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2012年1月24日 (火)

大子おばあちゃんの戦記 『弟夫婦』

弟夫婦

 

    木附大子(八女市山内在住)

「両親へ いよいよ行きます。明日です。花々しい手柄もなくすみませんでした。しかし大切な役目です。よろこんで死にます。あとをよろしくたのみます」。
 

 日本の勝利を信じた弟の遺言が残っていました。弟はどんな気持でこれを書いたでしょうか。最愛の妻をのこして。

 下二人の弟は召集されて、戦地に行く前に終戦になりました。もう少し早く終戦になっていたらとくやしくてなりません。

 「俊郎がとびたち 帰らざる 出水の基地に鶴の来てまう」

 三年程前出水の基地へ、弟妹六人でおとずれました。
出水の基地はせまい公園になっていました。小さいみかげ石に出陣された方々の名が、ぎっしりきざんでありきれいに掃除してありました。地下ごう二か所ありましたが外から見ました。
滑走路等などどこにあったか、まぼろしに思うほかありませんでした。

 一万羽あまりの鶴が何をしているのか、「ガアガア」鳴いていました。えさ代に少し募金してきました。鶴たちも又遠いシベリアへ帰ると思うと、可愛想で無事に帰ってくれと念じました。

 

 三代つづいた養子の家に四代目に生れた弟はそれはそれは、皆のよろこびのまとでした。五月のお節句に幟が何本も(その頃の私は二才)立ったそうです。皆で可愛がられこわいもの知らずに育った弟は、京都の祖父の家にあづけられました。一年で帰って来た弟はお相撲さんのように、肥満児になっていました。
  中学校に入学した弟は八粁(キロ)あまりの道を自転車通学して、柔道できたわれ中学校を卒業する時は、立派な体格になっていました。
  江田島の海軍兵学校に入学した弟は、ずい分きたわれていたようです。弟からの便りに母はかぶっていたタオルをはずして泣きながら読んでいました。兵学校では二歩目からは、かけ足、ボートをこぐ時おしりの皮がやぶれて、いたくて歩けないと云っていました。たまの日曜には近くの旧家(クラブ)にそれぞれ分かれていたれりつくせりの歓待を受けて、思う存分たのしい一日をすごしたそうです。

 初めての夏休みに帰ってくるのに、父は途中迄迎えに行き、私達姉妹は、村はずれまで行って、いつ迄も待っていました。弟の土産は兵学校の羊かんでした。帰って来た弟はりりしい堂々とした姿でした。父の自まんの息子で、あちこち連れてまわりたいようでした。海軍兵学校の卒業式(六十期)には父母が出席しました。どんなにうれしかったことでしょう。

  「大いなる師にしありけり 暖かき父にてあり 去りておもえば」

兵学校を卒業した弟が教官をしのんだ一首です。
 弟の兵学校同期生大塚正夫氏(南極第一回観測船に行かれた)の妹(小田原市)綾子さんを嫁にむかえました。そのころは戦局はあまりよくないようで、嫁は心をいためているようでした。嫁が来てからまもなく母が発病しました。母の世話、小さい弟妹の世話、なれない仕事にどれ程苦労したか思いやられました。

 十九年に弟の戦死の公報が来ました。覚悟はしていましたが、なぐさめてくれる人もなく私は一人で泣きました。

「世の中はすべて空なり 君なくて ただいたづらに生きながらえんか」

「日の本の國に生まれてありがたき うれしつわものの妻になりたり」  

 

 嫁は一夜のうちに亡くなりました。嫁の遺品の中から出てきた文です。
美しいやさいい申しぶんのない嫁でした。弟の遺言の中に「信らいのおける妻ですよろしく」とかいてありました。

 

 比島沖で戦死した弟とそうこともなく夫婦は今仲よく過していると思うほかありません。毎年十二月六日妹弟集ります。話はつきません。十三人の姉弟は六人になりました。戦後どうなろうと、弟夫婦の事を忘れることは出来ません。

 

  八女市老連広報第44号より引用しました。

∇かささぎのひとりごと

大子おばあちゃん、その戦死の弟君のこと、はじめて知りました。
書き写しながら、まるで大石政則日記の記す場面とそっくりな場面が多々あることに気づきました。違っているのは、この俊郎という名前の弟君には新婚の妻がいて、その人は夫の戦死がわかったときに、「一夜のうちに」亡くなった、ということだけです。
まるでドラマの世界のような純愛がここにさらりとえがいてあります。

あの時代、お勉強がよくできた若きエリートたちはみな、海軍兵学校にとられて、死ぬための訓練をうけて、尊い命を召されたということがいまさらのように身にしみます。
それともう一点。
この時代のサムライたちは、歌をよくよんでいますね。
遺書の中に必ず出てきます。それをうけた母や妻たちもまた。

大子おばあちゃんは今年94歳になられるのではないでしょうか。
現代かなで書かれていますが、元歌は旧かなでありましょう。
これを読んだだけでも、おばあちゃんの教養がわかります。

江田島の海軍兵学校・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E5%85%B5%E5%AD%A6%E6%A0%A1_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)

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コメント

>この俊郎という名前の弟君には新婚の妻がいて、その人は夫の戦死がわかったときに、「一夜のうちに」亡くなった、ということだけです。

上記、いとこにこないだ尋ねてみました。気になっていたものですから。これはもしや後追いをしたということかと。
それがね、ただこときれていたそうなの。ということでした。
最愛の人が亡くなったら、そんなにもあっけなくみまかることができるものなのか。かささぎは、これはこうとしか書けなかったのだと受け取りました。
武士の妻の覚悟だったのでありましょう。

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