無料ブログはココログ

« 八女吉田山から | トップページ | 春壽、あいら観音 »

2011年12月31日 (土)

勿忘草(わすれなぐさ)

勿忘草

  竹橋乙四郎

 

 集中的に多くの日本人の命が奪われた事件であっても、月日が経てば忘れてしまいがちです。
 

 フィリピン戦域で五十二万人、中国本土戦域で四十七万人、中国東北部(旧満州)戦域で二十五万人、中部太平洋戦域で二十五万人、沖縄戦で十九万人、ビルマ戦域で十六万人、東部ニューギニア戦域で十三万人、広島原爆で十二万人、東京空襲で九万人、ソロモン諸島戦域で九万人、西部ニューギニア・小スンダ戦域で八万人、長崎原爆で七万人、朝鮮戦域で五万人、ソ連邦戦域で五万人、台湾戦域で四万人、ビスマルク諸島戦域で三万人、インド戦域で三万人、自殺で毎年三万人、樺太・千島・アッツ島戦域で二万人、硫黄島戦域で二万人、タイ・マレーシア・シンガポール戦域で二万人、スマトラ・ジャワ・セレベス・モルッカ戦域で二万人、東日本大震災で二万人、ボルネオ戦域で一万八千人、小笠原戦で一万五千人、仏領インドシナ戦域で一万二千人、大阪空襲で一万人、マーシャル諸島戦域で八千人、名古屋空襲で八千人、阪神淡路大震災で六千人、神戸空襲で六千人、ギルバート諸島戦域で五千人、伊勢湾台風で五千人、横浜空襲で五千人、交通事故で毎年五千人、枕崎台風で四千人、福井地震で四千人、浜松空襲で三千人、昭和二十八年の豪雨・台風で三千人の命が奪われています。

 

 これらの事件はすべて、この七十年、わずかひと世代の期間内に起きた出来事です。幸い思い出を忘れることができるのは人間の特質ではありますが、過去から学ぶことも人間の特質です。

 前述のような事件が起きなくても、平成二十二年は前年より五万五千人も死亡者が増加し、平均寿命が後退しています。さらに平成二十三年の上半期は平成二十二年の上半期より四万人も死亡者が増加しています。

 社会保障体制の綻びも、戦争や災害に匹敵する大事件です。

(保健医療経営大学学長)

連句誌れぎおん2011・秋・75号
歌仙『雪を桜を』留書


 
 
 

« 八女吉田山から | トップページ | 春壽、あいら観音 »

コメント

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
できれば、季節ごとに「季刊連句」が巻けたらいいのになと思います。でも、連衆のみんながみんな、ちょー多忙な身ですから、ちょっとムリだね。

留め書き、この具体的な数字の羅列に、さすがデータ収集とデータ分析を得意とする乙さんの留め書きだなあ。

戦火で二万三万の人がなくなるのと、
東日本震災でも同じような数の人がなくなるのと、
どちらも尊い命なのですが戦争による死者の数のに対して、わたしたちの感覚が麻痺しがちではないかと思いました。自戒をこめて。

暮れにこれを打ち込んでみて、はっとしたのは、読むときにはただの数字の羅列としか感じられなかったものの中に、異色の自殺者数と交通事故者数とが混じり込んでいて、そのおかげで、ちょっと哲学的なことを思うことができました。自殺者数は戦死者数と並び、交通事故死者数は台風の死者数と並んでいた。
一人殺せば殺人だが、何万何十万と殺せば英雄。といったのはヒットラーだそうです。チャップリンの殺人狂時代でそう語らせているとか。

ガダルカナルでの戦死者数は、ソロモン諸島での九万人の戦死者数に含まれるのですね。

12月中旬は修学旅行の引率で沖縄に行ってきました。ひめゆり部隊で生き残った人のナマの声を何度聞いても、沖縄戦の悲惨さや当時の日本軍の無謀さは、心に残ります。また、日本人以上に沢山の、日本人以外の死者を出したのが前の戦争だということも、忘れないようにしたいと思いました。
日清戦争と日露戦争の、日本軍の戦死者数の違い、日清戦争では戦死者よりも病死者が圧倒的に多かったこと(その一因は森鴎外軍医の見立て違いだった!)、日清戦争後の台湾征服戦争での犠牲者数の多さなども語りたいのですが、時間がないのでこのへんで。

おっしゃるとおりです。
さすがに歴史の先生です。

ことしも年賀状をたくさんいただきましたが、一枚も書けません。賀状、去年はそうして五十枚つかわないまま没。ことしもまた。(一年たつと年賀状にはかえられないのですね。切手にしか。)

なぜだかわからない。どうしてもかけない。
しゃかいふっきができていない、というかんじ。
つみほろぼしのように、とってもきついにくたいろうどうをしていますが、嗚呼なぜかこのしんどさがここちいい。

そうだ。
タンゴヴァイオリニストのあさばりかさんからいただいた賀状に、東京は三鷹の永井友二郎先生(永井菊枝さんのご主人で、お医者様、もう九十すぎておられます)に、りかさんの姪ごさんが戦争インタビューをされたことが書かれていました。
ときどきりかさんのブログはのぞいています。
体調がお悪いようで、アストロリコの演奏、以前はりかさんだったのが、めいごさんにバトンタッチされています。動画で聞いて、ああ、音が若いなあ。と思いました。
音が若いと元気があってみずみずしくてよろしいのですが、りかさんの演奏はやさしくて深かったな。といまさらながら思いました。
音は深まるのですね。
年と共に。あるいは体験とともに。
動画で、アストロリコの『天使のミロンガ』を
さがしますが、ありません。
それがいちばんざんねんです。
りかさん。いいよ。べつに元気ださなくても。
わたしもいまそうだから。そういうときは、むりして元気ださなくてもいいのよ。じいっとしてましょうね。

きょう、帰宅途中、らんちゃんに大善寺の鬼夜の桟敷券、やっぱりいらないという電話をしてから、とつぜん、むかしむかーし、ヒットしていた『アドロ』というぐらしぇなすさーなさんの歌を脈絡なくおもいだしました。長い黒髪の美人だったと記憶していたのですが、ユーチューブでみますと、イメージがあれ?というほど違っています。

記憶がちがっていたのだろうか。
それとも、動画のあのひとがかわっているのだろうか。
むかしのすきだったスター、動画サイトでみれるので、いいですね。
記憶は変形しつつ育っていることにおどろかされる。

浅羽医者森鴎外

でみえていた

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 勿忘草(わすれなぐさ):

« 八女吉田山から | トップページ | 春壽、あいら観音 »

最近のトラックバック

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31