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2012年5月 5日 (土)

国中の原発がぜんぶ止まった日に         小出裕章と阿部重夫


大鹿靖明著 『メルト・ダウン』 書評  

  阿部重夫

「もうこのへんで」。伏し目がちの医師がささやく。
半透明のカーテンの彼方の生ける屍(ネオモール)。
肉親たちは無言でうなずく。人工心肺のスイッチが切られ、奇妙な静寂が訪れた。
変哲もない臨終の光景である。

だが、この隠微な安楽死の光景は、「3・11」以降の東京電力でもある。
福島第一原発はチェルノブイリと同じく「石棺化」するしかない。
浜通りのゴーストタウンは、すでにウクライナの草むす無人地帯と化した。
ウサギ追いしかの山も、小ブナ釣りしかの川も、もう戻らない。
誰も想像できなかった「終末」が日常に出現したのだ。

死に体の東電を生かしておく、気の遠くなるようなコストと時間。
それを誰も口にする勇気がない。
だが、最適解はどこにあったのか。

本書は、そこに切り込んだ数少ない試みである。
息をのむのは東電の法的整理を避けようとする動きを追った第二部「覇者の救済」だろう。
メーンバンクの三井住友銀行が、金融庁を介して資源エネルギー庁電力市場整備課長の案に乗り、それを内閣官房経済被害対応室の財務省テクノクラートが覆してしまうプロセスは圧巻だ。

霞が関の深部に接した経済記者の貴重な記録である。
首相官邸を「子供のサッカー」とけなすだけで、東電を調査できなかった民間事故調の隔靴掻痒の報告書とは決定的に違う。

本能的に自分の縄張りだけ守ろうとする霞が関は「東電解体」という選択肢を取れなかった。
経済産業省の改革派官僚だった古賀茂明氏が提案した、東電の法的整理と発送電分離を進めるプランをハナから排除したがゆえに、東電の植物人間化とその巨大コストの国民への転嫁という「第二の人災」を発生させたのだ。

かつてヘーゲル学者コジェーヴが言った「歴史の終焉」である無為のスノビズムが、今の日本を覆っている。
「もうこのへんで」と誰かがささやくのを待つだけ。
この奇妙な沈黙に、著者はたった一人石を投じた。

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