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2011年10月14日 (金)

百首和歌冒頭に付された言葉の意味を考える。

コメント集成

コメント

今伊勢のお宮の前で、全員が同じきもちで、こころ一つに歌を百首よみますよ。
という、選手宣誓にも似たことばではないでしょうか。

大勢で百首和歌を詠んだものに「同詠百首和歌」と「詠百首和歌」とがあり、その違いを探ってみると、「同」詠の用例のほとんどがその前に「春日」「夏日」「秋日」「冬日」を伴っています。
「○日」と「同」とが直接リンクしていないんだったら他の用例もたくさんあるはず、と探しましたが、ネット検索可能な範囲では、新年などの特定日がらみのものばかりで、「○月○日」と同詠の組み合わせもありました。
中に、「同」の用例として、
正治二年八月八日追給題同廿五日詠進之
秋日侍太上皇仙洞同詠百首応製和歌
というのがありました。
たまたま一行目にも「同」と「詠」がありますが、一行目の「同」は、前述の「正治二年八月」の繰り返しを避け、「(同じく)正治二年八月の」という意味で使われています。
「同」が、語彙の繰り返しを避ける用法であれば、二行目の同詠百首応製和歌は、秋日詠百首応製和歌(タイトルと同じ秋の日に百首応製和歌を詠む)と解釈することが可能かもしれません。○月○日・・・同詠和歌、だったら、同じ○月○日に和歌を詠む、と。
そのような用法であれば、正しくは「同」ではなくて「同日」としなければなりませんが、「以下、同文。」を「以下、同。」とする例のように、「同日」の「日」が省略されることはあり得るでしょう。さきほどの例でも「同月」の「月」は省略されています。
タイトルが「○日」でない場合に、そこのところが「春日詠」「夏日詠」「秋日詠」「冬日詠」となっている用例もまたたくさんあります。「同」が指すものがないからです。
「○日」と「同詠」がくっついた「夏日同詠百首和謌」のような用例(全体がタイトルのように扱われています)もたくさんありますが、これも、実タイトルが「夏日」で、「同(夏日)詠百首和歌」はタイトルの添え書きみたいなものかもしれません。
こういう解釈だと、
夏日侍
今伊勢寶前同
詠百首和哥
は、今伊勢の宝の前にて夏の日に、百首の和歌を詠む
ということになります。
99首しかない謎は謎のままです。

こういう接近の仕方、とっても有り難いと思います。

もうひとつ、きになってきました。
たから。たからです。
たからってなんなのでしょう。

ほんとうにみなもとのかんじゅつは、あるいは、あきのぶは、たたりをおそれて、神にひれふす証のために、このような作品をのこしたのでしょうか。

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コメント

太上皇仙洞・・つながり・・昔からぜひ行ってみたい場所は京都の仙洞御所。 訪問着の絵柄がここのイメージらしい・・流れに関係ないけど・笑 

どうしてまたこのようなスレッドを立てられるのか,まったく理解出来ません。

さっそく,それに飛び付いた“エメ”とやらのオッチョコチョイがまったく関係の無い事をコメントしています。

これまで私が投稿して来たコメントを見れば,おおよその方向性と,考えの基本(こういった事は考えられないといった事も含めて)はきちんと整理してあるのに,そういった事柄を十分理解する事なく,このようなスレッドを立てるという事は,はっきり言って人間としての素直さに欠けるか,学問的センスに欠けるかのどちらかです。

その時,関係者が元厚生官僚であるとか,大学の学長であるとかといった属性はまったく関係ありません。センスが無いものは無いのです。

一昨日,57歳の誕辰を迎えられたとの事。
「おめでとうございます。」

「品のない言葉遣いは卒業します。」とありましたが,非常に不思議なのは,貴女の取り巻き,この記事を読みながら,誰一人として,貴女に「おめでとうございます。」という言葉を届けていないことです。

これはいったいどういう事なのか,あなた方の人間関係,非常に苦しむ所です。

御隠居。
誕生祝のことば、どうもありがとうございます。
おめでとうと誰もいわなかった。そうですね。
薄情というのも時に思いやりです。
メールをくれた友もいますが。
まだ言ってらっしゃるのですね。
学問は、ひとのためにするんじゃなかとです。
じぶんのなかのなにかのためにするったい。
世間の常識はどうでもいいことで、自分の中で折り合いがつくかどうかです。
それに誤解されてます。
竹橋乙四郎は学長だからとか元官僚だからという理由でここにもちあげているのではありません。わたしはただ竹橋乙四郎がすきなんですよ。そしてここに集まる友達はみな、おなじきもちです。
うらやましいですか。
これは連衆心というやつです。ふん。

「同」は“選手宣誓”とかという事でなく,単に“共に”歌を詠むという,ただそれだけの事です。

明治以降皇居で行われている“歌会始”(最近はテレビ中継があります)で,この部分がどのように発声されているかが参考になろうかと存じます。何かのサイトでお確かめ下さい。

当然こういった問題を抱えている訳ですから,普段歌会始のようなものは注意しているというのが極々常識的な研究態度でしょう。

「今伊勢寶前」の“寶前”は「寶の前」などという事ではなく,神仏を敬って言う語です。
意味は,“神の広前(ヒロマエ)”。神殿や宮殿の前庭の事です。“ひろにわ(ヒロニワ)”といった言い方もあるやに思われます。

いずれにせよ,より良い連句を紡ぐには互いに普段(不断)の人間修養が必要です。

連句の世界は“タメ口(品のない言葉)”の世界とは相容れないもののように,このわたくし(私)は認識しています。

あなた方を見ていると,誠に失礼ながら若者集団の“お遊び”のように思われてなりません。貴女,本当に[57歳]なのですか。

幼い優しさは何物をも生みません。互いをダメにしてしまいます。

仲間内の“じゃれ合い”はあなた方には居心地がよいのかもしれませんが,傍目(ハタメ)には大変気持ちの悪いものです。

「嫌ならよそに行け。」などというお連れ様の大変お品の良くないお言葉がありましたが,私は暇つぶしで発言している訳ではないのです。

どなたが連句のお師匠サンなのか存じませんが,習い事や芸事はお師匠サンを選ばなければなりません。

そしてまた,変な振る舞いは師匠の名を恥ずかしめます。あなた方には,そのような認識や理解は無いようですね。

単なる約束事(技術)だけでなく,しっかりとその背景をなす精神までをも教授して下さるような方でないと,教わる意味はありません。

思えば,短歌を人間の心の中から咲き出(イヅ)る感情の表出と考え,“心の花”と表現した佐々木信綱の竹柏(チクハク)園短歌会。

これは“旧派”の短歌会ですが,そこに通底しているのは人生修養の精神です。そして,そこにはそういったものを強く支える“平等”の精神があるのです。

そのために,こういった芸事の世界では普段とは異なる別の人間性を演出するための“芸名”という実に巧妙な仕組みが用意されているのです。

したがって,あなた方も連句が中心なら,殊更プライバシーを暴露するような事は控えるべきでした。

以上のような事を説明するためにキリスト教社会の“神の前の平等”という言葉を出して説明しようかと思ったのですが,それを出すとまた日本にキリスト教が伝来した事と関係があるなどという珍説を出されそうな気がして止めたのです。

なお,実質的な意味を担う言葉を仮名書きするというような非経済的な文字表記は現代社会には似合いません。

それは伝達という事が第一義ですから,相手に対する“思いやり”に欠けるものは避けるというのが人としてのあり方だと思います。「文は人なり。」なのです。文に自ずから人柄がにじみ出るのです。

あなたには,人間修養の観点から柳田國男の『毎日の言葉』を是非とも読まれる事をお薦めします。

この著作,柳田が戦後或る婦人雑誌に連載したものをまとめたものです。戦後の価値観の崩壊,変転に伴なう人心,特に女性の意識の変化を憂いて書かれたもののように思われます。これは内容的に全集等で読むような性格のものではありません。

以前は創元文庫や角川文庫に入っていましたが,今はどちらも絶版です。気の効いた国語教員なら生徒に薦めていたと思われます。

柳田の著作は高校の時に親しんだものですが,以後は読むものが多くて全巻読破には至っておりません。途中で,そのような必要がないという事に気付いた結果でもあります。

あなた,私に出会って変わったと仰有ってましたね。何がどのように変わったのですか?

私にはまったく同じように思われるのですが(笑)。

【お願いならびに補足】

どうした事か2通届いてしまいました。

先のはまだ編集途中のものです。したがいまして,後のを生かし,先のを削除下さいますようお願い申し上げます。

なお,「今伊勢寶前」の「寶前」は「ホウゼン」と読みます。

この言葉の前に何も付かない時は,“御”を付けて「御寶前(ゴホウゼン)」と表現します。

具体的な例は,古い(由緒ある)お宮に奉納された絵馬等にも見ることが出来ます。(以上)

ああやはり平行線ですか
ときにご隠居
携帯端末から長文の説教をかきつらねて下さるのは骨折りでありましょうに
こんな未熟者のために恐れ入ります

じぶんがひとさまに対して与えているかもしれない、いやなきもち。それをまざまざとみせてもらった気がするんです。それは実際、そうされてみなければ、自分では想像することはできませんでした。
ひとりよがりの世界で、ひとよりも頭一つぬきんでていると、ひそかにどこかで自負していたあほな自分の滑稽さ。これ以上の気色の悪さはありません。
ということです。
たからにしろ、同という字にしろ、ご隠居の書かれているような意味はわかりきったことです。しかし、そうではなく、その言葉のおりたったときまでさかのぼって考えてみようとしただけのこと。
もう一つ、
友人のことをこのおっちょこちょいとお書きになりましたね。おっちょこちょいはご隠居でしょう。連句的な文脈がおわかりにならなかったとしたら、口をさしはさまれるのは、どうかさしひかえていただきたいものです。それから。
プライバシーをさらしたおぼえはいっさいありません。ちゃらちゃらと軽く書いているにもかかわらず、守るべきことは守っています。卑怯な生き方だけはいやだから、わたしは裸で立っていたいとおもうのみ。正直だけが誇りのにんげんでいたい。

この週末、伊勢神宮の神嘗祭へ行ってきました。
伊勢神宮の年間行事の中で最重要とされる祭儀です。
外宮で「奉幣の儀」を、内宮で「初穂曳」を見ることができました。
この機会に荒木田守武の句碑、住居跡、お墓、宇治神社(守武を祀っている神社)、徴古館(伊勢神宮の資料館)も訪ねました。
神嘗祭の賑わいにかかわらず、訪問者はほとんどなし。守武の墓では墓を守っておられる方とお話することができました。
徴古館では、守武の数代後の禰宜の氏富の自筆和歌(懐紙)が掲げてありました。

冬日同詠二首和歌
 二禰宜従四位下
荒木田氏富

とあり、冬夜月、寄舟恋の二首の和歌がB4くらいの大きさの懐紙に収まっていました。
二首とも氏富ひとりの作品なので、「同」が、複数の詠み手が一同になって、のような意味ではないことがわかります。

【☆★☆祝,卒業!☆★☆】

あなたの最大の目的は,あなたの命名した『八女戦国百首和歌』とやらの今伊勢社奉納『百首和歌巻』について,あなたが疑問に思っている事柄の数々を解き明かすことでした。

したがって,この私も及ばずながら,その問題解決に向けての解を示したまでです。しかし,それはどうもあなた方お仲間うちには余計な事だったようです。

“同”や“寶”について小生が縷々説明した事は既に分かりきっていたとの事。であるなら,乙四郎氏の「〜のような考え方があるとは思わなかった」的な発言が出てくるハズはありません。

「新たな論客の出現を祝して」とか,様々な実に正直な,その時々の感情表出(小娘のようなハシャギ様)が見られましたが,あれらは全てあなた独特の“挨拶”,つまり欲求不満の捌け口だったという事ですね。

さらに,詳細はまったく知らないのに,“密接”な関係があるなどという空言を吐くような癖の人間に対してまともに対応していたのですから大笑いというか,爆笑ものです。ヤンキー言葉から早くに何かを見抜くべきでした。

乙四郎氏は伊勢に行ってまた新たな“同”の字の用例を採集して来られたとの事。ご同慶に堪えません。独りよがりでなく,あなた方にとっては“仲間よがり”もここまでくれば大したものです。

小生の要(イ)らぬお節介により,せっかくのあなた方“烏合の衆”の楽しい謎解きに冷水を注(サ)したようで,誠に申し訳ありません。以後は一切口を差し挟む事は致しません。どうか,仲間うちの会話を存分にお楽しみ下さい。

「もの言へば,唇寒し秋の風」ですね。

しかし,私には八女にあのような資料があり,そこにはいくつか簡単に解けない謎がある。さらに岩戸山古墳の墳丘上に伊勢というよりも“天照皇太神”が戦国期,正式な勧請という手続きを経る事なく私(ヒソカ)に祀られていたといったことを知る事が出来たのも大変な幸運でした。

さらには,その私に祀っていた伊勢社に対して当時の権力者(豊饒鑑述と久留米藩家老有馬内蔵助)が時代は異なるものの,いかに認識し,いかなる態度を取っていたかといった中々知り得ない当時の民間信仰の実態に就いての情報が得られたのも大きな収穫でした。

それらの事は,山口以外の皇太神宮の存在について大きな示唆を与えてくれたように思います。

また,『善知鳥吉三の八女夜話』というブログの存在を知ったのもうれしい事でした。しかしながら,この御仁,情報を提供されても知らん顔。さらには間違いの指摘をされて,こっそり直すという実にケチな野郎であるという事が判明したのは,土地柄とでも云うのでしょうか。何とも悲しい事でした。

この御仁,八女市の様々な問題を取り上げ,告発していましたね。感心しました。油絵という西洋スタイルの絵を書いている割に背広の釦を全て留めるというチグハグな西洋文化の理解の様子が画像から見て取れました。

そういった事はさておき,この私は非常に大きな収穫を得ましたので,ホクホクです。その事に対しまして,厚く感謝致しております。短い間でしたが,楽しませて頂きました。

以前勤めた事のある県南の風土について,この年になって再認識させて頂いた事にも感謝申し上げます。

本当に両手に抱え切れないくらいの収穫です。

では,では・・・・・・。

「同」の一字にこだわり続けているのは隠居様の10月1日付の次の投稿に刺激を受けてのことです。そのまま引用します。
~~~~~~~~~~
一首足りないことについては,書写者のミスか,あるいは書写時点で既に短冊が一枚失われていたということなのかもと思っていましたが,改めて考えますと,歌巻の冒頭にそのことを解く鍵が隠されているように思われます。
当該歌巻の冒頭には
「夏日侍,今伊勢寳前同,詠百首和歌,美濃守源鑑述」とあります。
一首目の“立春”の詠は美濃守が「“夏日待”という発句に同(ドウ)じて,百首和歌を詠む」ということですから,しかるべき方が“夏日待”という題の発句を詠み,それに合わせて以下の面々が(全体で)百首の和歌を詠んだということです。
つまり,“発句”を含めての百首なのです。
当該歌巻には,発句の具体詠が記されていないために,一首足りないという印象を受けますが,一座の人々にはちゃんと了解されていたはずです。
では,その発句は誰が出したのか。今伊勢の寳前ですから,今伊勢宮の神官を措(オ)いて他にはありません。彼は祭神・天照皇太神にお仕えする者,言わば天照皇太神の名代として発句を詠んだのです。
したがって,その発句は天照皇太神の神慮(思し召し)でありますから,恐れ多くて記すわけにはいかなかったのです。
識語の干支不一致,また一首不足と思わせるような書写のあり方など,この歌巻には今の私たちにとって謎とも思われるものが多々ありますが,おおよその事情はご理解頂けたのではと思われます。
~~~~~~~~~~
非常に魅力的な仮説に思えましたので、発句に同じて○首和歌を詠み、その発句が恐れ多くて記すわけにはいかなかったであろう、一首足りない前例はないものか、また、伊勢神宮の神官が詠んだ歌の扱いはどうされるものかと、ネット上を飛び回って検索したのですが、上記の仮説を裏付けるような前例はとうとう発見できませんでした。また伊勢神宮の神官が詠んだからといって、その歌を敢えて伏せたというようなことが覗われる連歌の前例も発見できませんでした。あまりにも頭に引っかかったものですから、ネット上だけではなく伊勢神宮の現物資料の中にも手がかりはないものかと徴古館へ行ってはみたものの、やはり公開資料の範囲内では手がかりはありませんでした。
他に 荒木田氏富禰宜自身の発句と覚しき(発句者は発句署名がないのでそのように類推しました)、秋日侍と題した連歌も掲示してありましたので、禰宜の発句だから記録しないということもないように思いました。
なお、八女百首は最初の君が代の歌には署名がないので、私の乏しい常識では、この君が代の歌が発句であるとしか思いつかず、この君が代の歌の前に隠された発句があるなどという仮説は思いつかなかった、というのが正直なところです。
“思いつき”に対して非常に厳しい学問的姿勢を示しておられる隠居様なので、前述の仮説には思いつきではない裏付けがあってのことだと思いますが、私のようなアマチュアのレベルでは、「仮説」は「思いつき」を述べるに留まることが多いので、御卒業の前に、今一度、夏日侍という発句があると主張された、その学問的根拠をもう少し詳しく御開示いただければ幸いです。

もう一点。
>乙四郎氏は伊勢に行ってまた新たな“同”の字の用例を採集して来られたとの事。

ひとりで二首を「同詠」した荒木田禰宜の例です。
このように用例を蓄積して、真実に近づくというアプローチは間違った手法であるとは思いません。
この用例について、

>「同」は単に“共に”歌を詠むという,ただそれだけの事です。

と断言された隠居様からの学問的なコメントが欲しかったのですが、

>ご同慶に堪えません。独りよがりでなく,あなた方にとっては“仲間よがり”もここまでくれば大したものです。

というコメントしか返されなかったのは残念です。御自身の発言の反例が示されているのです。学問への正しい姿勢を説かれていただけに失望しました。

隠居敗退?

今日、市総合体育館(八女市馬場)で明日まで開催の「完全復元伊能図」展を見てきました。体育館に「大日本沿海輿地全図」225枚が敷き詰められ、圧巻でした。
伊能忠敬は矢野一貞の半世紀くらい前の人。
几帳面な測量日誌が残されており、八女測量の記録には、長峯に石人があると記録され、ついでに石櫃の計測までやっています。また、石人については”古事別記”を参照してね、とありました。
矢野一貞より前から、伊能の時代まで、何らかの伝承があったのでしょう。

「古事別記」って何?古事記伝のことだろうか。
本居宣長が『古事記伝』を起稿したのが1764年、脱稿が1798年、全巻刊行が1822年。
伊能忠敬が測量を開始したのは1800年。

体育館で「完全復元伊能図」展ですか?
ああ、敷き詰めるスペースが必要ってことですね。

明日は文芸とはまったく無縁の友人と息抜きに出かける予定です。
出かける前に立ち寄ろうかな?
目的地が真逆なんですけど。

へえ、そういう展覧会をやるような街だったのですね、わが町は。知らなかったなあ。
>几帳面な測量日誌が残されており、八女測量の記録には、長峯に石人があると記録され、ついでに石櫃の計測までやっています。また、石人については”古事別記”を参照してね、とありました。
矢野一貞より前から、伊能の時代まで、何らかの伝承があったのでしょう。

古墳が盗掘にあうのは当然だとしても、一目でなにか偉い人のお墓であるとわかるような伝承があったのは間違いないでしょう。古事別記、いのうさんがかかれた別冊付録?なら面白いんだけどね。測量中に聞いた噂話をまとめた号外集。(ないか)

御隠居。
お元気でしょうか。
予定通り、矢野一貞の筑後将士軍談を借りて、あるいは購入して、読み始められたでしょうか。
どこにお住まいか存じ上げませんが、あの本は貴重な本で、八女市でも禁持ち出し扱いです。
しかし、佐賀市立図書館では貸し出し可能でした。
そういうところをお探しになれば、すきなだけ読めると思います。
かささぎの旗は、恣意的な読み方しかできませんでした。自分のほしいところだけを飛ばし読みした、という意味です。だって、とっても重厚だし、昔の本だから読みにくいし。もっと隅々まで読めば、あるいは。直接関連がなさそうな箇所まで目を通しておれば、意外なことがわかってたのかもしれません。これも、欲というものでしょう。

おはようございます。
伊能図すごすぎ!
全国を巡回してるみたいよ。
入場無料♪本日4時まで。靴下必要。

えめさんいってきたのですか。
みたかったなあ。
全国巡業展覧会、なるほどそうだったんですね!
ご本人がいきておられたら、さぞ本望でありましょう。
あるべき姿ですね!

>入場無料♪本日4時まで

やはり、行ってきます。
行くしかねえでしょ。ここまで、絶賛されれば。
スリッパ持参します。笑

行ってまいりました。

想像以上でした。
原図は世界中のいろんなところに流失していたのを収集してあの「大日本沿海輿地全図」225枚が完成したのですね。
確かに圧巻でした。
なにより、まともな測量器具などなかった時代によくぞあんな地図を書き起こせたものだと思いました。

ところで、体育館の玄関で、スタッフの一員として出迎えてくれたのは、なーんと、つねちゃんのだんなでしたよ。びっくり。

スリッパは使用禁止でした。
ソックスが配られてた。笑

ふうん。その地図の上を歩かねばならんというわけか。だから汚いあしだとだめなのですね。
よかったねえ、せいこさん、乙四郎さん、えめさん。

かささぎは今日も一日怒涛の仕事でした。
おつかれおつかれ。

タイのコンケンという田舎町に赴任した時のこと、当時、そこでは町の地図が入手できませんでした。
タイ語で地図のことをパンティーというのですが、お店を何件も回って「パンティーはありますか?」と訊ねる日々。(イントネーションを間違えると変態に思われます)
どこにもないのでやむを得ずやったことは、毎日、終業後に少しずつ歩いて地図を自分で作成すること。
半年くらいかけて、やっと町の地図ができました。
伊能忠敬になった気分。
完成品をコンケンの人たちに見せたら「これは軍事スパイがやる仕事だ」と言われてしまいました。
そういえばシーボルトは伊能図の写しを持ち出そうとしてスパイの疑義がかけられたのでした。

伊能忠敬以前にも日本地図はありましたが、歪(いびつ)です。
八女百首の頃、戦国武将たちはどんな日本地図を思い描いていたのでしょうか。
その頃の日本地図に、イエズス会からの情報に基づいて作成されたと思われる16世紀のポルトガル製のものがあります(ネット上で拾えます)。
イエズス会は、日本の布教管区を、「上」区(本州・四国)、「豊後」区(豊後・豊前・日向)、「下」区(その他の九州)と分類しています。
日本地図にもひときわ大きくBungoと書かれており、あたかも豊後が日本の中心であるかのごとき扱いです。
当時の日本人がそういう意識であったかどうかは別として、大友寄りの情報で日本全体を把握していたイエズス会の意識では、豊後が日本の中心であるわけです。
・・・ということは、大友武将たちに限っては、本気で、大和ではなく豊後が日本の中心であると信じ切っていた可能性があります。八女百首の武将たちも・・・
それにしても、なぜ、イエズス会は16世紀に地の果ての小国の日本に、イエズス会ナンバー2の大物のザビエルを派遣したのでしょうか。
当時の世界のGDPシェアを推計したものがありました。(↓)
1550年の推計ですので、まだ発見されたばかりのアメリカは統計にありません。
その資料によると、
中国  36%
インド 35%
イタリア 7%
フランス 6%
ロシア  5%
ドイツ  5%
日本   4%
イギリス 2%
という、「明」の繁栄期の中国やタージ・マハルのムガル帝国が繁栄していたインドが世界の富の七割を占め、日本も、国際的尺度での自覚はなかったかもしれませんが、世界第7位の経済大国でポルトガルより豊かな国であったようです。

「得てうへし」考
弘智の「松」の歌です。

得てうへし松にならへる君が宿を
猶すみよしの神や守らぬ

「君が宿」を「得てうへし松」に倣えるとはどういうことか。
まずは松の植え方の勉強。
江戸時代の宮崎安貞「農業全書」によると、水さえあれば松はどんな所ででも育つ植物なのだそうです。
「春分の前、秋分の後、土を帯、雨を得てうゆれば、過半ハ活る物なり。松をうゆる事、正月の中より、二月の中までよし。」
「松ハ生立ぬ所もなき物にて、はげ山にても子をまき、土を少おほひ置バ、多年をへて松さかへ、漸々に葉山となる物なり。仮令白けたる岩土、草木生ざる山なりとも、一尺ばかり打くだきよき土を入れ松を種れば、頓て葉山となる。(中略)草がやのある山ならバ、一鍬二鍬うちて、松子を二三粒まき土をかけ置べし。必生る物なり。」
何を「得」たのかがわからない句でしたが、水を得て植えたのかも。
そうすると、水を得て植えた松は必ずや生きていますので、「君の宿」も松のように生きているのだぞ、そして住吉の神が守っているのだよ、という読みになります。
わざわざ(宿が)生きていることを強調される「君」とは誰のことでしょうか。

何の偶然か、昨日、豊饒(ぶにょう)という姓の方とお会いしました。

松といえば、

二     子日        鑑教

さゝれ石の庭に小松を引き植へて
苔のむすまで友とこそ見め

三    霞         鑑實

朝夕に霞たなびく小松原
きみがちとせの春ぞ久しき

十七    藤       宗右

岩に生ふる松にかゝれる藤なみも
をのれくだけて春ぞ暮けり


三十二  氷室     松寿

春秋をわけぬはかりか松がさき
氷室も夏をほかにこそもれ

八十一  松   弘智

得てうへし松にならへる君が宿を
猶すみよしの神や守らぬ

八十二   竹    宗房

きみが代を久しかれとて植へをきし
たけの臺のかげ越しぞ思

八十三   苔    鑑栄

千代をかね松の下蔭苔むして
雨にいづれも色ぞまされる

以上の歌には、松が使われています。

松は高良さんに引き植えられたものでしたね。
どこからかといえば、本山からでした。
小松引きの神事が今も残っています。
その高良社の末社とおぼしきやしろが、ぶねうさんの本陣だったお山近くの山にもあるようです。
こんど友達の家にいったときにでも、かけのぼってみてきます。石段をやりかえたばかりだっていってた。そのこうら社がともだちの家の産土神になるみたいで。

わたしが気になっているのは、このうちの32番松寿のうたと、82番、宗房の竹。竹のうてな、台という字の正字がどうもひっかかります。邪馬台国の台であり、また、横光利一の「台上の蟻」とまっすぐつながる。もちろん、横光は正字ですよ。
そして、さいごは万葉かな表記の柿本人麻呂の
「大君の遠の朝廷と蟻がよふ島門をみれば神代し思ほゆ」の歌につながっていくのであります。
なぜ、蟻がでてくるとおもいますか。
女王蟻がいた国だったからです。
それはそうと。
横光利一は邪馬台国の話をかいていますね。
ちゃんとはよんでないのですが。

かささぎの旗で以前書いていた、高良さんへ松を移したいわれのある、本山天満宮の取材記事です。みてくだされ、ご隠居もまだみておられれば、どうぞ。↓

2のブログ、「放す」。
これはしみます。
笛を教わる話なのですが。

ここ、おもしろい。ついよみふけってしまいました。
どなたかが、ここを開いてくださってました。
検索語はなんだったろう。
さいごのほうで、友達の高良社という名の末社があると書いているのは、立花町の友達の家近くです。今年中にはぜひとも行きたい。
その友の母もうちの父がなくなった年、昨年十二月になくなりました。
彼女は、夫がなくなれば、ひとり暮らしになるから、山での暮らしをとじて、どこかへ越したいといっていた。なぜ?と聞くと、だってあまりにも行事が多すぎるから、とのことです。信仰にからむことだけでも、五つぐらいあった。神社やなんかが。

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