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2012年7月14日 (土)

モリモリ森山さんの句集、出たよ。「闘争(ヒリヒリ)」せよ!たとひ、へんなおじさんといはれても。

モリモリ森山さんの句集、出たよ。

句集『[法華折伏破権門理(ほつけしやくぶくはごんもんり]、喜悦のみがある』

著者 森山光章 (小郡市の俳人)

地湧(ぢゆ)の菩薩として僧俗和合(そうぞくわがふ)で[魔の所為(だうりなきいま)]を砕滅(いけない)する

南無妙法蓮華経 ー 敗(やぶ)れざる我(わ)が扶桑(ひのもと)に立(た)たむ

頽落(いいのよ)した夜(しつきん)の底(そこ)で羅刹(おじさん)は泣(な)く ー QUALITY OF DEATH (詩は死なり)

我が終はりえぬ死を言祝ぐ、闘争(ヒリヒリ)のみがある

impossible(不可能なるもの)に身を痙攣(そ)らす、我が滅尽(めつじん)を笑(ゑ)む

(身をそらす虹の絶嶺処刑台  高柳重信)

[仮和合(けわがふ)は妙(めう)なり]、仮(け)を闘争(たたか)はねばならない

宮沢賢治は法華経を錯誤する、わたしはユダヤをお触りする

ワン・ワールドを陰謀(おりこうさん)する猶太(ユダヤ)の平和(タハケ)を舐めてあげる

[大室寅之祐(おおむろとらのすけ)]、被差別出身の天皇(すめらみこと)をパチンコ(いけない)する

日本(ひのもと)を破戒(はくわい)する「民主党」の狗(いぬ)を誅殺(ちゆうさつ)すべし

南無妙法蓮華経 ー 安国の闘争に死す

[狂気(えらばれしもの)]の闇(やみ)に沈倫(ちんりん)する終(を)はりを死(し)すは当然(ひつぜん)なり

後記
(狂気)が、全てをわたしに付与した。
[終はりを死す]。「法華折伏破権門理」しかない。
[終はりの闇]が、わたしを呼んでゐる。

・・・魔の習いは善を障えて悪を造らしむるを悦ぶ事に候
    日蓮「常忍抄」

法華折伏破権門理(ほつけしやくぶくはごんもんり)とは。

天台(てんだい)大師が『法華玄義』に示された言葉で、「法華は折伏にして権門(ごんもん)の理(り)を破す」と読みます。法華経は仏の真実の教えであり、その経体(きょうたい)そのものが方便の爾前権経(にぜんごんきょう)を破折し斥(しりぞ)けるという意味です。

△連句的引用▽

クオリティ・オブ・デス(価値ある死、死に様、死にがい)

1死に場所なら英国がいちばん:http://firstpenguindoc.blogspot.jp/2010/07/blog-post_19.html

2どんな死を理想とするか:http://retire-info.org/?q=node/162

3乙四郎学長ブログでデスオブクオリティを探そうとおもえど。
これだけに絞った記事はないようだ。終末期医療のなかで出てくる言葉ではある。
かささぎの旗で「終末期医療」として検索、一番目に出たのが、これ。
①http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-dac3.html

このなかの、QOLという言葉、くおりてぃおぶらいふ、質としての生命がすなわち、QOD死にざまに通じるのでしょう。

②http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-74e7.html
同上。

(ほんとは、http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-752f.htmlがいちばんに出た。)

△かささぎの一人ごと

もりもりもりやまさん。あなたはほんたうにくるってゐますか?
かささぎには、わかりません。

ああ、だけどもさ。これだけは、わかるよ。
字面は悲惨な言葉が、それも釈教句の難解な文字が踊っていて、そしてそして、奇妙なことに、現代的なはちゃめちゃルビがふられている。
そのズレはおかしい。かなりおかしい。けど、わらえないんだ。
ちょっとさ。あれににているようにもおもうのよ。
あれというのは、ほら。
よく小学校の通学路で、へんなおじさんが前をあけっぱなしでたちハダカっていたことがあった。
よく、というのは、誇張ですが。そんな滅相もないことだから。
いたよ、ね?走って逃げてた。きもちわるい、といって。

だけど、ほんとはキモチワルイんじゃなく、さみしいきもちになるんだった。
どこかその手のすこぶるつきの不謹慎さが、漂っているようにおもうんだ。
これって、なんなんだろう。ね?
にんげんって、かなしいよ。ね。
狂っていようが、まともでいようが、どっちもたいしたちがいは、ない。

あたしは、なきたくなるのよ。天をあおいで。

森山さん、連句にいらっしゃいませ。16日。9時半開演。
前田圭衛子先生イン保健医療けいえい大学。ちょっと受けるね。
いや、じっさい、なつかしいでしょ。前田先生と久しぶりでしょ。

場所、調べて、きてください。
いてくれるだけでいいよ。でも、なんでもいいから、だしてくれたら、もっといい。
無口な人だったなあ、もりやまさんは。

一度、いや、二度あったかな。
福岡、早良区で、と、山王で。
まことさんと、もりやまさんと、三人で電車で移動したことを、覚えているよ。
あれ、どこだったかな?
かささぎは、じぶんがのっぽなので、自分よりでかい人をみたら、その人はでかい。
という基準でひとをみます。で、もりやまさんはおおきな人だった。笑。

困っている。八人と前田師に伝えた。でも、数えたら、足りない。
来てくれたら嬉しいです。

横山康夫先生。

大分中津の。

もし、万一、このブログが目にとまったら、いらっしゃいませんか。
案内状をお出しする時間はもう、ありません。ですから、ここで直に呼びかけてみよう。ごめん。

あと、かささぎが呼びかけられる、男性の連句人は、あとは、山口の氷室さんこと、木戸葉三の三人だけです。

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コメント

龍女(きみ)はわが弟子なり、文殊(われ)は[提婆達多(にへ)]として死す


(龍女とは?と疑問をもてば、次の一句が答える、)

龍女(りゅうにょ)は衆生を済度す、文殊(われ)は授業(かきかうしふ)する 援交(ゑんかう)の夜

森山語辞典が必要になってくる、つぎからつぎへ湧く問い。それに答えをくれるのは、なんと、仏教辞典であるのだ。
森山光章、あなたは九州の宮沢賢治だ。
かささぎにとっての「斧劈皴」だ。

かなり探しました。きのう、さくらさんのブログで手嶋龍一さんの発言をみて、咄嗟に、つい最近しらべたばかりの、そして学長ブログでもしばしば終末期医療で見かけた「クオリティ オブ デス」について、書き込んでしまいました。そして、それをどこかで書いたんだけど、どこだったか、探せど探せどないんです。おかしいなあ。とおもって。でも、。
なんだ、ここだったんだ。
森山光章、ほんとにへんなやつ。
おおっと、やつ呼ばわりしてはいけない。
滅相もありません。法難がきます。
ばちがあたりそうです。
quality of death が、
森山さんの俳句の一部分だったとは、ほんとうにびっくりです。たまがりました。いやあ、お釈迦様でもごぞんじあるまい。
あたしは、こんどの句集の多くの句が、変なおじさんみたいできもちわるい、って書いてしまったんだけど、どうもそれは間違いのようです。
その、読み方が、どういうふうに受け取ればいいかが、わからなかっただけで。
森山さんにとっては、いま、世上にあふれているさまざまな問題意識すべてを俎上にのせ、森山語で料理されたのでありましょう。

森山さん。たしかにうけとりました。
そして、さっそくあなたの詩のかけらを、ご近所さんに振りまいてしまったってわけです。無意識に。

でも、たぶん、これでいいのだ。
おはり。

↓さくらさんのブログ。

もりもりもりやまさん。大幅に加筆いたしました。

クオリティオブデスまで俳句に放り込んじゃうその図太い神経には太刀打ちできません。
少々のことではなにも感じませんが、ここまできたら、げげげのきたろう。

俳句はすべてをそぎ落とす。
しかしながら、森山俳句は
日常障(さ)いている忌避語を
もれなくパンパースする。
その精神は、あっぱれというほかない。
俳壇の極北にいて、大魔神と化し闘争(ヒリヒリ)
する森山光章。すごい。なんだかわからんが、そう読めば、すうっと便秘が甲斐性だ。

ちなみにかささぎは便秘症ではありません。

やっとパソコンの前に帰れた。
気になっていることが二三。
その一、26日のアクセス。これは別途書く。
その二、今まいている歌仙の沢都句への気がかり。これは函館の杉作教授のブログにかきこむ。
さて、その三。
これはどうしましょうか。もりもり森山さんの手紙。
お手紙をいただきました。森山さんから。
きっとなじられるぞ、叩かれるぞ。どうしよう。こまったなあ。と、重いきもちで封をきった。すると。そうではありませんでした。
これは神津呂伊利先生へのいつぞやの返信でもあるなあ。と感じたわたしは、そのままブログにアップしたい思いに駆られました。
テーマは「道真と法華経」です。
これ、どこに書いたらいいか。

かささぎ、人の隠したいこともなんの配慮もせず、もらしてしまうから。自分ではそこが自分の価値だとも感じているので、というのは、どこかにそういう通路がないと、ふんづまりになるから、世の中が。

それに。法華経についてはかささぎも、なにもわからないながら、これまで我が身にふりかかる縁の中に、法華経絡みがいくつもあり、その理由をしりたい。
星野村の行空の墓、黒木谷の、は、先祖がらみの土地が関連していた、それと出会うのと調一族のうたまるさんに出会うのとどっちが先だったか。それさえわからないほど、いりくんでいる。このふたつの縁はつながっていた、きづいたときはとてもびっくりした。

いま、久々に「行空」検索をかけると、かささぎの旗のこれが二位でした。↓

『小侍従一子を生むに牛(うし)たり。哀(かなしみ)殺して葬る。媱逸(いんいつ)の難縷陳(るちん)して済度(さいど)を願ふ。」

何度読み返しても、この部分の迫力は鬼気迫る。
わたしは、ずうっとかささぎの旗でのアクセス一位の「幻の命」関連記事、それが今なおアクセスが衰えない理由を知りたい。なにを求めてここへ
くるのだろう。
こないだ国民放送の夜の番組で、たまたま見た赤坂憲雄(ファンだったんで)の出たものに、柳田国男の民俗学の発火点となったお宮の絵馬がでました。
これは新潮ライブラリでも見ていたのですが、まじまじと部分をアップしてテレビはみせてくれたので、女がはちまきをして、生まれたばかりの赤子を自らの手でおさえつけて殺しているという絵、障子にうつるその影には角がはえていたことまで、よくみえました。

上記「行空」検索での一位記事は、行空を浄土宗の僧侶だと書いている。法然の弟子だからです。
だが、高野山本覚院十二講坊のブログでは、こうある。
「行空感喜して遂に講坊十二院を建立し、常に法華経を講ぜられたので講坊と称せられました。」

と法華経がここででてます。しかも、「常に」講ぜられた。と。
森山さんがお手紙にかかれていたのは、
我が国でもっとも最初になむみょうほうれんげきょうと唱えたのは、じゃなかった、最初に文字として南無妙法蓮華経と書いたのは道真である。ということでした。

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