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2011年11月12日 (土)

あかときくらく  山中智恵子の歌論 その3

(きのうからの続きです。通しで読まれたい方は、君が代研究ノートにとりあえずはいれています。あ。一回目は歌集にいれていたっけな。さてどうすべきカテゴリー。おわってから考えましょう。ひきつづき、梁塵秘抄についての言説。ってか、全部がそうなんですが。私の中では、健吉の師であった折口信夫にもまっすぐつながり、大事なところなので、おとせない。)

二十巻のうち、現存するものは歌詞の巻二、口伝の巻十の全部と、歌詞の巻一、口伝の巻一の一部しかなく、それも長い流浪のはてに発見されたのは明治も末のことである。

 おほかた詩を作り、和歌をよみ、手を書くともがらは、かきとめつれば、末の世までもくつることなし。こゑわざの悲しき事は、わが身かくれぬる後、とどまる事のなき也(口伝 巻十)

 声わざの悲しきことはー 一息のしらべ、一声のつぶやきに、それが集団創作のものであれ、個人の作品であり、声のみに思いをたくし心をやった乱世の人々の生の不安から、あるとき鋭い輪郭を描いて生き、消えた、無名の人びとの、深い憂愁と活力に耳をかたむけるとき、歌われた音声そのものを伝えないゆえになお、それらは文学というにはあまりにもささやかではあるが、無常感と一口に規定できない、むしろ常住の思い、そして乱代の落穂ではなく、これらのなかにある生命力、乱世の生んだ力さえほのかに感じさせる。そして〈遠くにある魂を招き寄せ、ここに待つもののあることを知らせる〉(折口信夫)すぐれたメタフィジクの、中世的な展開のみなもとが在る。

 弥陀の御(み)顔は秋の月 青蓮の眼(まなこ)は夏の池 四十の歯ぐきは冬の雪  三十二相春の花       二八 法文歌

 普賢薩堹(さた)は朝日なり 釈迦は夜昼身を照らし 昔の契(ちぎり)しありければ 達多は仏になりにけり。   三五 同

 積れる罪は夜の霜 慈悲の光にたとへずは 行者の心をしづめつつ 実相真如を思ふべし             五六 同

 阿私仙(あしせん)の洞(ほら)の中(うち) 千歳(ちとせ)の春秋仕へてぞ 会ふこと聞くこと持(たも)つこと 難き法(のり)をば我は聞く。 一一五 同

 女人五つの障(さはり)あり 無垢の浄土はうとけれど 蓮華し濁(にごり)に開くれば 龍女も仏になりにけり。   一一六 同

 常の心の蓮(はちす)には 三身仏性おはします 垢つききたなき身なれども 仏になるとぞ説(と)いたまふ。  一一九 同

  (つづく)

「あかときくらくー梁塵秘抄覚書」  山中智恵子・著より引用しています。

       

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コメント

うつくしい

つもれるつみはよるのしも
しじふのはぐきはよるのゆき

おお。すびく。
よんだだけで底冷えがする。

初詣あかときくらき男下駄
という句、なかったかな、石橋秀野に

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