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2012年10月 6日 (土)

人工妊娠中絶船

保健医療経営大学学長

橋爪 章

2012 年 10 月 6 日 人工妊娠中絶船

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昨日、モロッコ海軍がオランダのNGOが運営する人工妊娠中絶船の入港を阻止して領海外に退去させたというニュースが配信されました。

モロッコでは人工妊娠中絶が禁止されています。

中絶禁止国には、不適切な方法や不衛生な環境による違法な中絶により多くの妊婦が命を落としている実態があります。

人工妊娠中絶船を運営するオランダのNGOは「Women on Waves」という団体でオランダの医師が1999年に設立しています。

中絶が禁止されている国の女性を船に乗せて国際公域(公海)に行き、そこで安全な中絶手術を無料で行う活動を行っています。

この人工妊娠中絶船は、これまでアイルランド、ポーランド、ポルトガル、スペインを訪問しています。

公海上での事件は、船や航空機の登録国が管轄権を持ちます。

公海上でなく領海内であっても、船や飛行機などの移動体内での主権は、旗国主義の適用を受けるという解釈が一般的なのだそうです。

旗国主義というのは、登録国の国旗を掲げた船や飛行機の中での事件の管轄権は登録国にあるというもので、大使館や軍事基地の敷地内での主権と同じく治外法権です。

日本でも、刑法第1条2項の規定で旗国主義を採用しています。

日本の領海に、健康保険適用外の高度医療を提供する外国の病院船が出現した場合、どう対処すべきでしょうか。

(保健医療経営大学学長ブログ転載)

▽かささぎ小説ー都忘れの花

「どうしよう。ねえ、そっちの産婦人科、どっか紹介してくれない。
なんとかしないと、・・・もうそろそろ五ヶ月になるのよ。」

えっ、五ヶ月って、。
ひろみは思わず友からの電話に絶句した。
お腹の子を中絶なんて・・・・そんなこと、できるの。

わからなかった。
二十九歳のひろみは、第一子を出産して二年近く経つ。
普段大人っぽく冷静な、一歳年長の友人夏子がそんな切羽詰った声を上げるのを聞いたのは、これが初めてだった。
夏子は隣県に住んでいるため、学校を卒業してからは自然と会うことがなくなったひろみの短大時代の友人である。とても流暢な英語を話す夏子は、米国人から直接英会話を習ったと言っていた。英語の授業中、先生に指名されて夏子がテキストを読むと、皆が何か尊いものに打たれたような顔になったものだ。それほど夏子はみんなに尊敬されていた、といっていい。
そんな夏子が弱りきって、ボストンバッグ一つ下げて、ひろみの住む街にやってきたのは、その翌日だった。
まださほど目立つおなかではなかった。友はひろみの娘をみて、うわあ、かわいいわねえ。といって、誕生日には早いけどと愛らしい服を贈ってくれた。

できるの?とひろみはそればかり気になって、友に尋ねる。
彼女は、だあいじょうぶよう、電話で産院に聞いたもの。
教えてくれてありがと。助かったわあ。と答えた。


ひろみは軽乗用車に友を載せて、自分がかかった産院に連れて行った。
そして、夏子はそこに入院した。

どうするんだろう。
人ごとながら気が気ではない。
医学的なことはまるでわからないが、五ヶ月ともなると胎児が大きくなっていて普通の中絶はできず、出産させ流産させるような形になるみたいだった。
家事を終えて、夕方夏子を見舞うと、子宮口に風船を入れて無理に開くのだという。神妙な顔で、ベッドに寝ていた。ナーバスになった夏子も、初めて見るものだった。妙に饒舌になって、学生時代の楽しかった思い出を次々に話してくれた。名物先生の傑作な話や、友だちの誰それの噂話や、それから最後にこの誰も望まない妊娠のもととなった自分の「過失」について。

たった一晩、遊んだのだという。
彼女は酒豪で酒が強かった。
それが久々に後輩とあって、つい出来心でそうなってこうなったのだと。

相手はこのこと、知っているの?
しいらないわよう。こっちが悪いのだから。
言えない。誰も知らない。

彼女は涙をはらはらと流し、ベッドをきつく握り締め、まるで妊婦の出産のときみたいに、ううっ・・苦しい痛い・・・こんちくしょう、とうめいた。

その姿をみているうちに、いたたまれなくなったひろみである。

ね。ちょっと待ってて。
夏子、相手の人が知らないというのはそれは絶対にいけない。
こどもはひとりでうまれるものじゃないもの。ほしくてもできない人もいるのよ。
男にしらせよう。教えて。名前。電話番号。

嫌がる夏子の口から、どうやって聞き出せたのか、二分後にはひろみはある大学病院へ電話をしていた。その人を呼び出し、名前を確認し、今夏子が置かれている状況、その局面をざっと告げた。

それによって、この施術が中止になるわけではないとひろみも夏子も勿論知っていた。そこまでこどもではなかった。しかしひろみは可愛い一児の母であった、どうしても相手の男には、女の苦しみを痛みをしらせておかねばならないと思った。
なぜなら、相手は、人の命を扱う医師のたまごだったからである。

男は電話の向こうで、凍りつき、それから絶句した。

その心の混乱がまるで見えるように、沈黙から伝わってくる。
見も知らぬ彼に深く同情しつつ、そのまま、電話を切った。

それから。
それからひろみはどこかで期待している自分にはっとした。

彼女の中絶をとめさせてください。と言ってくるのではないかとのかすかな、あるかなきかの希望にすがりたかったのだ。

どうかそうであってください。と祈りつつ、翌朝また産院へ向かう。
都忘れの紫の小鉢をもって。
しかしまだ彼女は苦しんでいた。
そうして三日目の朝。
夏子は個室についている小さな手洗いで自分の洗い物をしていた。
振り返り、すっきりした顔でこういった。

さあ。これで済んだ。
帰るわ。あなたにはすっかりお世話になったわね。

その日ひろみは小さな娘を抱いた友を助手席につんで、隣県へと夏子を送り届けた。

行く手には、もうすでに夏の雲が真っ青な空に浮いていた。




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