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2011年10月 4日 (火)

秋の焼きそば さみしくないか

秋の焼きそば さみしくないか

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コメント

どのようなねらい(気持ち)で,このような記事(写真)を出されているのか理解出来ないでいます。

小生は“考える”人であり,また目が少し悪い(その分,頭は冴えている)ために,
“秋の焼きそば”が
“私の焼きそば”と見えたのです(笑)。

順番に読んだというよりも,たまたま開いたら,この記事が目に入ったのです。

したがって,この焼きそばが,まさか“想夫恋”というお店の品とは思わなかったのです。

秋の焼きそばがさみしいというよりも,“もやし”ばかりが目立ち,肝心の主役である“肉やキャベツ”ほかの具が目立たない,ということを“さみしい”と言っているのでしょうか。

何分,このお店のことをまったく知らないものですから,勝手なことを述べています。

“秋の焼きそば”ということは,“夏の焼きそば”というものもあなたの頭の中にはあって,この店では季節メニューがあるということなのでしょうか。

以上,思いつくままにつづってみました。

あといくつか気になっていることを記します。

最近になって気付いたのですが,時に記事の時間経過が時系列に沿っていないのは,どうしてなのでしょう。(単に機械の不備?)

今日の“焼きそば”の記事も,昨日日付の橋爪氏の記事の前に入っています。

さらに,あなたのブログに橋爪氏執筆の記事が散見されるのはどうしてですか。

どこかに説明があるのか分かりませんが,初めてだった小生には違和感があります。

ひょっとして,このブログは貴女と橋爪氏が共同で運営していらっしゃるのでしょうか?

これも“連句”的と理解すべきなのでしょうか。不一,

おお、ご隠居。よくぞたずねてくださいました。
では説明いたしましょう。
まず、短句みたいな記事の題について。
「秋の焼きそば」というのは、私の中で、やきそばは夏の季語である、という確かな実感があるからで、とっさのことばです。と同時に、人としての季節感というのも同時にかんじていて、若者が好む青春のたべものだとも思っているわけです。じぶんはもうその季節はとうにすぎてしまったなあ、というさびしさもあるわけ、です。
はい、ここまで、ご隠居、わからない点はございませんでしょうね?
つぎに、かささぎの現在の暮らしというのを、ま、プライバシーなんですが、どうでもいい年ではあるし、書いてしまいますと、夫がいないわけですよ。こどもと自分の親としか。それで、こころのどこかにずうっと、いうことをきいてくれる都合のいいオットが都合のいいときだけでいいから、いてくれないかとおもっているんでしょうね。現実にはそういうオットなんて、宇宙のはてまでさがしてもどこにもいやしないってのに、かささぎはいつもいつもさがしてしまうんです。で、
こっから、本音です、いいですか、今日の残酷物語。
とってもシビアな肉体労働をしているんです。それでさすがに連勤五日目の今日は、寒いし、きついし、ゆっくりいこうと思っているところへ、会社の厨房から電話。
ごはんたべるのもそこそこに、早番の人の穴埋め勤務によばれてしまいました。
ひとりで百人分の食器を洗って片付けたあと、切り込み。そんで、オクラを五キロもきざんでみんしゃい。あたまくらくらしますから。
きざめどもきざめども、少しも減らないオクラたち。
・・・あああ、なんのはなしをしてましたっけ?

弁当をいつもならもっていきます、お茶もね、でも、急いでいたためにそれを忘れた。なので、お昼ご飯を食べに行ったというわけです。
じぶんがかわいそうに思えたので、ぜいたくを許した。それがやきそばってことが、またせつないでしょが。もう若くないから、昔ほどおいしくは感じないのですよ。でも、おなかがへっていたので、おいしかったのですが。

そうふれんは、日田に本店がある知ってる人は知っているとてもおいしいやきそばのお店で、いくつもお店があります。ご隠居はどこですか。そっちにはないですか。冥土のみやげに一度たべてみてください。からいですし、あちこち麺が固いですので、老人向きではありません。
わたしは焼きそばをたべると、子達がこどものころ、キャンプに行っていた思い出がよみがえります。なつかしい人たちが、バーベキューのあと必ずやきそばをやいてくれたっけ。蚊にさされた記憶とともにそれらが一気によみがえる。

だから、かささぎにとっては、ご隠居にとっての、えーと、想像でものをいうのを許してもらえば、湯豆腐みたいなたいせつなたべものなんであります。精神的な。
以上で、そうふれんの焼きそばのまき、おわり。
まだいいたいことも残ってるけど、おわり。

あと、橋爪章学長ブログを毎日御紹介いたしているのは、なぜですかっていわれても。なぜでしょうねえ。こないだ調さんからもいわれました。
すみません。なんか、あれがあると、自分がおちつくというか、隠れ蓑というか。まあ、そんなところです。了解をえぬまま、勝手に始めて勝手に続けています。いつかやめるときがくるでしょうが、それまでは意地でも維持したいと思っています。
時系列が前後するのは、常に学長ブログが一ページ目にくるように設定しているからです。他意はありません。
共同運営ではありません。わたしのブログです。わたしの勝手にやっています。毎日人様のブログ記事をこぴぺしていても、学長にブログパスワードを教えたりはやっていませんので、それもあって、責任を感じて、月に二度はアクセス解析をやるのですが、先月の二度目もまだできていません。のちほどやります。

にくたいろうどうってのは、いいもんだなあ。とかささぎはさいきんしみじみとおもいます。おもいますが、たいりょく、ぎりぎり、きついです。じぶんのなかに、こんなにがんばれるちからがあったなんて、ふしぎです。
ごいんきょは、にくたいろうどう、やったことないでしょうね。では、さいなら。

はやばんを途中からとおそばんをおなじ日にやったので、朝の八時半から夜の八時半まで働いていました。その間たちっぱなしです。私は肩こりも腰痛もなにもない健康そのもののにんげんなんですが、さすがに足がつります。指もむくみます。あれは洗剤のせいかも。手があれることはないけど、はれることがある。

追伸。
もやしばかりでさびしい?そんなことはありません。
入っているもの、豚バラの短冊切。もやし。長ネギ。それだけです。じつにシンプル。これ、自分でやってみるとわかりますが、たまねぎをいれるとべったりと湿気るのでよくないし、きゃべつはよさそうですが、これもまたないほうが具合がいい。
ただ、紅しょうががないといけません。
それから、かささぎには、どかたのおっさんみたいに、ごはんがついてなきゃいけない。からいから。
そのごはんもおいしいおこめじゃないといけない。
こだわりがあるそうふれんがすきです。どこにでもあるたこやきみたいなやきそばはいやだ。

おはようございます。おつかれさまです
焼きそば、よく作ります。 私もも昔から玉ねぎはいれなくて長ネギたっぷりで(白長)。 そうふれんもそうだったのね。
ちなみに長ネギと千切りした生姜と醤油は必ず。
大人味の焼きそばで旨いです(^_-)-☆

【思いつくままに】

やはり,「秋の焼きそば」は「私の焼きそば」でしたね(笑)。

それはさておき,本ブログに寄せられたコメントの中に『仲間内でじゃれあう』という言葉がありました。

http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/182943/161330/13762602

そのことが,ずっと気になっています。

確かに,連句というのは連想を楽しむ“お遊び”ですから,いきおいブログの中身もそのような,やや緊張感の無いものになってしまうのは仕方のない事なのかもしれません。

連句という“知的”ゲームをやられる方のブログの文章のスタイルや文字使いが,やや乙女チックなものになってしまっている事にお気づきなのか不明ですが,小生は大変な違和感を感じております。

そういったことでは,到底『百首和歌』奉納の真相には迫れないと思われるのです。

小生は,このブログが如何なる理由により始められたのか,未だに冒頭(第一回目)を拝見出来ないでいます。

研究者はいくら肩書きがあろうとも,「ではないでしょうか。」といったような曖昧な“類推”や単なる“思いつき”ではものを言えないのです。
(言っている輩はたくさんいますが,それは身の程知らずか,肩書きに溺れているが故の結果です。)

そんなことをしておれば“ハッタリ”コンクールのオンパレードになってしまいます。そのいい例が,“邪馬台国”問題です。

“邪馬台国”問題などというものは本来あり得ないのです。それは,『隋書』倭國伝の記事を読めばよく分かります。

そこには,そのような問題が生じようハズのない『三國志』以来の中国側の日本列島認識が示されています。

それが正しく読めないが故に,ああでもない。こうでもない,と言い始めるのです

この状況は,中華文明のエッセンスである“漢字”文化を移入しながらも,そのマニュアルまではきちんと後世まで保存し得なかった結果です。

つまり,漢字文化というものを粗末にしたが故に,その意味する所が分からなくなって,世間からは権威があると思われている研究者までもが,その“ハッタリ”コンクールに参加して,真剣に自説を開陳するという滑稽なパフォーマンスを演じているのです。

類推という手法の行き着いた先には“破滅”という舞台(結末)が待っています。

作家井沢元彦は“類推”から出発した小説家ですが,『猿丸幻視行』により江戸川乱歩賞を受賞したという経歴,また小学館という元勤務先が発表の場として用意されているということもあって,最近は歴史的な著作(『逆説の日本史』)を次々と発表して,本人も歴史研究家のつもりでいますが,著作の中身はと言えば,「〜ではないか」という憶説に満ち溢れたものです。

井沢に類した研究者は沢山いますが,梅原猛などもその類いです。到底一読に値せず,ましてや購入したりする価値はまったくありません。(未完)

【補足訂正】

先ほどの【思いつくままに】の文章の中で“邪馬台国”問題に関する以下の

[『三國志』以来の中国側の日本列島認識]

という表現,より正確には

[『漢書』『後漢書』以来の中国側の日本列島認識]

とすべきでした。
訂正させていただきます。

ご隠居。
ありがとうございます。的確なご助言、ありがたく拝受し、検索してみましたら、完訳があるじゃあございませんか。
いつの間にこんなものがただでよめる世の中になってしもたんやろ。学者は置いてかれるで。
この最後のをよんだだけでも、九州説はゆるがないとおもえるのですが↓

混乱している、やまたいこくかやまいちこくか。

>小生は,このブログが如何なる理由により始められたのか,未だに冒頭(第一回目)を拝見出来ないでいます。

いかなる理由のもとに?
わたしが知りたいです。
一回目は、2005年12月22日付け「冬至」。
乙骨太郎乙に出会い、おっかけをしてました。
ふしぎな出会いでした。↓

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