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2012年6月14日 (木)

人形原の地名考と、碑文にみつけた黒木物語

まだ弁当もつめていない、時間が細切れ。
みな、そうかな。(そうだよ!)
昨日も疲れて眠ってしまった。一日10時間働いていますので、クーラーのない工場で57歳。

とりあえず、ここにささっとまとめます。
にんぎょうばる、ひとかたばるという地名は、あるいは言い方は、
そこにたくさんの石のひとかた(石のはにわ)が残っていたからついた。岩戸山古墳のある丘陵全体を指すこともあるし、古墳一帯をいう。というのが私のこれまでの認識でした。
石人石馬は磐井の墓を守るために作られたと思っていて、それがそのまま後世まで残った、という知識しかありませんでした。
ところが、広川町史資料編の伝説の項をみていたら、こういうのがありました。以下要約。

「昔むかし、高良大明神は住むところを探して築後をあちこちめぐっておられた。大川の港から上陸して、瀬高のイチガウラという場所につかれた。そこからはるかに北をみておられたら、遠くの丘に何やら敵らしい人影。見張りのカラスをとばすと、カラスがみてきて、こういう。あれは敵ではありません、人形(ひとかた)です。
神様はこれを聞かれて、安堵して北へ向かってゆかれた。石人石馬の丘をこえ、久留米の高良山におつきになられ、そこを住居と定められた。このことから人形原という地名が起きた・・・・。」

ほら、こないだ、かささぎの旗に高良山の代々の神職の家、稲員家の直系というお方がコメントを下さったじゃないですか。ところが、かささぎはまだ時間がとれなくて、詳しいことを調べておらなんだ。きっとずっとこれからも時間はない状態が続くだろうから、こんな感じで、自然体でしか調べはできないだろう。

つながっていくんだな。と思って。

とにかく、この伝説がいつできた話か知らないんですが、高良山の神様、それは別名ですと、たまたれ、玉垂さまです。おお!高良山十景歌が目の前に立ち顕れる。途中でこれもほっぽっているけども。
神功皇后という伝説上の人物とこの玉垂さんがなぜかかささぎの中では一緒になろうとする。

ともかく、かささぎにとって、この地名考が面白かったのは、海からの視線をもっていたから。
八女にいるとふだんは全くそんなことは思いつきもしないけど。
でもたしかに瀬高は港なんだね。なにをいまさら、って声がしそうだけども、かささぎってそんなです。

ところで。また別のところでも、例の黒木物語を補強する資料発見。
あっとおもった。

その資料の名前は、「江口家系碑」。(471ページ。第八章ふるさとの碑、34番)

残っているのは、霊碑。つまり、慰霊塔です。石でできた。
それに彫られていたらしい。広川の藤田に現存。
よみくだした方、最高っすね!!尊敬!
それ、ここに丸写ししたい。ってか、これまでの流れがあるから、そうしなければいかんのだ。

しかし、これがまた難解。一発で出ない漢字が多い。
週末にやりますんで。どうかお楽しみに。
しらべさん。調さんからの手紙は本当でしたよ。
少なくとも、こういうものを目にしますと、信じないわけにはいかない。

・・・おもしろい。

ご隠居、みてます?(かささぎはご隠居=フルタタケヒコと思い込んでいる。そのほうが面白くはある。失礼ですか、ごめんなさい。)

古賀の達也さん、見てますか。
ってか、みてほしい。
国武久義先生は、もちろんご存知でありましょう。(っていうのも、広川在住と書かれていました。はんや舞のご本に。)

ああ、きのう、かささぎ、間違えました。
山口の公務員で連句人・俳人の木戸葉三さんが踊られるのはおけさ踊りって書いてしまったけど、そうじゃなくて、えーと、あれです。よさこい踊りでした!すみません。お元気でしょうか。木戸ちゃん。たまには八女においでよね。また連句やろうよね。お嫁ちゃんもどうぞごいっしょに。(苦笑)なんでまちがえたんだろう。木戸ちゃん→坊さん→袈裟→おけさ。たぶん、めいビー


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コメント

こんにちは。
久しぶりに立ち寄ると、とってもタイムリーですね(^ ^;
ありがとうございます。楽しみにしています。
少々気が早いですが、今年の九月合宿参加はちょっと厳しいかもしれません。十月なれば。。と思いますが。

うたまるさん、
十月ならいいかも、とな。
しっかり承りましてござる。
グリーンピアの窓から撮った写真も、樋口軒の窓から撮った写真も、こないだ広川町人形原の古墳資料館の窓から撮った写真までもが、おなじなのには笑いました。なんかそっくりでした。
十月は678が連休ですよ。
そこらで計画しましょうか。
早めのお手入れでないと間に合いません。

おはようございます。
すみません、第1,3週末は難しいです。
私の都合に合わせて頂かなくとも大丈夫ですよ(^ ^;

因みに私は連休でなくとも問題はありません。

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