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2011年12月 2日 (金)

本荘星川から真木和泉守へ、連句的。談義

コメント

本荘星川は久留米藩校明善堂の堂主となった人。
杉山洋先生の今日の夜話に出ています。

http://ameblo.jp/yameyobanashi/entry-11089695288.html

久留米の医学の発展に貢献した人と言うのはここに登場する真木和泉と言う人です。
水天宮の宮司さんの家に生まれた人で明治維新に活躍した人。明善高で学んでいます。
水天宮の一角に真木神社と言うのがあるそうです。
10年以上前に水天宮で撮った真木和泉の銅像の写真が見つかりました。
銅像のそばの業績を書いた看板の写真も見つかりました。
篠山城址だったと記憶していたのですが水天宮のようです。

医学部を見下ろす篠山城址にあったから、ああ、なるほどなと思った記憶があったのですが。

かささぎさんが見てたテレビ「Jin・仁」にも、当然真木和泉は登場する人物だったんだけど、脚色で出てこなかったんだってよ。

へえ、そうだったんですか。
まきのいずみのかみ、名前はよく存じ上げているのですが、その生涯を詳しく知らないままです。
たしか、筑後のどこでか、真木和泉のお墓だったかな、それとも生まれたところだったか、記念碑みたいなものが祀られていたのをまじまじと見た記憶があります。
筑後市の八女高校の近くの地名が和泉、それもその人になにか関連があるのかなあ。と思ったこともあります。

いま、しらべてみました。水天宮さんの境内。
ここ、ごらんくだされ。
この中に書かれていた文章をよんで、ああ、あれは水田天満宮の近くであったなあと、記憶がよみがえりました。筑後市ではなく、水田みった。

「久留米藩改革の際、真木和泉守が久留米藩より水田村(現在の筑後市水田)の弟大鳥居信臣のもとに謹慎を命ぜられそこで付近の子弟の教育を行い、そこは尊皇倒幕の策源地ともなりました。
この建物は資料により当時のものをこの地に模して建てたものです。実際の建物はまだ水田に存在しております。」(引用)
http://www.suitengu.net/suitengu/suitengu/inkeidai.htm

和泉とは、和泉国(今の大阪府南部)のことで、和泉守とは、和泉国の国司の長官という意味です。つまり久留米水天宮という、全国水天宮の総本社の神官であったために、そのような称号をつけていたわけで、実態はあまり意味がありません。
大岡忠相が越前守であったり、羽柴秀吉が一時期筑前守だったようなもんです。ちなみに吉良上野介の「上野介」は、上野国の国司の次官、遠山の金さんの「左衛門尉」とは左衛門府の判官の職名ですが、これも形だけ。時代的にいうと、戦国時代や幕末といった混乱期は、そういう朝廷組織での職名がもっと大安売りの時代だったのかな?
最近では真木和泉として記載のある日本史教科書にもあるけど、この名はあくまでも通称です。そして蛤御門の変(禁門の変)の後、自害してます。
明治維新と言えば、俗に江戸幕府が倒れて新しい明治政府ができたことだと思われてますが、歴史学的にはペリー来航から明治政府確立までの数十年間のスパンを明治維新と言うので、その意味では「明治維新に活躍した人」と言ってもいいでしょう。
私、郷土史にはあまり詳しくないので、この程度で。

おお、呂伊利先生、かたじけのうございまする。
いずみのかみの由来、しかと承りました。

水天宮の発祥の地は久留米。
あぜちさんとおさない天皇をまつるんでしたっけ。
赤間神宮、えめさん、こないだ行かれたようですね。
そこ、すごく印象的でしたよね。みずがはられている。竜宮に模しているとかかれていた。

わたしはそこが水天宮と思っていて、だから、久留米の水天宮が本拠地だなんてこれっぽちも思っていたなかったんだよ。だから、高良さん十景歌を学んでいた時、なんかのはずみでそこへ出た時、あまりぴんとこず、あれ?っておもった。

歴史、まったく、うといっす。
大河ドラマでそこらへんやってくれないでしょか。笑。安徳天皇、だったっけ。今職場にいます。
自己紹介されるとき、あんとくてんのうの親戚です、っていわれる。

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コメント

ついでの豆知識、お国自慢で言うと、水天宮は有馬の殿様が金儲けというか、久留米藩の財政再建のために地元の水天宮を江戸にも作り、それを全国各地で真似して分社が作られたらしいのですな。
ただ、そもそもなぜ久留米に水天宮という神社ができたのかというと、それはわかりましぇん。期待を裏切っては悪いけど、安徳天皇その他大勢を祀ったというのは、後付けのような気がします。古い神社であればあるほど。
予断ながら、1990年代の女子マラソン選手に真木和(いずみ)という人がいましたな、確かオリンピックにもでたはず。

こんばんわ
赤間神宮>>数年前、ここに行った時ちょっと怖かった瞬間がありました。
耳なし芳一を祀ってあるあたりで体がぞっとしてすくんでしまい、すぐ横の平家墓には行けずじまい・・。
今回はおそるおそるお墓も見てきました・・☆・・チラッとだけネ 

>期待を裏切っては悪いけど、安徳天皇その他大勢を祀ったというのは、後付けのような気がします。古い神社であればあるほど。

そうでしょうね。
くるめのお殿様は、お金儲けのために、というより、久留米をなんとしてでも目立たせたかった、一旗あげたかったのでは。ほんとはあぜちのつぼねが生き延びてそこで庵をむすび、安徳天皇を祀ったのかも。
ところで、ろいりさん。
八女戦国百首和歌の一首目、
千年川(ちとせがわ)という筑後川の別名が出ますが、これは当時、だれでもすぐ筑後川とわかったのでしょうか。

川はいつだって流れているから、どの川も千年川なんだよ。という人だっていたかもしれません。
なにが知りたいのかというと、当時、1555年ごろ八女の地をおさめていた武将は、いまの私たちくらい、ひんぱんに久留米まで行ったり来たりできたのであろうか。ということが知りたいわけです。もしそうなら、どのようにして?馬で?牛ではなかろうから。

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