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2012年9月19日 (水)

かささぎの旗(14) 九州俳句誌随想より

かささぎの旗(14)

                 姫野恭子

 

 

 

 

 連句界の大御所、眞鍋呉夫(連句での号は
天魚)先生がこの六月、身罷られた。九二歳

だった。

 俳人としても、文士としても、一流の人で

あった。私は前に、同郷であるということでか、

あるいはまた、研究していた山本健吉の最初
の妻、俳人石橋秀野が眞鍋先生とおなじ文化
学院卒だったという理由からか、句集を頂い

たし、一度、お電話をいただいたこともある。

その句風は幻想的で、この世のものならぬ存

在にたしかな輪郭を付与されて、永遠の命を

作品の中で獲得された。
私の連句の師匠である前田圭衛子氏が、あ

るいは高木一惠氏が浅沼璞氏が川野蓼艸氏が、

眞鍋先生の大ファンであり、その作品には大

いなる影響を受けておられる。自然とわたし

も眞鍋先生の作品には注目させられてきた。

 今回、その眞鍋先生の追悼を、連句でやろ

うと前田師が発句を選定、一巻を巻き上げた。

その発句に選ばれたのが、青年期の次の一句。

 

かなしみつのりくればしろぐつはきもあへず

               眞鍋呉夫

     句集「花火」より

 

脇は前田師がつけられた。

 

 雲ひとひらを残し逝く夏   前田圭衛子

 

みやま市は、眞鍋呉夫氏が終生敬慕された

檀一雄が若き日、妻リツ子をなくして、幼い
息子を背中におぶい、瀬高の街を放浪した、

寄宿寺がある町である。呉夫氏の檀一雄の

評伝は、硬質の文章と豊かな語彙でなされ

た、優れたものであった。その人の追悼歌仙

を巻くのに、その寺からほど近い大学で巻け

たというのは、偶然であったがふしぎな縁で

ある。

 

ところで、わたしに四年前、勢いに任せて書いた

こんな文章がある。なぜか白靴のこの一句につい

て後鳥羽院の歌一首とともに書いている。。

 

哀しみつのりくれば白靴はきもあへず    呉夫

眞鍋天魚の若いころの句に、こんな句があっ
た。記憶ではこうだが、ちがっているかもしれ
ない。なにしろ先日も記憶から句を取り出す
過程でずいぶん自分の色に変えてしまっていた。
(
それは宮部鱒太翁の正月の句だった)。

この句が忘れられない。句を読めば現前する
鮮明なイメージが、ずうっと遠いところでリフ
レインしている。それが今日、この句にかぶさる
詠み振りの後鳥羽院の若い頃(二十歳くらい)の
、次のような歌を和歌の本でみつけ、あっと声を
あげてしまった。

白菊に人の心ぞ知られける
  移ろひにけり霜もおきあへず  後鳥羽院

内容は、まったく違う。
しかし、なぜかひびきあうものがある。
きっと眞鍋呉夫先生は、この後鳥羽院の一首
をご存知であったのではなかろうか。

ああ、どちらの句も歌も、なんという痛さだ。
どちらか一つだけだったなら、こんなにいても
たってもいられないような感じにはならなかっ
たかもしれない。わたしのかなしい習性として、
いま、この二つのうたの裏にあるものがしりた
くてたまらない。
とるものもとりあえず、これを書いた。

九州俳句誌(超結社誌・北九州市福本弘明編集長)167号より引用

※引用に際し、前田圭衛子師の脇句に誤植がございました。

雲ひとひらを→雪ひとひらを

となっておりました。
九州俳句誌を文中の各位さまへ送付できぬことへのお詫びと、誤植のおわびを束(つか)ねて、(ほかにも引きたい文章はたくさんあるにもかかわらず)、拙文を引用いたしました。
前田圭衛子先生にはあらためて深くお詫び申し上げます。

 

 



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