弥生尽と森永ハイチュウの別れ(なんじゃそりゃ)
(エレベーターに張ってあるdpcポスター。)
最後の厨房勤務。
一日にしたこと。
十時半から十一時まで。
野菜を刻む。ネギをソース用に刻む。
白い部分をみじん切り、青い部分は小口切り。
人参を短冊切り、春きゃべつ小ぶり二十個ほど千切り。
十一時から十二時まで、配膳のお粥係。
ソフト食のおかゆ類まで、三十人分くらい。
七分がゆが久々、かゆゼリーも二人分。
あとはとろみ粥を六つ、そのうち自助食器が一人、ほかは250gの全粥二十人分。
ソフト食のおかゆは市販のもので、半量の人にはカロアップを大さじ三杯混ぜる。
その都度お椀が汚れるので、お椀を替える。
かゆゼリーは温度さえ高ければうまく作れる。
正午から一時まで、洗浄された食器を乾燥庫から取り出して片付け。
その後、消毒液三種類を交換。ソフト食用のソースを作る。
紅茶ゼリーも作る。25個分。
エンジョイゼリーを必要数計算して、切る。12個。
アイオールも同様にして切る。
七個要るのだけど、三の倍数切るので9個。
食品庫に行って、経管のいろいろを三食分、揃える。
数が出るものは、すぐ在庫がなくなり、次から次へとダンボールを開ける。
ダンボール、片付けがめんどう。
毎日患者さんも病態も変化しているので、準備したものの数がぴったり揃うことは滅多にない。
毎回不足したり余ったり、そのたびに食品庫を小走りに往復する。
次にあすのメニューを三食分、目を通して、ライン引きをする。
常食と違う部分に色を入れる。ぱっと見て、わかるように。
配膳で間違わないようにするための努力です。
そうこうしていると、一時半すぎる。
台車セットをして、食事休憩を取る。
三十分でしたね。この半年間、休めたのは三十分未満。
二時十五分、トイレに行って、身支度をして、また午後の仕事。
食札を入れ、紅茶ゼリーを入れ、経管を入れていきます。
そこからは組む相手によって、私が温小鉢を切って盛って配膳したり、あちらが冷小鉢をしたり、あるいは両方とも相手が盛りつけをして私が配るだけだったり。
無念無想で淡々と。
四時、小鉢があらまし終わると、卓をきれいにして、乾燥庫から食器を取り出して、片付け。
四時半。主菜をもります。わたしはいつも、一口サイズ以下に刻むのを任されていた。
三十人分。ミキサーにかけるのも、みじんに刻むのも、一口大にするのも。
それが五時十分ころに終わると、すぐごはんを盛り付ける。
二炊きとお粥とソフト食の粥係でした。
書いていくだけでもとってもきついです。
こうして配膳がおわると、事務室の病院直属の栄養士がすべて出て見えて、目によるチェックが入ります。
あれが足りない、これがまずい。と批評されまして、そのたびに食品庫に取りに走ったり、やり直したりします。このときが、最も忙しいときです。自分の仕事をしながら手を休めず、人様の注文も聞かねばならないから。からだは一つですからね。
六時。二階三階四階まで運び役の人が配膳車をもっていかれます。
それが済むと、片付けをして、中番は帰宅してもいいんです。
しかし、かささぎは遅番ですので、これからまだ居残り。
透析患者さんたちのお弁当を解体して、洗浄します。
これは一人でやります、四十分くらいかかります。
洗って拭いて、組み立てて。
そうしていたら、すぐ七時になって、下膳の時間。
あげた配膳車、からっぽのを下ろします。
洗浄係の二人といっしょに解体をして、下膳車を拭いて片付け、台車をセットして、あすの準備をしたら、わたしは帰宅してもいい、という段取り。
きょうは、八時前でした。
おつかれさまでした。
かささぎ、今日でさよならでしたので、みなさんに、森永ハイチュウを1箱ずつ配りました。
「なんでハイチュウなの?」
しらんわ。
水魚の交わりってことばがありますが、かささぎの場合は、ハイチュウの交わり。でござんした。おわり。(ああきつかった)
1 逃げ水を追ひて東へ向かふらん
2 大空に風船さえぎるものもなし
3 できたてのシャボンの虹の蛇行して