葉を愛でているのは、作者一人。
私たちは、町からも人からも疎外されているような寂しい思いで、ぼんやりと風景の中に佇んでいるようなことがあるが、この歌は、桜紅葉という点景を置くことによって、そういう心情を表現しているような気がする。
「ものぐらき函のこの町」がこの歌の要(かなめ)でもあるが、或は旅先での侘しさを歌った歌かもしれない。(河野裕子 「うたの歳時記」)

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コメント

私は裕子先生の歌集をよんだとき、石橋秀野をふっと感じたことがたびたびあって、きっとたくさんの句集に目を通した人に違いないと思っていました。
八女図書館で借りてきたこのうたの歳時記をよみますと、裕子さんが愛したものたちがすうっすうっと影のようにしのび入ってきます。
ご主人のあとがきには、たくさん句集もよんでいたと書かれていました。

鞦韆院落の漢詩もこの本に資料としてのっておりました。
河野裕子先生。ありがとうございました。

たつぷりと真水を抱きて鎮もれる
昏き器を近江と呼べり

手を伸べてあなたとあなたに触れたきに
息が足りないこの世の息が

河野裕子

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