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2011年10月12日 (水)

同仁の同という漢字

同仁

八女戦国百首和歌の冒頭に記されている「同」という言葉の意味を考えていた。

境界を設け、その中のものはおなじ一つの口になる。
異質なものが、ぜんぶ一緒におなじものをいただく。

同仁の場合は、みな、おなじ仁の意識でみたされる、ということか。
今朝の西日本新聞トップに載っていた孫文の書。

ちょっと連句的に大風呂敷をひろげてみます。
同という言葉から、今年みせてもらった、宇宙の渚の映像が浮かんだ。
まっすぐな一本の線ではなく、やはり楕円の層をなしていました。
ということは、同の漢字の意識がすうっと入り込む。
外部と区切られた内部があり、まもるべきものがある。ということ。

わたしたちは、みな、その楕円の中の一点、一つの口である。

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コメント

今伊勢のお宮の前で、全員が同じきもちで、こころ一つに歌を百首よみますよ。
という、選手宣誓にも似たことばではないでしょうか。

大勢で百首和歌を詠んだものに「同詠百首和歌」と「詠百首和歌」とがあり、その違いを探ってみると、「同」詠の用例のほとんどがその前に「春日」「夏日」「秋日」「冬日」を伴っています。
「○日」と「同」とが直接リンクしていないんだったら他の用例もたくさんあるはず、と探しましたが、ネット検索可能な範囲では、新年などの特定日がらみのものばかりで、「○月○日」と同詠の組み合わせもありました。
中に、「同」の用例として、
正治二年八月八日追給題同廿五日詠進之
秋日侍太上皇仙洞同詠百首応製和歌
というのがありました。
たまたま一行目にも「同」と「詠」がありますが、一行目の「同」は、前述の「正治二年八月」の繰り返しを避け、「(同じく)正治二年八月の」という意味で使われています。
「同」が、語彙の繰り返しを避ける用法であれば、二行目の同詠百首応製和歌は、秋日詠百首応製和歌(タイトルと同じ秋の日に百首応製和歌を詠む)と解釈することが可能かもしれません。○月○日・・・同詠和歌、だったら、同じ○月○日に和歌を詠む、と。
そのような用法であれば、正しくは「同」ではなくて「同日」としなければなりませんが、「以下、同文。」を「以下、同。」とする例のように、「同日」の「日」が省略されることはあり得るでしょう。さきほどの例でも「同月」の「月」は省略されています。
タイトルが「○日」でない場合に、そこのところが「春日詠」「夏日詠」「秋日詠」「冬日詠」となっている用例もまたたくさんあります。「同」が指すものがないからです。
「○日」と「同詠」がくっついた「夏日同詠百首和謌」のような用例(全体がタイトルのように扱われています)もたくさんありますが、これも、実タイトルが「夏日」で、「同(夏日)詠百首和歌」はタイトルの添え書きみたいなものかもしれません。
こういう解釈だと、
夏日侍
今伊勢寶前同
詠百首和哥
は、今伊勢の宝の前にて夏の日に、百首の和歌を詠む
ということになります。
99首しかない謎は謎のままです。

こういう接近の仕方、とっても有り難いと思います。

もうひとつ、きになってきました。
たから。たからです。
たからってなんなのでしょう。

ほんとうにみなもとのかんじゅつは、あるいは、あきのぶは、たたりをおそれて、神にひれふす証のために、このような作品をのこしたのでしょうか。

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