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2012年5月 7日 (月)

短歌誌「やまなみ」の古い号より

黒木  菊池 剣

大会の準備ここまで運びきて君斃れしといふはまことか
君賜びし夏の数の子めづらしみ歯にあてて噛む一粒一粒
ポータブルの医療器携へ諫早の遠きより来てわれを診たまふ
好きといふは苦にならぬらし老妻が朝よりの琴十三人目
間をへだて聞く老妻が琴唄ののどかにかなし梅雨の一日を

長崎  秦 美穂

わが家の墓も礎石になりしとふ納骨堂よをろがまむもの
金の額(たか)にて買はされしわが家の位牌壇せまく花にうづめぬ
位牌まつる壇金の額に売られゐて井然とせりわれの菩提寺
仏様をまつるも金額(かねだか)と義姉(あね)はいふかなしきことをかなしき言葉に
白内障にかすめるといふ義姉の手はこの小区劃の飾り花にさはる
墓石なき菩提寺となり訪ふことも稀となるべし心乾きて
墓地あとの広きを占めて幼稚園建ち園児らの声歌をなす

長崎  古賀 明

歩みゆく人まれにして海ぞひの黒きアスファルトに陽炎のもゆ
道のべの木蔭より見ゆ陽炎のゆらめくうへに紺碧の海
目の前に海紅豆あかし六月のひかりまぶしき海をそがひに
入海を区切りて浮ける真珠貝の浮きの白玉遠くきらめく
わだなかに漂ふごとく行く船のすぢなす水脈のはろばろと見ゆ
岬山の断崖の下を行くバスに時にしぶけり荒磯の波は
打ち上ぐる波のしぶきをくぐらんと荒磯の岩にわれはよろめく
海に截り立つ崖にはびこる蔓草の茎あかくして実を結ぶあり
きりぎしの岩にとまれる黒き鳥ただに黙せり海を見さけて
青潮にただよひ揺らぐ水母らは透きとほりつつあはれ息づく
まれまれの遊行といへど海に来てただ寄せ返す波を見てをり
波は寄せ波は返して永遠にあれどうつそみ我は明日さへ知らず

諫早   草野源一郎

逼塞に似てこもらへば山吹の花片ははや池に散りそむ
やまぶきの花散りたまり夕にはいたく乾びぬ皺ばむまでに
山吹の咲きみつる庭に来りいふあひつぎし遠きまた近き友の死
唐突の死のありさまを伝へくるあふれむばかりの山吹のとき
若き死に憤るさへ言葉なく炎のごときつつじに対ふ
喘息の発作に生命喪ふと伝ふる声に怒りくるもの
「今日の医学を信ぜよ」とあれまでにわが言ひきかせたるにあらずや
ひとり子を残し逝きたる君をおもふ発作のきはに何を思ひけむ
山吹と楓の梢に風わたるゆふべの庭の直(ひた)にしづけし
昨夜よりの雨に打たれし淀川のつつじはゆふべの風に息づく
戸を閉めてなほ響きくる水音に馴れて在り経るを幸(しあはせ)とせむ
バリウムを嚥みくだしつつ眼のまへの暗さをただに言ふべくもなし
寝言ともつかぬ言葉に「嗚呼懈(たゆ)し」と言ひたる妻は寝息たてそむ

諫早  草野妙子

御骨となりし君に逢はむとのぼり来ぬ低きに照りて芽吹く沼見ゆ
誰も居ずこときれしことあはれでならず草丘ゆけば草は日に透く
ありありと顕つおもかげも三年前別れし門の青き麦の穂
南無妙法蓮華経唱ふるのみが君のためといひにけり今日御骨に寄れば
いまはなることも聞きつつ若葉吹く風は箪笥の金具を鳴らす
家すこしまはりに建ちし君の家に御骨は帰りやすらぐといふか
亡き人残せし声も聞かされて木槿若葉の撓ふ風中
若草も若葉も濡れて覆ひたり飯盛山西明寺中村三郎歌碑
身の壮り過ぎんとしつつひたすらの落葉ひたすらの若葉わがめぐり
ひとむらの小笹がなかに抜きいでて幹触れあへば若竹の音
山草に埋もれ果てし碑はおのづから土にかへりゆかんか
それぞれに木草若葉はひるがへる赭土澄めるにはたづみの上
朝の芝に黒く小さく土あたらし生れ来し虫らまぶしみをらん
土の上の古葉あかるく濡れとほる笹むらの雨やすらふごとし
土に摺るごとくに撓ふ山吹に断続しつつ乱れざる雨
みづからのことのみ思ひ来し日々のあはれなりとも子は母と呼ぶ

七月の歌人  

   草野源一郎・文

若竹の日ごとに伸びて竹群に古葉降りをり昼をしづけく
       丸山保則

 忠実に写生を追求している作家として、注目しているのだが、この竹群の一首、秀逸である。竹あるいは篁の生態を写して間然するところがない。「古葉降りをり昼をしづけく」は写生のきわみであり、作者の慨きがこもっている。「筍の季節の終るを待ちにしが古葉散り急ぐ昼の竹群」の一首もあるが、上句の”語り”が理解し難く、せっかくの下句の観照を弱めるものではなかろうか。

「児童数一名減と記しつつ施設に遺りし児を想ひをり」「学期半ばひとり移りし児に友らやさしからむか幼きものを」のような、職場での作品も見られ、幾百の児童の教育をあずかるものの長としての心やさしい心情のあふるる作品で、「心おのづと祈りに似くる」姿勢をありありと伺うことができる。
その作品は、人柄のごとく、おとなしく、おだやかであり、きわやかさ、はみられない。一読、もの足りなさ、くい足りなさを覚えるかも知れぬが、このことが、今日の所謂「短歌を瀆するもの」から短歌を救っていると言えよう。印象派的に、心象詠を、象徴的に、と声を大きくすることはない。作者のごとく、物に着き、主観をおし出さず、写生を実行することは、即ち、斎藤茂吉の言う、「実相に観入して自然、自己一元の生を写す」短歌の本道に至ることになるであろう。

短歌誌「やまなみ」第35巻第8号より (昭和47年7月25日発行)

草野源一郎の歌、書かれている文章を読みますと、アララギ派の写生を最も高い位置に置かれていることがわかります。
これは、先日引用した、草野源一郎が師と仰いだ秦美穂の師・島木赤彦の作風でもあります。

島木赤彦は長崎出身、その師は伊藤左千夫、さらにその師を遡れば、正岡子規にたどり着きます。
実相観入、自然と自己一如。
斎藤茂吉も高浜虚子も石橋秀野も、芭蕉でさえもが、ぞろぞろと立ち現れてくる写生道。

ああ、ある意味、超たいくつで、しかしながら、とっても清らかで深い。
写生道。

たった一冊だけ手元にあった古いやまなみ誌。
それを父に送ってくれた父の長姉の北島民江。
こんな歌を、同じ号に見出すことができました。

「グラジオラスの芽が出ました」と畑よりすみ透り来る嫁の高声    民江

もうこの時伯母は脳手術後で半身不随の身、養生をした湯布院の病院で、我が息子にぴったりの女性を見つけて、そのひとを嫁に迎え、そのひとに日々のお世話をしてもらいながら、そのひとをとっても慈しんでいました。こんな歌まで詠んでいたとは。
考えてみれば、伯母は幸せでありました。
よく気がつく優しいナースがお嫁さんなんですから。
私はこの頃、高校生だったと思います。
母たちも伯母の介護に行ったんじゃなかったか。姉妹で交代で。
つんとした冷たい感じがして、どちらかというと敬遠していた伯母。
でも、父は伯母とその夫である伯父をとても頼りにしていました。
あねしゃん、あねしゃんといって。
早くに亡くなったけど、伯母も伯父も父をかわいがって、色んな世話をしてくれた。
そういうことまで思い出したことです。

昨日は父の若いころの写真が一枚出てきました。
単車(と呼んでいたっけ)にまたがって、満面笑み。
うれしくってたまらなかった父。

このバイクを買ったお金は、伯母から借りたと聞いた。
当時は現金収入がなかったんだそうです。
毎月少しづつ返した、若き日の父と母。
その単車に親子四人乗って笠原まで行ったことがあったなあ。
おまわりさんにとがめられてね。

あれ。最後はわが父の思い出になってしまいました。

ゆるされよ。ああ、懐かしき昭和!


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