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2012年11月10日 (土)

磐井ロード歌仙ナオの9

「磐井ロード」歌仙  起首平成24年初夏

ひた走る磐井ロードや卯月の野   かささぎ   夏 
   蛍の輝跡ゆふ暮の空         乙四郎 夏  
改装の高層マンション売られゐて    整子   雑
   管理事務所はスタッフ募集    えめ    雑
有明の上澄み乱す鴉たち       宙虫    秋
   耳朶より覚めるそぞろ寒き日    都    秋



その先は入山禁止末枯(うらが)るる  せいこ  秋
  木簡の墨ロマン広げて        ぼん   雑
いくたびも郵便受けを見に行きぬ   らん   雑
  配達人がちょっとイケメン     兼坊   雑恋
イクメンの婿のいいなり再再婚      かささぎ 恋
  海みるときは二人がいいと     みやこ  恋

ひとつかみほどの影ある寒の月   みやこ  冬
  B型ばかり余る献血         かさこ  雑
濁流は家呑み畑呑み車のみ    ぼん  雑(時事)
  まぶた閉ぢれば見えてくるもの   ぽぽな 雑
花咲かば良き爺咲かずば悪しき爺  乙四郎 花春
   ボカシ肥料に混じる黄塵      都   春

名残おもて

燕には蝶ネクタイが似合ふらん    兼坊  春
     ポニーテールの高さ確かめ    かささぎ 雑
朝(あした)にはまだ処女(おとめ)なる君の息 みやこ 恋
                       三千匹の魚の産卵        せいこ  恋
水泡を破らぬやうに水あてて  らん  恋
   吽の狛犬初蝉を聞く    エメ      夏、釈教
寂しきは戒壇院の野の小道   かささぎ  雑  釈教
   石を選んでけんけんけんぱ   呆夢   雑

▽ナオ9句目案

1しあわせを溜めこむ壺の底がない  そらん

2「いつもここに画鋲を置くのは誰ですか」 せいこ

3お迎えのデイサービスの停留所  一階八斗醁(川西市)・・・ってどこやねん。

4誕生日忘れたかって生きられる    同上

5いじめられる顔だと鏡見て思う   同上

6反日デモあれは紅衛兵である  渡辺隆夫(神奈川県)

7原発のデモに並んできたアトム  北村幸子(草津市)

8偶然を投網に掛けている出会い  里上京子(堺市)

9ヒリヒリと迷子の記憶ニッキ味   同上

10お地蔵さんより太ってはいけません    橿原市 西澤知子

11そやかてな、うちだけかてかてまんじゅうなんやもん  かささぎ

さあ。たくさんでました。
かささぎが川柳誌から拾ってきたものまで揃いました。

どれにする?

どれかえらんで、つけてください。77です。季語いりません。

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コメント

お迎えのデイサービスの停留所  一階八斗醁

これ、最高!!つけあじがいいんだよねえ。

アトムの句もいいですね。これだと時事になりますね。

著作権・・・というのは、表現者に確立して与えられた権利で、その権利は無闇に犯してはなりません。
私が原作者であれば、自分に断りなしに自分の作品が借用されたら、いい気持ちがしません。肖像権と同じ。
かつて檀氏(故人)の作品を組み込んだ時にも感じたわだかまりですが、故人の場合は断りようもないし、敬意の表し方のひとつと割り切りましたが・・・
人によっては盗用と批難されるかもしれないようなことは慎みたく思います。連句は座衆の共同作品ですから、自分たちで丁寧に創りあげる作業を大切にしましょう。一階八斗醁さんや北村幸子さんが座に加わっていただけるというのであれば大歓迎ですが。

11 そやかてな、うちだけかてかてまんじゅうなんやもん

権利によりて護らるるもの

※関西方言と八女方言が混在してますが、それも一興。

言葉足りずだったので補足します。
あるグループが、
「この人の作品は素晴らしいので私たちの作品集に加えましょうね」
と本人の知らないところで話が進んでいたとします。
そのグループの同人は、
「どこのどなたか存じ上げないけれど、私たちと同列に扱うのだから光栄でしょう。文句はないはず」
と思っていても、当のご本人が知ったら、
「私の作品があの人たちと同列に扱われた」
と、プライドがずたずたに傷つくことだってあります。著作権を軽視することは、原作者とその作品を軽視することで、悪気はこれっぽちもなくとも、原作者に非常に失礼なこと
をしていることになります。嘉門達夫のパロディソングに不快感がないのは、彼がすべてのオリジナル作者に断りを入れてから発表するという礼儀をわきまえているのが知られているから。本学の一期生の一人がスポーツ選手の人物写真を何十枚も使った論文を残していきましたが、彼は、所属ジムの了解が取り付けられなかった写真はすべてボツにしました。彼は論文仕上げの最終段階の多くを肖像権の尊重に費やしていますが、それは自分の論文の完成度を高めたい一心からで、確かに素晴らしい仕上がりでした。

乙四郎、よく言ってくださった。
まさに、その説教を待っていました。
了解しました。
みなさまもきっと同感でありましょう。

いくつかの理由で、こういう書き方をしてしまいました。
ひとつは、選句っていうのは、じぶんの心に残る句をあげるんだよね、その時決まった数にむけて。ところが、どんなしようもない句でも、使う場さえ獲れば、すごいメイクになるんだ。それをなんとか無意識にでも伝えたかった。
ああ、だからといって、昨日わたしがあげた句たちは、メイクでないというわけではありませぬ。普段ならどうということもない日常の些事、それを切り取って表現されているその表現が、なんということもなく素晴らしいと思って。
そういう句、俳句という発想からは決してうまれないので、すごく面白いのです。
ありがとうございました。
竹橋乙四郎にも、読ませていただいた川柳作家集団の同人誌「点鐘」の人たちにも心より感謝いたします。とともに、かささぎの非礼をおわびもうしあげます。

きのうの夜、ってもう一昨日の夜にも澤田都紀子とも話し合ったことなんですが、。
俳句的あじわいというのと、川柳的あじわいというのの接点にこの問題があるようなきがする。
秀野ノートに引用した柳田國男のことばですが、身構えなければかけない俳句に価値なんてあるのか。むかしの俳諧連句がもっていたような多様な「ようらの美」(これ、いまjかささぎが発見しなづけた批評のためのことば、八女弁だけど、ようらはそのままありのまま自然なまま、なりふりかまわずともちがう、普段着のママって意味かなあ、いやどうもちがうな。ようらはようらだ。)を切り捨ててしまって、お察しくださいばかりが残るような世界はろくなもんじゃねえ。
というようなことを柳田國男さんは確かに言ってた。さすが大民族学者のことばはちがうな。とおもったんだ。

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