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2012年10月 7日 (日)

九州浅草観音霊場  大東寺 (八女市矢原町)

あさくさかんぜおん、って書いてあります。
東京浅草寺からの分霊であるらしいです。

我が村では隣組ごとに小さな観音様をお祭りしていて、毎月17日か18日ころにお観音講という名の集まりをもっていました。
しかし、だんだん高齢化して、寄る人の数も少なくなりお守りができないため、どこか安置できるお寺はないかと探したところ、ここに預かっていただけることになりました。

われらの観音様最後の写真です。賽銭箱の横の文机の上におられる。
これまで長いことお守りいただき、ありがとうございました。

古い代々の記帳をみますと、昭和三十二年から始まっていた。
がま口には十銭札が四枚、あとは一銭硬貨33枚。
お賽銭が使われずそのまま残った余りです。
わたしが生まれたころって、こんなお金だったのかなあ。
よく学校からj帰ると、ばあちゃんたちが寄って季節のごちそうを食べながら談笑していた。
おかんのんさんのお茶わかし」と言っていた。

ご住職の神山彦徳(僧名でかみやま・げんとく、俗名はかみやまよしのりと読む)師にお寺のいきさつを尋ねることができました。
お聞きした話をまとめるのは自信が持てないのですが、こういうお話でした。

祖父は広島の地でその土地のご典医をやっていて、殿様から戴いた当時の姓は王野(おうの)といった。祖父には息子が多くて、そのひとりだった父は諸国巡業のたびに出て、八女の川瀬の廃寺に住み込み、しばらくしてこの福島の地にお寺を建てた。檀家もないような貧乏寺であった、
父には息子がたくさんいたが、大東亜戦争で支那の地で戦死したりして、一番上の兄と末子の私だけが残った。兄はながらく福島高校の教員をしたあと、さいごは教育庁に行ったような教職者だったので、だれもお寺を継がないっていうので、わたしがお守りをしておるわけです。毎日のように父母からどんなに苦労して一からこの地にお寺を建てたかを聞かされていたものだから、知らない顔できなかったのです。
父がこの地で大東寺という名前の寺を開いたのは、当時のだいとうあせんそうによります。
貧乏寺でさて、何を祀るか、信者さんたちから、是非かんのんさまをおまつりしてくれと請われて、それならと日本一の浅草観音さんにお参りして分霊をお請けしてきたのです。。。。

お写真をブログに載せてもいいですかとお断りすると、あまり目立ちたくない。とおっしゃいました。すみません。

(福高の記念誌を見てたら、ありました。
兄上、神山太道とおっしゃいますね。
ちょうど私の短大での英語文法の先生だった隈本恭先生とおなじころの。
それから、あっと思ったのは、八女老連広報で尖閣諸島のことを書いておられた山下功氏、なんと福高の先生のなかに発見。しかも、われわれの時代の先生です。あれまあ。まったく、すみません。)

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コメント

こちら、ときに訪問がございます。
お観音様をお預けして、それっきりなのが、気がひけます。

上に同じです。

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