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2012年12月 7日 (金)

挙句、山下整子。中村勘三郎、その時代へのコメント

コメント

あらら~。ぼんに先を越されちゃった。
わたしも勘三郎さんの逝去を一句にしたいと思っていました。
ほんと、ぼん、早い。まさにシンクロ。

正直、ショックを受けました。
同年代の死、だからでしょうか。
大好きだった、勘三郎さん、というより、わたしたち世代にはまだ勘九郎さんとしてのほうが馴染み深い気がしますが。梨園というどこかわたしたちの暮らしと遠い、由緒正しき世界を親しみやすいものに変えてくれたのは、まさに彼の大きな功績だと思います。ひたむきさと開放的な笑顔と真摯なまなざしと。なんの縁もゆかりもありませんが、遠くからご冥福をお祈りしたい気持ちでいっぱいです。

挙句案。

1、十八代目に陽炎が立つ
2、真菰若菰舟発つばかり

せいちゃんとそらんさんって、なんでか、よくにとんしゃる。
その句風が叙情的であること、それから、短句が43になりがちなところもね。

1はあまりに近いか。親句(しんく)すぎか。
2、これは面白いね。まこもわかこもふねたつばかり。新しい芽吹きを応援する句です。
これをいただきます。
ありがとうございました。
せいちゃん、ありがと!!
みなさま、ほんとうにがばがば長かったですよねえ。すみませんでした。ありがとうございました。

それから、せいこさん。追悼文、ありがとう。
そう書かれてみれば、そうなんです。
歌舞伎役者って、昔はかわらこじきだったのかもしれないのに、今はなにか、とっても文化人で貴族みたいで雲の上の人のイメージがありましたが、このかんくろさんは、ほんとに身近で、どこにでもいるおともだちみたいな匂いの人でした。
わたしには芸風などはわかりませんが。

連句的に付け足しますと、選挙の人、あべちゃん。
彼も同い年ですね。選挙、今回は彼に勝ってもらって、ただ一つのことをしてもらいたい。拉致被害者を救い出して欲しい。お父上もお母上ももう限界だろうと思います。

帰宅後、マコモをもちょっと調べます。

いってきます。

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コメント

昨夜、民放の特番で、中村勘三郎さんの追悼番組が放映されていました。二時間枠での番組で、若いころの勘九郎時代の映像や手術前の18分間インタビュー、なくなった日の「勘九郎襲名興行での息子である勘九郎の名乗り」まで。長男である新勘九郎さんのあいさつ。師である父親への情愛に充ちていて、涙がこぼれました。すばらしい挨拶であったと思います。

勘三郎さん、自分の命が尽きるのを予感していたのではなかろうか。インタビューを見てそう感じました。
「先がないのなら、はっきりそう言ってくれと頼んでいる。それならそれで、やりたいことがあるから」
「やりたいこと」はたぶん、「やらねばならないことをやること」なのではないでしょうか。
わたし自身、命の限るがあるのならそれを告知してもらいたい。そう強く感じました。わたしにも度合いの違いはあれ、やっておかねばならないことがありますもの。しゅうとめのこと、ははおやのこと、たんかのこと。NPOのこと。もろもろ。
それをやらないと死んでも死に切れない。


この年代はわたしにかぎらず、だれでもみんな「やらねばならない」「やっておかねばならないこと」をたくさん抱えているのかも知れませんね。荷物をたくさん抱えてる世代です。

ぼんの花を見て感じたんだ。
もうわたしたちの年くらいになると、死は少しもこわくなく、こころの片隅でひそかに待たれるものであったりするんだと。
突然にくる死、花のような死。
そんなふうに表現できるということは、憧憬まじりの死のように思えたから。
まだすべきことがあり、勢いでいきておりますが、懐かしい人たちが住む世界へ帰りたくなるときもある。父が恋しい母はもっとだろう。。

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