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2012年6月24日 (日)

 『戦跡をめぐる』 ~ 祈・日中不再戦

「戦跡をめぐる」

      山下功

老人クラブの作品展に「戦跡をめぐる」と題して、今までに訪づれた中で、脳裏に残る戦跡の写真を選び出品しました。その一コマ、1999年の夏に、中国遼寧省撫順市郊外の「平頂山惨案遺跡(足+止)で、ガイドの趙立勇さんが説明された概要を記してみます。
1931年9月18日、柳条湖で日本軍によって満鉄の線路が爆破されました。この満州事変を中国では「九・一八事変
」といいます。翌年九月十八日、反日義勇軍が日本軍を襲撃したことで、次の十九日、辺りの住民3000人が殺されました。生存者は約十人、いま三名が生存されています。その中の一人、楊宝山さんが日本に行き事実を語りました。私はその通訳として同行したので、楊さんから聞いたことを、ありのまま語ります。

日本軍は「平頂山の麓に集まりなさい。二回目の襲撃を防ぐために軍事練習をします。あなた達が怪我をしないように」、そして「団体写真を撮ります」として、集合した村人に「義勇軍を出しなさい・・・今から写真を撮ります」と、黒い布を剥ぐと写真機ならぬ機関銃でした。二時間ぐらいかけて人々を殺したが、十歳の楊さんは、母親が身体に隠していたので奇跡的に助かりました。やがて三十分ぐらいして漢族の通訳が次のように言いました。

「日本人がいなくなりました。すぐ逃げてください。」

何人かの人が逃げようとすると、二回目の機関銃の音がしました。三回目も同様でした。その後、軍人が少しでも力のある人を剣で刺して回りました。次第に雨になり、一帯は血の海になりました。翌日、日本軍は死体をガソリンで焼き、山をダイナマイトで崩し、落とした土で墓を作りました。
楊さんは隣の村に逃げ、助けを求めましたが、村人は自分の村も、そうなるのではないかと思い、誰もかまってくれませんでした。
趙さんは「歴史の戒めを覚え、中日友好を進めていかなければなりません」と結ばれました。

記念館には凡そ800体の子供や赤ん坊までの遺骨が、そのまま残されており、弾丸やガソリンを入れた桶なども展示されています。その玄関には瀋陽薬科大学の徳育基地の表示がありました。
私たちは「日中不再戦・福岡県高等学校地理研究会」の名で献花し、慰霊に参拝し冥福を祈りました。

因みに生体実験で知られる合爾浜(合の字は口偏、ハルビン)の「満州第731秘密部隊」跡は「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」として、長春の満州国皇帝溥儀が執務した旧宮内府は「偽皇宮」として、ともに愛国主義教育基地の名称で平和学習の場として活用されています。その徹底ぶりには驚きを感じました。

(八女市老連広報 2012 第44号より引用)

参照;瀋陽薬科大学:http://www.geocities.jp/kyoshikai_shenyang/spu.html

▽橘玲ブログの戦記:http://www.tachibana-akira.com/2012/06/4386

△かささぎブログ内連句的リンク:

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-6354.html#comment-90748302

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_2313.html#comment-90749061

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_3257.html(丸山豊と西東三鬼)

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