無料ブログはココログ

« 平成24年診療報酬・介護報酬改定(75)    自宅死亡率の高さ低さをどうみるか | トップページ | 病院報告(2)                     病院外来患者数が減ってきている理由は? »

2011年10月15日 (土)

ノリノリご隠居

まるでご隠居が波乗りしてるみたいで、かわいいでしょう。

日本の文化って、常に波型、ウエーブを描くのですね。畳も瓦も。

これはちびまるこのおとうさんの、さくらひろし。

台の部分にはあなぽこが三つ、いずれかに人形を差し込める。

ノリノリご隠居

« 平成24年診療報酬・介護報酬改定(75)    自宅死亡率の高さ低さをどうみるか | トップページ | 病院報告(2)                     病院外来患者数が減ってきている理由は? »

コメント

ごいんきょ。
これ、かわいいでしょ?
窓際で写真とろうとして、あまりに汚い窓だったので、畳の上でとりました。休憩室の備品です。笑。
ごいんきょの噂、ここでよめますよ。
どうぞどうぞ。
私はまだ半分しか読めていません。
きょう、日曜でしたね。
農協に用があって、勤務前にと思っていったら、しまっていた。とほほ。

さあ、あなたさまはこんどはどうでます。
でんでらりゅうばでてくるばってん
でんでられんけんでてこんけん。
ってことで、いってきます。しごと、全力!

『この世の名残,夜もなごり〜遺言ならびに遺書。』

(その1)

過日の書き込みに“隠居敗退?”という,誠に阿呆なものがありました。

このブログの仲間は小生が遺言或いは遺書と言っても,何も理解出来ず,さらにこのお調子者は60前になっても“マジかよ”といった程度の反応しか出来ない困った女。したがって,突然梯子(ハシゴ)を外されても何も思わないようです。

小生は新たなブログを見付けた時,どんな方が書いていらっしゃるのだろうと思って,比較的短時間に過去記事をカテゴリー別に辿ってみるのです。すると,人間性をも含む様々な物事が見えて来るのですが,こういった事は携帯電話ならではでしょう。

結果,自らの興味と合致するものにアクセスし,様々な情報を交換するのですが,そういった中にはこれまで知らなかったものが多々あり,驚かされました。

これまで当ブログでは,小生が答えたものに各自がきちんとフォローせず,やりっぱなしといった行儀の悪い状況が多々見られました。こういう事では学習効果は上がりません。

つまる所,仲間内のお遊びに根ざしたもの故真剣味に欠け,更に人間的な素直さの欠如がそれに輪をかけ,互いの学びを阻害しているのです。もうこんな連中のお守りは出来ません。

ブログはまだ始まって日の浅いメディアですが,個人の抑圧された意識や感情を解放するには格好の玩具(オモチャ)だったのかも知れません。

という訳で,小生は必然の結果として自主的に卒業してしまいました。したがって,もう卒業前になどという事は物理的に不可能です。

後は私がこれまで縷々述べて来た事柄を時系列で再構成し,お読み下されば,自ずと答えは導かれるのではと思われます。

既に答えは提示してあります。それが,そのようにご理解いただけていないのは,失礼ながらあなた方に

(1)人間的な素直さ,また謙虚さ,さらには,
(2)それらの事柄を理解するためのback-ground(様々な予備知識)が欠けているからです。

以上には,教えて戴く相手に対する尊敬の念が含まれている事は言うまでもありません。

あなた方から,私の話の筋道に沿った(それが人の言った事が解るという事です)質問が出て来れば,更なる補足(service)をしようと思っていたのですが,おっちょこちょいとしか思えぬチャチャが入り,結局小生が考える方向に話の筋が向かわなかったのです。

こちらが真剣な話,しかもそちらの求める問題解決についての情報を提供しようとしているのにこの態度は論外です。しかし,何よりも驚いたのは,あなた方が60前のいい年をした老人の集団だった事です。

もはや私の理解の範囲を超えており,到底想定外などという一言で片づけられるものではありません。そういった事に気付き,自ら卒業(お別れ)する事にしたのです。

したがって,少し外(ハズ)れているのではと思われた点もあったかもしれませんが,それは決して外れている訳ではなく,述べ足りないが故の結果だったのです。

(その2)

常日頃,『指導は最悪のサービス。』という哲学を持っている小生です。したがって,後はあなた方の自助努力。“三人寄れば文殊の智恵”と申します。無い知恵を振り絞って,自分の頭で考えて頂くしかありません。

何でも簡単に教えてくれると思うのは,大間違いです。
「求めよ。さらば与えられん。」という訳にはいかないという事も世の中にはあるのです。

元より資料そのもの(現物)を見ないでの推論には,自ずと限界があります。

以前,或る所で国宝指定の資料を自然光の下(室内)で見せて頂いた事があります。展示ケースで見ていた時とは紙の色がまったく違う事に驚かされました。現物を見なければ気付き得ない事柄が世の中にはまだまだあるのです。

実は,これまで今回のような問題に出会った事はありませんでした。疑問というのは単なる勘違いも含め,認識の相違から生まれる産物です。

小生が提示したものは,自らが長年“思考”錯誤した結果のより確かな推論だったのですが,発句について少し述べ足りない点があった事は確かです。しかし,あくまでも方向性としては間違っていないと自負しております。

それが単なる思いつきと異なるのは,小生が頭の中に蓄えた膨大なデータとの照合を経た結果導き出したものであるという点です。

「在るものをあると言い,無いものをないと言う」のが小生の日頃の研究態度ですが,時に人はそれなりの経験や知識(データ)を持たないがゆえに,様々な疑問に対して無様にもとんでもない解を出してしまう事があるのです。その典型は古田武彦氏またその一統に見る事が出来ます。(詳細略)

あなた方から発せられた疑問の幾つかは,現物を見る事により解決するものと思われますが,それでもなお問題点が残ります。

(その3)

『百首和歌巻』と『天照皇太神宮開記(ママ)抜書』の内容の整合性についての問題は重要です。

(1)『抜書』の中身,さらには(2)書写(成立)年次が問題となります。
『善知鳥吉三の八女夜話』の記事によれば,『抜書』の元になった記録があったかのような筆致ですが,それは『抜書』の記事,或いは“抜書”という言葉を真に受けての見解(認識)だと思われます。

小生は,「後世の潤色があるのでは」と述べています。それは知識層である神官の記したものでありながら,自らのお宮に関わる一番大事な記録のタイトルを間違って書く程度の知識しか身に付けていないという事を意味するからです。

それも当該のお宮が正式な手続きを経て伊勢より勧請したものでなく,天文期?以来個人的に祀っていたものであるという事を考えると,何よりも先ず権威付けが必要であったという事でしょう。

幕末の“お蔭参り”がその背景にあるやに思われます。言わば,何とかして時流に乗ろうとする便乗商法です。

お宮の由来を記したもののタイトルに誤記があるという事は,物事の本質を考える上での重要な“カンドコロ”です。八女市教委の文化財専門委員はそういった背景を全く考えていないように思われます。

本当は考えていないという訳ではなく,残念ながらきちんと見る(見抜く)だけの知見(学識)を備えた者が一人もいなかったという,ただそれだけの事だと思います。

教育委員会を含む行政の様々に対して,いろいろと指摘(摘発)していらっしゃる杉山氏にしてこの程度なのですから,もはやどうしようもありません。

しかし,こういった事柄は別段八女市に限った事でなく,全国どこにでも見られる普通の現象でしょう。維新以来の日本型のシステムは既に制度疲労を起こし,破綻しているのです。

したがって教育の現場では,まず何よりも考える人間を育てる事が重要であるという小生の主張がお分かり頂けたのではと思われます。

『抜書』が江戸時代後期(天保9年)久留米藩の国許家老有馬某によって“藪神”と云われた岩戸山の天照皇太神宮に仕えていた祀官?の記したものであるという事柄は,今回の問題を考える上で看過出来ない事実です。

現状はさておき,その祀官は当然の事ながら,この世界での慣例である京都の吉田家或いは白川神祇伯の御墨付き(許状)を頂いていないという事を意味します。言わば,ペーパードライバーならぬ“無免許運転”の神官だったという事です。

その学識の無さが[開基]という大切な言葉を正しく書けなかったという結果となって現れているのです。

八女市教委の文化財専門委員はまず何よりも,その事に注目する必要があったのです。

岩戸山の天照皇太神宮の祀官が代々そのような許状をしかるべき機関から頂いているなら,藩から“藪神”などと言われるハズはありません。それは彼らの身分を証(アカ)すものですから,いつお上から提出を命じられてもいいように代々大切に保存されているものなのです。

したがって,縦令(タトイ)不時の火災等でお宮が焼けたといったような事があっても,御神体と共に必ずや持ち出さないといけないものであったのです。

以上が言わば事柄の背景となるものです。こういった事柄を知らないと,物事は正しく見えて来ないのです。

(その4,最後)

以前,「保健医療経営大学では考える人間を育てているという事を胸を張って言えるか。」ということをお尋ねした事がありました。

しかし,お答えはありませんでした。現状を見る限り,どうもまだまだその段階には至っていないように思われます。

糸島の在野の考古学者,故原田大六氏には生前一度お目にかかった事があります。こと学問に関する限り,大変厳しい方でした。

戦後九州大学医学部の中山平次郎教授の元に通い,考古学に関する教えを受けたようですが,氏は一対一で講義を受けている間ずっと正座したままで,けっして足を崩さなかったとの事。

それは教えていただく師に対する深い尊敬の念と,並々ならぬ覚悟(意欲)があったからに他なりません。

そういった事を思うに付け,あなた方の私に対する態度は対照的。とても人様に物事を教わるといった態度ではありません。お仲間も含め,“あやまれ”“気に入らなければよそに行け”を始めとした罵詈雑言の数々。これらも仲間内のじゃれ合いなのでしょう。

しかし,過去こういった事態に違和(嫌悪)感を抱き,別れの言葉を残して離れた冬樹蛉サンのような方がいらっしゃったように,結局まともな感性を持った方は離れて行ってしまうのです。この方には随分と失礼な事をなさったようですね。

小生は四国遍路のお接待的感覚(時にお節介)から,自らがこれまで蓄えた知見を惜しみなく,一般にも分かり易い言葉に噛み砕いて,しかも授業料無しでお教えしてまいりました。

しかし,あまりにも行儀の悪い,更には頭の堅い者もいて半ばグリコ(お手上げ)状態でしたが,素直でなく更に礼儀をわきまえない60前のお調子者の年寄り連中を相手にするのはもう疲れました。

小生は無料の介護福祉士ではありません。後はあなた方のような礼儀を弁(ワキマ)えない者でも構ってくれる心の広い学識豊かな方をお探し下さい。

それにしても杉山氏は八女市の行政を嘆いていらっしゃいましたが,私に言わせれば市民の側にも問題がありそうですね。

八女市教委には筑後の中島栄三郎先生のようなお方はいらっしゃらないのでしょうか。

昨日,このブログが2005年12月22日の冬至の日に始まったという事を知りました。驚いたのは,恩師の話の中に「当座はあいづちの,てか,まじ,だよね。」の三点セットで凌ごうというものがあった事です。

いったい,どんな教員に教わったのでしょう。小生の離反は,偶然でなく必然だったようです。

これら三点セットは30代までの若者用語。縦令各自がそれを頻繁に使わなくとも,その気持ち(空気)を50過ぎた集団が共有しているという事に,何と表現してよいのか分からない不思議なものを感じました。

通常のブログは極々あたり前の感情に根ざしたものですが,『かささぎの旗』には,時に通常のそれとは異なる“傾(カブ)い”たものが見られます。

傍目には年齢が分からないだけに,他のブログには見られない或る種の興味を惹かれるものがありました。しかし,いざ話の輪に加わってみると,驚きの連続。

過去記事,例えば『告悔口上』などを見ると,まるで別人が書いたのではと思われます。いったいいつ変身してしまったのでしょう。当初は“猫を被っていた”か,小生が誤解していたという事なのでしょう。

3点セットは典型的な若者言葉で,いくら間違っても50過ぎた分別ある方々が使ったりするものではありません。

さらに連句の師匠が名古屋でなく関西の出身とあっては,もう何をか言わんや。先の3点セットに輪をかけたようなものです。

残念なのはまだ安西均や丸山豊,そして江崎悌三氏夫人のシャルロッテさんに就いて話していない事です。

以前日独文化協会が発行した“日独文化功労賞”の大変立派なメダルというよりも賞牌(ケース付き,桐箱入)を県南の古物業者より入手し,いったいどなたが戴かれたのだろうと思っていました。この度江崎氏に関する記事を読み,おそらくはシャルロッテ夫人だったのではという思いを強くしました。

そういった事も話したかったのですが,全てぶち壊しです(怒)。これらもまた“偶然の必然”だったのでしょうか。本当に残念です。

以上のような述懐も余計なサービスでした(笑)。

[最後に]
あまりに長いので,四つに分けさせていただきました。お疲れ様でした。

冬樹蛉さんへの失礼はかささぎの中ではきちんとした理由があるのですが、それはことばでは説明できません。冬樹玲さんのブログへ残したコメントをたどっていかれると、表面的なことはある程度わかるかと思いますが、みえないところで齟齬があります。これはいいわけにしかなりませんから書きません。見苦しいですから。
あちらはプロです。たててあげているのですよ。くいっぷちにつながるでしょう。
それをよく考えることもせず、かささぎはつい同人つきあいですまそうとして、怒らせてしまった、というのが真相でしょうね。ああ、でも、これはかささぎとおなじような体験をした人じゃなければわかってもらえないでしょう。冬樹れい、おもしろい人でしたが、君、売文の徒となるなかれ。だけど、今も惜しいと思ってる。一句もご自分ではつけ句を出されなかったけど、センスのある書き手でしたねえ。

ところで、このように理路整然と、あまり余計なことどもも書かれずに、ご自分の現状と心境と今の日本の問題点を縷々つづられるだけの力量をおもちのお方が、なぜ、人の神経をむやみにさかなでするようなコメント群を残さなければいけなかったのか、。
それをわたしはとっても残念に思います。
きっと匿名だからでありましょう。
これがあなたさまの致命傷でした。
わたし(たち)は、仮名ではありません。
じぶんのいったことは、ただちにふりかかってきます。
痛いですが、くるしいですが、すべてひきうけていくしかありません。
それがブログでものをかくという覚悟です。
携帯という穴倉みたいに閉じられたサイトからわがよかごつ覗き見してわがよかごつ解釈してわがよかごつ説教をおたれくださるご隠居さまに、このせつないきもちがおわかりいただけるでしょうか。

ところで、つかぬことをうかがいますが、

>驚いたのは,恩師の話の中に「当座はあいづちの,てか,まじ,だよね。」の三点セットで凌ごうというものがあった事です。

これはいったいなんなのですか。
おしえてください。
いやなのは、脈絡もなく、とんでもないところから、ことばだけをもってこられることです。きもちがわるくてしようがありません。

かように、匿名のやからに、きちんと膝を正して反応すべきではないのかもしれませんが、気になるものはきいておきたいので。

もう一つ。
なにを権威としてものを言っておられるのか、わかりませんが、つぎの部分はありがたかったので、お礼を申し上げます。教えてくださってありがとうございます。


>現状はさておき,その祀官は当然の事ながら,この世界での慣例である京都の吉田家或いは白川神祇伯の御墨付き(許状)を頂いていないという事を意味します。言わば,ペーパードライバーならぬ“無免許運転”の神官だったという事です。

これをよんで、ああ、なるほど、松尾桃青霊神社を久留米こうらさんに、おんとし七十すぎの身でありながら「上京して」勧請してきたという岡良山、どこへ?と思っておりましたが、彼はそこへいっていたのですね。はるばると。

そういうことも知らず、こうらさんに芭蕉の霊神社がまつってあることも知らぬまま、この地に老いていく俳人ばかりです。八女ばかりではありません。久留米の御井寺は芭蕉の格調高い名文である、幻住庵記にも言及のあるほどの古刹であるのに、御隠居、たずねてごらんなさい、何の案内もなければ、芭蕉のばの字もありません。
恥ずかしい話ではありませんか。

『告悔口上』をとりあげてくださって、ありがとうございます。
わたしが一番かなしかったころの作品で、もっとも宗教的だったころの書き物です。
それをみいだしてくださった久留米の丸山豊先生の目に感謝しています。
だけど同時に、こうも思います。
この道(かかずにはおれないという道)に入っていなかったら、もっと普通にしあわせに暮らせたのではないかと。どっちが先なのだろう、と。

昨日の朝、前田師と電話で話しているとき、その話をしました。すると先生は、即座に「ひもじかったのよ」とおっしゃいました。飢えていたのだ、精神が。という意味です。
前田先生は小説家になりたくて、だけどなれなくて、夢が破れたとき、それでも文芸をやっていたくて、書かずにはいられなくて、こうなった。とおっしゃいました。きっとおなじようなことなんでしょうね。

安西均先生とのえにしのことは今から思っても、とてもふしぎな点があります。連句をはじめたばかりのころ、安西先生とであったのです。新聞の読者文芸の詩欄の選者と投稿者としての出会いです。丸山豊先生が流れ星の季節に、アンカレッジの機上でほんとうの星になってしまわれたので、安西先生があとをつがれたのでした。
あのころの自分は、やはり今の自分の成れの果てでありまして、現実から逃避しようとばかりしていた。あたまではちゃんと知っていた、逃げてもまた同じ現実があるだけだと。
だけど、そこがかなしいかな、にんげんなんですね。さとれない。もがく。くるしむ。にげたがる。
精神だけでも、すかっと抜けたところにいたかった。
詩はやすらぎの場所だった。
一方的に、安西先生に便りをしました。
そうすれば心がおちついたのです。
まだブログもなかった時代です。
わたしは書かずにはおれなかった。
連句のこともかいたでしょうか。

けれども、先生も丸山先生のあとを追うようにして、平成四年になくなりました。それを新聞で知った朝、ゆびをおってかぞえました。自分の出した便りが、亡くなられたという朝に書いたものであったことに気づき、虫の知らせって、これだったんだと思いました。ずいぶん久々に書いたものだったのです。下月隈に引越して、三番目の子をうんで、連句にぐいぐいとひかれる自分について書いていたんでした。
その後、知ったのです。安西均先生は連句人でもあったこと、わたしもいっしょにまいたことがある人とも何度も巻いておられたことを。

たくさんの文章を書き散らし,また他人の書いたものを日常的に自らのブログの冒頭に掲げるといった“羊頭狗肉”的見栄っ張りな営みを続けると,自分の書いた文章も見分けがつかなくなるようですね。

「人の神経をむやみに逆なで」
とのこと。

「巧言令色鮮(スクナ)し仁。」
或いは,「良薬は口に苦し。」
「忠言耳に逆らう。」
と申します。

あなたは,まだこのお年になっても耳障りのいい言葉をお求めなのですか。
そんなもの,何の役にも立たないという事が分からないのですか

あなたの最大の目的は,あなたの命名した『八女戦国百首和歌』とやらの今伊勢社奉納『百首和歌巻』について,あなたが疑問に思っている事柄の数々を解き明かすことでした。

小生はその問題解決に向けてのあなた方の“誤解”のいくつかを解くために手ほどきを示したまでです。

あなたは,
「(世に出すために)どうか,お力をお貸しください。」
とおっしゃっていましたが,立花町の大内邸の件では,ほとんど何も知らないのに,
「立花町と大内文化は密接な関係がある。」
などという空言(出まかせ)を吐いていた事からも,あなたの本心が見せかけでしかなかったということがよく分かりました。

男言葉を使って粋がっている,或いはそのような言葉使いが普通であり,この年までずっと使って来ていたという事なのかもしれません。

まるで田嶋陽子を思わせるようなあなた方の言葉遣い。
何か勘違いをなさっているのではありませんか。

それとも,八女ではまだそのような言語生活が普通に営まれているのでしょうか。

みっともないからお止めなさい。
これまで私の身の回りには,そのような方は一人もいませんでした。

私の亡き母は七人兄弟の一人娘として生まれ,嫁入り前知り合いの市長のお宅に行儀見習いに出されたそうです。そういった事もあって言葉遣い,また一挙手一投足にうるさいお方でありました。

あなた様やお仲間が使っておいでの
「うまそうな飯食ってんね。」
といった言葉遣いは,いくら間違っても50を過ぎた分別のある女性が使うものではありません。

最初小生がコメントを寄せた時,あなたは,
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/6633/6513/73032239?page=2
「ごいんきょ,すけさんやかくさんはいませんが,どうかくつろいでいっておくんなさいまし。
お茶ひとつさしあげることは出来ませんが,不出来なかささぎめに,どうかいろいろとご教示ください。」
とおっしゃいました。

小生はその単なる挨拶でしかない言葉を真に受けたのですが,それはあまりにもあなたという人間を知らなかった,言わば“お人好し”だったという事です。

しかしながら,小生がそう受け取ったのは,ブログをあらかた読んで受けた印象と,その時の,

「不一とは虔(ツツマ)しき鵲(カチ)の羽の蒼(アオ)」

というおかげ(挨拶)の句が誠に秀逸だったからです。
おそらく,これまでのあなたの句の中で一番ではないでしょうか。

しかし,小生は越後の縮緬問屋(笑)。いくらそう言われても,ハメを外す(くつろぐ)訳にはいかなかったのです。

という訳で,小生の普段のままの言葉遣いであなた方に接して参りました。

何度も言うように研究者は例え本名を名乗らずとも,自らの良心に照らして“類推”や“憶測”でものを言う訳には行かないのです。

したがって,あなた方のように,
「だったのではないでしょうか。」式の発言は絶対に出来ないのです。

そういったオバチャンたちの井戸端会議(ハッタリコンクール)は疲れますから付き合えません。
そして,例の件に関わる事柄についてももう一切発言致しません。

しかし,一つだけ言っておきます。
乙四郎氏が伊勢の徴古館で見たという荒木田某の和歌懐紙は反証例とはなり得ません。
理由はご自分でお考え下さい。

『筑後将士軍談』は岩戸山古墳の出ている分冊は所持していますが,しまい込んで出て参りません。
という訳で,すぐに他館から取り寄せて頂き,既に必要な箇所は確認しました。

併せ古書店より杉山氏の『岩戸山古墳物語』も求め,これについても確認しました。

しかし,今我々に必要なのは『筑後将士軍談』でなく,『天照皇太神宮開記抜書』です。

この資料に当該の件の背景を考えるカギが隠されているやに思われます。そこに,どのような事が書かれているか。

これは言わば岩戸山の天照皇太神宮の祀官の“自己”申告なのです。

それらに“偽り”がないかを具(ツブサ)に検討する必要があるのです。

それは同時に,何が書かれていないかという事を見極めることでもあるのです。

なぜ地元のあなた方が,小生が早くに指摘した『抜書』について取り組まないのか,やはりあなた方のやっている事は“お遊び”としか言いようがありません。

“共同”研究のつもりかもしれませんが,しかるべき知識を持ったリーダー不在という事が致命的な問題としてあなた方の前に横たわっています。

このような事では到底今伊勢社奉納『百首和歌巻』の真相解明は出来ません。

その事をよく肝に銘じておくことです。

(つづき)

という訳で,すぐに他館から取り寄せて頂き,既に必要な箇所は確認しました。

併せ古書店より杉山氏の『岩戸山古墳物語』も求め,これについても確認しました。

しかし,今我々に必要なのは『筑後将士軍談』でなく,『天照皇太神宮開記抜書』です。

この資料に当該の件の背景を考えるカギが隠されているやに思われます。そこに,どのような事が書かれているか。

これは言わば岩戸山の天照皇太神宮の祀官の“自己”申告なのです。

それらに“偽り”がないかを具(ツブサ)に検討する必要があるのです。

それは同時に,何が書かれていないかという事を見極めることでもあるのです。

なぜ地元のあなた方が,小生が早くに指摘した『抜書』について取り組まないのか,やはりあなた方のやっている事は“お遊び”としか言いようがありません。

“共同”研究のつもりかもしれませんが,しかるべき知識を持ったリーダー不在という事が致命的な問題としてあなた方の前に横たわっています。

このような事では到底今伊勢社奉納『百首和歌巻』の真相解明は出来ません。

その事をよく肝に銘じておくことです。(以上)

>さらに連句の師匠が名古屋でなく関西の出身とあっては,もう何をか言わんや。先の3点セットに輪をかけたようなものです。

お説をよみかえして、あら、こんなことまで書いておられる。とあきれかえった、これは偏見にみちたお説です。いったい、どういう意味なのでしょう。名古屋ではなく、とは?名古屋ならぴったり合うのですね。なににですか?

きのう、国民放送でひみこがあっていたのです。
御隠居あてのコメントをかいていたので、おわり近くのちょっとだけしかみれませんでした。それに松嶋菜々子の家政婦のミタもみたかったのですが、それもこれも御隠居のせいで残念でした。
来週は、日光東照宮だそうです。これはなにがなんでも、みなければ。百首か99首かにも関連することだ、かささぎにとってはね。

りーだーふざい?
いますよ。みえないりーだーが。
ねっとのかみさま。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ノリノリご隠居:

« 平成24年診療報酬・介護報酬改定(75)    自宅死亡率の高さ低さをどうみるか | トップページ | 病院報告(2)                     病院外来患者数が減ってきている理由は? »

最近のトラックバック

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31