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2012年3月29日 (木)

「打電かな」  発句の花句と第三について再々度。

あれはどこでいつだったかな。と探し回りました。

芭蕉の花句に脇を杉浦先生がつけられたの。確か半歌仙。

ありました!ここに。http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-91d8.html

この巻、今見たら、かなりよく巻けている。
巻いているときにはなんにも感じませんでしたが。

さまざまの事おもひ出す櫻かな   松尾芭蕉 
  花を見しこと花見ざる事     杉浦兼坊

春の句でスタートする場合、花の句を必ず一句詠み、花の句がない場合を素春(すはる)といって嫌う。

これは、月の句がない秋の一群を素秋(すあき)といって嫌うのと同じです。

と、最近読んだ本(後述)にはありました。ですが、かささぎ、これまでかなりの数を巻いてきましたが、発句が春で始まる場合、その一群のなかに花があるかどうかには、さほどこだわりませんでした。
ただし、月だけは、前田先生と言い争ったほど、これは絶対に秋には月をあげなければならない。という決まりがあり、それは身にしみてます。

杉浦先生が、芭蕉の「さくら」を受けて、わざわざ又脇で、「花」という言葉を二度も出しておられるのは、ご存知のように、さくらでは正花とはならないからでした。

では、その逆はどうでしょうか。

花という言葉の入った発句の脇では、さくらをいれるのか?

このような問をこれまで考えたことがありません。
そういう連句作品に出会わなかったからです。
自分の発句は花を直接詠んだものではなく、例えとして使ったものでした。
であれば、連句の教科書的には脇では何をよめばよかったのか。ということをふと思った。

「次世代の俳句と連句」(おうふう、2011・5・25)という本をいただきました。
大畑健治先生のご本です。

このお方のお名前は、「連句辞典」(東京堂昭和61)で知ってました。
東明雅先生、杉内徒司氏とともに連句辞典を編まれた方の一人です。
昭和18年生、二松学舎大学講師。

この中で花の発句についてこう述べられています。

ただし発句が春の句であったときは第三までの間に、ただ花としてだけ詠まないで梅の花や桃の花など、美しい草木の花をよみます。地味な野草のホトケノザやイヌフグリでは初表の花にはなりません。初表に花を詠まないのは、私たちの心が満開の桜の花に激しく感動するからです。表六句に神祇釈教恋無常のように心理的な動揺が激しい句を詠まないのと同じです。

この意味、わかりますか。

非常に矛盾の多い、わかりにくい文章です。
初折オモテの春句では雑草ではない美しい花を詠め。といいつつも、こころ揺さぶられるから、おもてでは花は詠まない、とひらり、ひるがえる。(な~んじゃ、こりゃあー!!!)

東京堂の連句辞典の花の説明も、初めて読んだとき、さっぱり意味がわからなかったことを思い出しました。

花は花であって花でない。賞翫の花。

なんなんだこのショウガンの花という言い草は、と。

わからぬままに連句の座に入りこみ、見よう見まねの苦節二十年。
これがこうで、あれがこうで。とは、よもやかささぎは申しません。
なにもわからんとですけん。説明がうまくできんとですけん。

それぞれで胸に手をあてて、勝手にあれこれ思うてください。としか言えんですけん。

かささぎの発句は厳密にいえば雑句、虚の花。
けれども、花の句を一生懸命案じるときの思い(花のまことを探すとき)と、卒業生の未来に花多かれと願う心とは釣り合うかもしれない、なれば、これはまことの花句ではないかと思った。

という捌の屁理屈で、脇は卒業の季語を選ばせてもらいました。

長々と自句弁護すみません。

さて、第三。

花の句を案ずる如き打電かな

 卒業証書授与式の朝

できたてのシャボンの虹の蛇行して

花の句を案ずる如き打電かな

 卒業証書授与式の朝

坂道は上って下りて亀鳴いて

このいずれかの組み合わせが良いと思います。

第三はとこかで前句を受けながら、転じなければならない。
という視点で見ますと、できたてシャボンの句も、坂道句も、前句に絶妙についていて、そしてそれぞれ転じています。
石鹸の虹の句は写生句であろうとしてるし、坂道句は心情をにじませようとしている写生句ともいえます。

とちらもとってもいい句です。
わたしは、本来なら脇でとりたかった学長句をここでいただこうと思います。
これは学長句だからです。
連句には政治的な部分があります。つけあい即ちつきあい。
かささぎの旗はここで学長をひいきします。
ぼんさんと亀にはまことに申し訳ない。ごめんね、かめ、and
ぼん。
だから、
ぼんにはいつもずっと神の加護がある。

今回、ぼん句と乙四郎さんのおかげで、亀は本当に鳴くと知った。

http://www.youtube.com/watch?v=6_M8YDFhN64

俳人必見の貴重な記録動画、どうかご覧ください。

さて、次の四句目、雑です。

77。

(そのつぎの五句目は秋の月の位置ですが、第三にシャボンの虹がありますので、普通の空に輝く月ではなく、にせものの月をだします。)

花と月。
花は一折にひとつ。
月は一面に一つ、ただし最後の名残裏だけにはない。


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コメント

このかめの鳴き声、ときに田んぼから聞こえる鳴き声と同じような気がする。ここいらの田んぼにはふつうに亀が生息していて雨が激しく降った時などでは、流れている。すっぽんだったりもする。
石橋秀野句、戦前から戦中の、の句にも、
ゼニガメを詠んだ句があります。ぜにがめ、すなわち、すっぽんね。なんでそういうんだろな。(お金になったからかもしれないね。

了解

第三句でとってもらうのはなかなか難しい。精進精進。

花について。
連句の花も同じ。↓

貞永まこと最後の付句で、没にしため今だに心を離れぬ句。句が往生できない。

 雪の深さが機音(はたおと)を吸う

貞中まことは現代仮名俳人でした。
これは冬の恋。

月花ノ姫歌
   ↓

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