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2012年9月16日 (日)

栗原桑原連句的。そしてアサヌマハク。

さくらさんのブログに行った。
ニューヨークさんが来たそう。
4年前を思い出し、こんなコメントを残してきた。http://blog.goo.ne.jp/ssj19430903/e/0915057c847319e9e70b8bd56447dd63

ところで、今日の幼馴染との食事会でも出た尖閣諸島のこと。
日本国が買い取ったのは、さいたまの栗原家からという。
かささぎの旗で去年引用した、八女老連会報の「尖閣諸島と古賀辰四郎」があたまにこびりついていたため、てっきりこの栗原家というのは、奥八女の栗原一族の流れだとばかり思い込んでいました。ちがうのでしょうかね?

先日ひさびさの徹夜をしたとき、眠れぬままに本をよんだ。
その本にこんなくだりが出ていて、妙に記憶にぶらさがり、わたしを抜書してと叫ぶ。
だから、引用しておきます。ただし、これは栗原ではなく、桑原。

(桑原武夫といえば、かささぎが俳句の道にはいったころにはまだ話題にのぼることも多かったけれど、いまはあまり聞かれない。原文でよんだことはないものの、彼の俳句第二芸術論はとっても有名であり、話の引き合いに出されることが多かった。)

しかし、東洋の文人は、西行や芭蕉のような人物ばかりではなかった。
たとえば桑原武夫は、「織田君のこと」(中央公論社板『織田作之助選集』附録第二号)のなかで、「戦争中に文学報国会近畿支部総会が京大でひらかれたとき。川田順氏が議長になって、芭蕉三百年忌についての議事を、まるで株主総会のように能率的に、味気なく進行させていたとき、織田君がひょろひょろと立って、芭蕉もいいが一年違いで死んだ西鶴を線香一本あげずに黙殺するのはちとひどすぎる。そこにおられる久米(正雄)先生はじめ皆さん西鶴には相当御恩があるはず、という意味のことを、例の皮肉な調子で発言した。幹事の諸先生の困惑ぶりが面白かった。ぼくが織田君に、とてもよかったよと、というと、彼はテレたように微笑した」とかいている。織田作之助が、西鶴に線香をあげようと、じゅばん一枚にヒシャク一本で力戦奮闘していたありさまが偲ばれる。

 ー花田清輝「檀一雄ーその浪漫的放浪・抄)より最後のくだりー

上記が声をあげるのは、こないだ浅沼璞から聞いた話をなぜか連想させるから。

浅沼璞の実家はもともと島流しの島三宅島の出身(ご本人談)だそうで、かの暗殺された政治家浅沼稲次郎の家とは斜向かいくらいに近い地に住んでいたとのこと。三宅島出身というだけで差別された時代があったのだそうだ。ハクさんのお父上は稲次郎が暗殺されたとき、男泣きに泣かれたそうです。郷土の偉人だったのですね。

上野でオンザ六句進行中、はくさんはまるでガッコの先生みたいにいろんなうんちくを語られましたが、その多くが西鶴についてでした。ああ、ご存知ないかたのために説明いたしますと、浅沼璞さんははじめて会った十二年ほど前までは高校教師であったそうですが、目下大学の先生をいくつも掛け持ちされていて、空き時間にご自分の研究をつづけていらっしゃるようです。

かささぎは、これまでこのどうしようのない性格の悪さから、たくさんの人を激怒させてきたが、このお方もまたそのお一人だと思われた。ですから、詫びようと思っていました。でもすっかり忘れていた。ブログの連句をとめてしまったことが申し訳なく、それだけは伝えたが。

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コメント

かささぎ、連句
で検索したらこれがトップに出ました。
ありがてえ。どもども。
ごめん。止めている。止まっている。
すべてさばきのせい。
じつはな。あのときのはくさんのオンザ六区のときもずうっと感じていたこととおなじよ。
いま、ナオ恋でとまっているのは。
さてどのあたりをもって恋と名付ける。ということ。
らんさんが出してくれた病体をとる。すると恋から離れる。
かささぎは天文百首をやったときから、恋はねることだとおもった。すみませんこんな下品な俗語で。
であれば、まだだと思って、不完全だと思って、。

浅沼璞さばきの、自由律のところで恋をだした。
プリプリのは恋を失った歌でしたのでね。
でも、ずうっと恋句みたいなのが続いた。
あれ?オンザロックでは二句までなんじゃなかったの。
と思って、、、、ああ、だからはくさんの学生たちとの座もずううっとおんなじようなんが続くような感じをうけるんだ。とあらためて気づき。このような分類とはくさんの分類はどう違う。どうもわからないなあ。

それとおなじです。
一句目、つばめなれども、人情の濃いつばめの句が出て、ポニーテールが出て、それから少女と少年の恋みたいな句が出て、・・もうすでに恋句は一句目あたりから始まりかけていた。
みやこさんが長崎原爆忌に出した、爆心日という季語の哲学的深さにも通ずるんですが、深層で始まっている恋のコードをすでに杉浦先生の句ははらんでいたので、分類すれば、一句目が恋待ち、二句目から恋となるのだと思われる。であれば、かささぎの理屈で恋が尽くされていないなんていうのは、いかにもくどい。もうよかったんだ、あれで。

ということで、らんさんの句をもらいます。
夜までまってください。

それから。
かささぎ、ここでの記事本文にも書いていますが、あれから徹夜して書いたとめがきを、いそがねばと思って、朝、前田先生にFAXしたのです。でも没でした。そしてなぜ郵送しないと激怒された。これまでならば許してもらえたのですが、私はここ数年多忙で電話をする余裕も手紙を書く余裕もないんです。
前田先生、どうかお許しください。

ただ、あの原稿のあと、出遭いました。
であいました。
保田の芭蕉の解説で、眞鍋クレオに。
それをよんで、一気にとけた。

いそぐな。ゆっくりいけ。
と先師たちは言っているようです。

眞鍋クレオの「おそろしい人」を、まるごと引用したい。だめですか。
かささぎにとっての、写経です。

連句の続きを期待していました。残念。

写経するのは良いとしても、netに載せるのはどうかと思います。

そうですか
私には最も大事なことです

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