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2012年3月 7日 (水)

やまなみ歌人だった伯母の歌とともに父を送る

長く病む老父の訃にあらずして電話はその弟の叔父の死を言ふ

札幌の従姉妹と逢ふに五年ぶりかかなしき叔父の喪中の家に

札幌の従姉妹が持ち来し鈴蘭が叔父の棺の上にて匂ふ

着替へせず車走らす吾の名を呼びて待つとふ危篤の父は

「又来いよ」と昨日言ひたる老父が呼べども今は口を開かぬ

父の手首わが握りしめ大声に呼べども脈は細くなりゆく

近くに住む吾は麻痺にて役にたたず妹は遠く嫁して看とらず

葬儀屋が飾りつけゆく灯の多くなりつつ淋しさのます

焼香に喪服来て立つ片麻痺の吾は夫に手をとられつつ

軒深く吾の生家に巣ごもれり燕は乙女の頃と同じく

田植機に植うる苗とふ箱仕立に竝びて清しさみどりの群

   八女市光  北島民江

昭和47年8月1日発行「やまなみ」第35巻8号より引用
当時の編集発行人は菊池剣。

 父逝きて遺影を選ぶ抽斗に伯母の形見の歌誌を見出す

前にこのやまなみ誌を読んだとは思えない、なのに、最後の二首を記憶している。
もしかしたら、いとこから切り抜きをもらって読んでいたのかもしれない。
これは伯母が生前父へ郵送してくれたものです。一冊だけ家にありました。

なぜ伯母はこの号を弟の父に送ってくれたのでしょう。
それはやはり姉として今際の際の父と葬儀の場面をよんだ歌を、弟にも読んでほしかったのだと思います。

で、父は読んだでしょうか。

わかりません。だけどちゃんと保存はしてくれていました。

私はいま、とても興味があります。
三月三日雛の節句を選んで先日亡くなったわが父の実家の中島家にです。
三男四女の第一子で長女であった伯母の歌をよめば、私の知らない謎がとけるかもしれないと思いました。

父の父は中島三郎といったこと。

八女福島の古い町並みの家々の左官仕事の棟梁だったこと。

俳句を通じて出会った堺屋のつくりが、あまりにも父のかつての生家にそっくりだったから、懐かしくて、なぜだろうと思っていたら、父が「あそこらへんは全部おやじがやっていたから」と答えたときほど驚いたことはなかった。しかも父も手伝っていたというではないか。道理で壁塗りとか自分でやっていたはずだ。

八女福島灯篭人形保存会に所属している従兄は、この伯母の長男です。
父が煙になる日、焼き場への道行へ立派な挨拶をしてくれました。
その従兄が明善高校を出ていたことをかささぎは最近知って、なぜ明善なのかわかりませんでした。校区がちがうからです。

これは老連会報の大子おばあちゃんちの嫁である従姉に聞くことができました。

久留米の親せきの家に下宿して通ったのだそうです。
明善高をすすめたのが伯母だった、という話に目をみはらされました。

教育熱心で、女ながらに志操堅固な人だったようです。
みちよちゃん(かささぎの下手な句を軸にしてくれたその従姉)も、学校の先生の妻ではなく外交官に嫁がせたかったんだって。

へーえ。それにひきかえ、わが父はなんと素朴であったろうか。

  賜りし「アメリカ橋」に送られて父の棺がしめやかに出づ

この山川豊の歌う曲を葬送の歌にというかささぎの願いを昔エリートのかたい従兄が聞いてくれ、音源をさがしてかけずりまわってくれました。なんだかおかしかった。あまりにも似合わないんで。笑。七十台になるのに、いったこともないレンタルショップに行き、アルバムを探し、カードまで作って借り出してくれた光也おっちゃん。

父の葬儀はあいにく友引でしたが、いろんな方々の精一杯の協力を得ることができ、助かりました。
私はきょうだいがいませんが、多彩で有能ないとこたちに恵まれました。

月曜にもかかわらず葬儀に駆けつけてくださった方々、ありがとうございました。
仮通夜を含め、三日間もの葬祭に付き合ってくださった親せきの皆様、ありがとう。

いちばんっ大変だったのは、葬儀いっさいを引き受けてくれた従妹の波乱万丈説子ちゃんと車椅子の夫を抱えながらたくさんの精進料理を作って差し入れしてくれた中島家の嫁のともこさん。でした。ありがとうございました。

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コメント

この葬儀でいろんな縁にきづかせてもらった、とある人がいってましたがわたしも。
k病院の奥様といとこの姑である大子おばあちゃんが姉妹であられたとは隣にすんでいながらしりませんでした。また従姉も野田前市長もその奥さんも福高出身で、ことし五月二十日の同窓会のお世話かかりが野田議員の奥さんたちの世代なんだそうです。ゲストは鳥越俊太郎さん。
記念誌がもうすぐできあがるって。

かささぎさま、

改めて、お父上のご逝去を傷み、謹んでお悔やみ申し上げます。

おかえり。
今日は我が父の命日です。
今度会ったときは、親父について話そうね。
忙しいでしょうが、皆がついているから、体を壊さぬ程度にがんばってね。
お母様の体調にも気をつけてあげてね。

学長ブログの転載、卒業してもいいと、私は思います。

傷みの字が間違っておりました。
正しくは「悼み」です。ごめんなさい。

ぼん。ありがとう。

ぼんの父上はどんな人だったのかな。
どんな環境に生まれ育った人でしたか。
そういったことを自然と思う此の頃です。

お葬式にこれなかった家族もそこにいた。
あのとき挨拶でも話したことですが、苗字をどうするかの現実問題をずうっと考えています。まったく、なんであんな個人的な話をあんな席でしたんだろう。
業や宿縁について思っているからかもしれない。あたりさわりのないあいさつだけはしたくなかったんだよ。

なのに父とは最後までその話はしませんでした。っていうか、そげなこつはどげんでちゃよかたい、っていうだろうと思っていた。ちち、無信心だったなあ。ほとけさんにてをあわせているすがたをみたことがありません。わが夫からそこのところ、ぶべつのめでみられていたけれど。でもさ。なんだかわかるきがするっちゃんね。

アメリカ橋を人の結婚式で歌うような父です。
その娘がおなじ曲を葬送の歌にしてもなんら違和感はありません。


ああ、わがしごと。
契約期間がまだ残っていますが、まだどうしても私でなければできない雑事があり、なかなか出勤できません。
香典へのお礼もあるし、はやく復帰せねばと思うけど。

私も、遅まきながらお悔やみ申し上げます。
亡くなった親よりも年上の人が元気でいるのを見ると、せめてもう少し、あれぐらいまで生きていてくれたらと思う今日この頃です。

ろいり先生。ありがとうございます。
なんだか元気がまったくでません。
とうちゃんが死んで、世界がかわった、とは母の弁ですが自分までがそんなかんじ。
わたしはしごとやるきがぜんぜんわかないです。
ひきこもりたい。登校拒否のきもちがわかる。
いま次男も母も私も全員が鬱っとしています。
はたしてぬけだせるのか?

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