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2012年4月19日 (木)

「谷の梅」 古賀晨生畢生の一句

阿蘇の嶮此處に沈めり谷の梅  古賀晨生

 

上は昭和六年、東京日日、大阪毎日の両新聞が募集した十万三千二百七句の中から巨匠・高浜虚子が半年をかけて編纂した「日本新名勝俳句集」の巻頭を占めた昭和の名句である。その時作者古賀晨生が得た、阿蘇の嶮・・・・をしたためた短冊、受章した金牌などは平成二十一年初夏、遺族から日田市へ寄贈された。
 

 

日田市では特別感謝状を遺族へ授与すると共に、古賀晨生の上一句の短冊等をパトリアロビーに展示した。
古賀晨生は、日田近辺俳句界の重鎮を占め、終戦直後の混乱のなか、昭和二十一年十一月、高浜虚子翁を別府経由にて日田へ招き、山陽館に於て盛大な俳句大会を開催した。
それは日田市が制定した「文教祭」の第一回目、爾後今年で第六十五回の文教祭俳句大会を続行、筆者は第一回よりの参加者である。
古賀晨生師は昭和二十三年ご逝去、享年五十六歳。

 

  (文章:日田市 角倉洋子)

九州俳句誌165号より引用しました。
わたしは、この文章を書かれた角倉洋子氏の俳句作品にいつも惹かれ、なぜだろうと自問していました。
そうでございましたか。
はじめてこのお方の背景がすこし見えました。
これまで九州俳句誌につたない雑文を連載させてもらってきました。
もう何年になるでしょうか。
その中でなんどか角倉さんのお句を引いてます。
高浜虚子につながっていたのですね。それならわかります。

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